俺の叔父、つまり叔母の旦那の事だが、彼は九州の高校を出ると、東京の大学に進学した。

無事4年で卒業すると、同級生達の様に普通に就職せず、田舎の父親から借金し、都内に小さなバーを始めた。

周囲は、学校まで出ておきながら水商売するなんて正気の沙汰とは思えない、と騒いだが、父親は「まあ、奴も奴なりに考えてのことだろう。しっかり働いて、少なくとも借金くらいは返せる様にならんとな」と、彼の進路に寛容だった。

多分、父親だからこそ感じる事の出来た叔父の才能だったのだろう、その後事業を拡大させ、今や叔父は地域の名士にのし上がった。

叔母と知り合ったのは、バーが軌道に乗り始めた頃で、その当時、俺はまだ赤ん坊だった。

結婚した叔父は男の子が欲しかったのか、義理の姉である俺の母に、その息子である俺を預けてほしい、と頼む事が多かった。

俺のチャイルドルームは叔父のバーだった。

ミラーボールが回転しながら輝き、ジュークボックスからはジャズかブーガルーが流れた。

色とりどりのカクテルが、叔父の振るシェーカーから生まれては、不思議な風体をした大人の男、大人の女達の唇に消えていった。

物心つく頃にはバーがどんなものなのか、すっかり分かっていた。

つまり、俺にとってバーとは、幼い頃のノスタルジーなのである。

それを引きずったまま大人になった。

だから、バーに居ると落ち着く。まるで胎内回帰だ。

俺はバーに育てられたから、バーで体験した全てが俺の人生の根幹を成していると言ってもいい。

そこに集う人々の、虚構、虚栄、虚無、むなしい感覚達が、幼い俺の頭を撫でた。

頽廃的雰囲気が、至る都市に点在するバーというバーに居座っており、ドアを開ける度、懐かしい大人達みたいに俺に手を差し延べるのだ。

その感覚が好きだ。優しい叔父そのものの空間には、隠そうにも隠し切れないバカみたいな孤独が息づいている。

幼児体験は真っさらな心に色を塗りたくる。俺の心は夜の黒で塗りつぶされ、アクセントは妖しく光るグリーンのネオンだ。

刻まれた律動はシェーカーのビート、ジャズのウォーキングベースだ。

子供の頃から孤独が苦痛でなかったのは、バーの優しさに包まれていたからである。

つまり、子供心にも悟っていたのだ、強いばかりの人間など居ない事を。

淋しくない人など居ない、と。

吹けば飛ぶ様な虚構のバリアで何とか自らを護りながら、それでも誰かと繋がって居たい人の弱さを、俺は知っている。



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