屋根の様に覆う濃厚な椰子の葉は、風を受けて、数分前のスコールが残した潤沢な雫を、パラパラとプールへ落とす。

幾重にも重なる波紋が水面を飾る。

その水面を見ていると、サイケデリックな幻想に駆られる。

一定のリズムで楕円を描く水面は空の青と雲の白とタイルの赤と正体不明の黒の、ハッキリしたコントラストで構成されている。

ビートルズの歌詞に出てくるようなサイケな光景の中、コミンは水の感触を確かめる様に、しっかりとしたスクロールで泳ぐ。

ずばっと水中に手を突っ込んで、大きな手のひらで水を掴む。

せっかく生まれた可憐な波紋は、打ちつける逞しい両手によって跡形もなく破壊され、コミンの後ろには混濁した小さな渦がクルクルと回転しながら、未練がましく彼を追った。

遠い山から切り出された見事な赤石、それを更に20センチ角ほどの板状に加工し、一枚一枚、つやが出るまで丁寧に研磨した。宝石の様なタイルで全体を覆い尽くしたプールは、清らかな水だろうと何だろうと赤く染める。血の池地獄みたいに真っ赤だ。

俺はコミンが泳ぐのをぼんやり眺めながら、色んな事を考えた。

チェーンスモーカーが、今咥えているタバコの火を新たなタバコに移すかの如く、雑念が雑念を消費した。

神聖な泉から引かれたミネラルウォーターがプールを満たしている。コミンがしっかり泳ぐのは一種の願掛けなのだ、と思った。



「違うよ」



ひとしきり泳ぐと、コミンはプールサイドのデッキチェアに座り、俺が持参した234を勝手に引き抜いて、それに火を点けた。



「234っておじいさんのタバコね。ボクたち、きついタバコは吸わないよ」



日本ではサーファー御用達のクールなタバコなんだ。



「うぉ! 面白いね」



コミンは左耳を気にしている。水が入ったのだろう。



「さっきの続きだけど、違うよ」



「234?」



「ううん、願掛けじゃないよって意味」



俺は彼に何も言っていないけど、でも彼には分かる。それは彼独特の生まれつきの体質だ。だから今更驚かない。

俺も234に火を点けると、しばらく喫煙を楽しむために黙った。

心も閉ざした。

喋りたくなかったからだ。

空っぽを楽しみたかった。

覆い被さる椰子の葉が、空を丸く切り取って、その丸の向こう側に俄か作りの細切れの雲が、結構なスピードで流れた。その雲に煙を吐いた。



「空と繋がっているね」



しばらくしてからコミンがつぶやいた。



「泳ぐのは水と繋がるためだからね。分かるでしょ?今、空と繋がってるね、それと同じ。繋がっている時にお願いはしないの、セッションするね」



「お願いとセッションは違う?」



「全然違うよ、お願いは自分勝手で終わるだけど、セッションは何か作るんだよ」



「作ったらどうなる?」



「作ったものが又あたらしいものを作る。それをいっぱい続けたら自分の行きたいところに行ける。ただ行けるだけじゃなくて、そこでもっと良いものに逢えるね」











アグネス・ラムみたいなナイスな女の子は、コミンと違って泳がず、プールの中央にあお向けに浮かんでいた。

ぴんと足を揃えて、綺麗な浮かび方だった。

彼女がいつまでも浮かんでいるので、俺は彼女が上がってくるまでプールサイドを動けないで居た。

プールの中央に浮かぶ彼女は、バランスを取るために手のひらをちょと動かすだけで、見つめていると立体感を失い、緻密な絵画の様に感じた。長い黒髪が水面に広がって漂っていた。中空に浮かぶマリア様か、別の星から来た美しい異星人みたいに見えた。

風も無いのに、十字に伸ばした体は時計回りにゆっくりと回った。

ようやく彼女がプールから上がり、俺は三次元を取り戻した。

デッキチェアに腰を下ろしたのを確認して、すぐ横のデッキチェアに詰め寄った。



「こんにちは。どこから来たの?」



「・・・タイよ」



髪を拭きながら、彼女は無表情だった。



「一人?」



「三人」



そこで俺は喋るネタを失って、しばらく沈黙が続いた。

彼女は髪を拭き、体を拭き、タオル地のパーカーを着込み、氷の溶けたグラスのオレンジジュースを一口飲むと、俺に顔を向ける様にデッキチェアに横になった。



「何がしたいの?」



「・・・えーっと」



何がしたい、とかじゃない、貴女と繋がりたかった、それだけだ。



「私は友達になるのが商売だから、お金が掛かるわよ」















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