たまたま食った納豆の、からっぽになった脆弱な発泡スチロールのパックをついうっかり放置しただけで、どこから入ってきたのか分からないが無数の小蝿が群がっていた。その佇まいが気持ち悪いのでそいつをビニール袋につまみ入れると、厳重にもビニール袋を何重にも重ね、その口をこれでもか!とばかりしっかり縛ってごみの日に出した。終了。
部屋には蝿の好みそうな物など何も無くなったにもかかわらず、後に残された未練がましい数匹の小蝿は、まだ何か上等に美味いものが隠されているに違いない、とばかり、もともと納豆があった周辺を五月蝿く飛び回っていた。
ところが、その後の「うっかりミス」が無くなった為、彼らは上等な食事にありつけないばかりか、自分の命を維持するだけの食料すら手に入れる事が出来なかった。
俺の部屋には余計なものなど何も無い。小蝿は、いつしかその危機的状況に気付き、焦り、至る所を飛んで偵察して回る様になった。
そもそも、この部屋には水気すら無い。一人暮らしだから炊事をする機会が少ないのが理由。だから買い置きの食料も何も無いよ、小蝿くん。
彼らは何でもいいから口にできる物を、この不毛な空間から探し当てない限り、いよいよ干からびて、空しくこの世とおさらばするばかりだった。
清潔にこだわりを持つ俺が、せっせと掃除する完全無比な水洗トイレ。彼らは何を食おうというのか。最後の最後に、彼らの残党をトイレで見た。そこには原始の頃から彼らの常食だった糞があるやも知れない。彼らの悲しいDNAが「死にたくなければ糞の傍に行け」とばかり、そこに向かわせたのだろう。
そして数日が経ち、トイレの床にはカラカラに乾いた2匹の小蝿が、全てをあきらめて腹を見せて死んでいた。
あきらめない、そのど根性は大切であるが、もっと大切なのは最初の見極めだった。