女の子は「あずま」という名前だった。
苗字ではなく名前だ。
「どっかの国では喘息って意味なんだって」と言って「でもあたしは喘息もちじゃないからね」と付け加えた。
いつもの様に車座に座っていると、誰が出すのか、いつもの様に香ばしいスティックが回ってくる。
ソデに通じる廊下の奥からは演奏中のバンドの轟音が響いている。
ワウペダルがこれでもかとばかりにワウワウと唸っていた。まるで初期のエリック・クラプトンだ。
「クサは喘息にもイイってピーター・トシュも言ってるぜ」
ドレッドヘアの男が言った。
俺は彼の名前を知らないが、知り合ってからもう半年になる。たぶん彼も俺の名前を知らない。
彼だけじゃない、その仲間(バンド)全員の名前を知らない。
俺が唯一知っているのはあずまだけである。あずまはバンドのメンバーじゃなくてグルーピーだ。
「だから・・・喘息じゃ・・・ないってばさ」
スティックの煙をなるべく逃がさない様、息を吸い込み加減であずまは言った。言ったそばからむせてゲホゲホと咳き込んだ。
「あらら始まっちゃったよ喘息の発作が」
ゲホゲホ・・・喘息ってゲホゲホ・・・いうなゲホゲホ
あずまの白目が赤いのはスティックが効いているからではない。激しく咳き込んだせいだ。止まらない。
毎週ではないが、月に二回ほど、友人達はキャンプ座間に近いライブハウスで演奏した。
客は100%白人で、黒人は居ない。
黒人の店は他にあって、そこではソウルとかヒップホップとかの黒人音楽が演奏されている。
個人的には黒人の店の方が幾分好みだった。踊りやすいからだ。
ロックで踊るのはちょと難しい。ここで言うロックとはエリック・クラプトンみたいなロックの事を指す。あれでどう踊れというのか。踊れない事も無いのだろうけど、パンクロッカーがする様なヘッドバンギングやドラムを叩く真似をダンスの部類に入れてもいいものかと迷う。
ダンスとは、それを見る者も踊る者も「これがダンスだ!」と認識してこそ初めてダンスになる。
それと同様、ロックという言葉の定義だって難しい。JBもロックといえばロックだし、ブーツィだってロックだと思う。もっと言うと、モーツァルトだってロックだしベートーベンもロックだ。グレン・グールドは完璧なロックンローラーだ。
つまり、なんだってロックといえばロックである。
微妙な差なのだ。でも人間はその微妙なところにやけにこだわりを持って差別化する。俺がヘッドバンギングをダンスと認めない様に。
名も知らぬ友人達はグラムロックをしていた。だから白人の店。店を揺さぶる轟音は70年代ロックのマーシャル三段積みアンプの硬い音だ。
誰かが楽屋にやってきて出番を告げた。
「ほらそこ!壁に貼ってあるあの文字を読め!」
楽屋ではタバコ以外のものを吸ってはいけません。捕まります。
模造紙を四分の一くらいにした紙に毛筆の達筆な字でそう書かれていた。



この店で俺は滅茶苦茶浮いていた。ヒッピーみたいな連中に混じって一人だけアルマーニだった。バブル全盛期のサラリーマンのユニホームはアルマーニだ。好景気に浮かれていた人々と俺のちょっとした差はアルマーニの購入方法である。ベルコモンズで開催された社員向けのバーゲンセールで9割引き一括払い購入したのが俺、青山あたりの直営店でボーナス併用払いで購入していたのが一般ピープル。ファッションにしたって、どちらかと言えば黒人の店向きな俺なのさ。
最前列はグルーピー達が占拠して大騒ぎしていたので割り込んで入るのも気が引ける。
なので一番奥のカウンターに片肘ついてバーボンのロックにシガリロを咥えながら奴らの演奏を聞いた。
まるでインチキマネージャーよろしくしかめっ面でステージを見ていたが、それはシガリロの煙が目に染みたせいだ。
「あんたって、あずまの彼氏?」
横には俺同様場違いな服装の女の子が居た。
川久保玲でございますと言わんばかりの黒い服装で、髪はボブだった。
目鼻立ちの凛とした清楚な美人だった。今のうちに告白しておくが一目惚れした。
「彼氏じゃないよ。なんで?」
「じゃあ、シンの友達?」
「シンって誰?」
「今歌ってる人」
ああ、あいつシンって名前なんだ。初めて知った。
「どうかな」
「はぐらかさないで教えてよ」
「なんでさ」
「お友達になりたいから」
大きな瞳に俺が映っていた。
でも俺はこの子を知らない。この子はずっと前から俺を知ってたと言わんばかりに見つめる。
「どっかで会ったっけ?」
「話した事無いけどいつも来てるから顔は知ってた」
「ありがたいね」
「それマリファナ?」



・・・なるほど。そう言う事か。
でも残念ながらそれはコイーバのシガリロであってマリファナではなかった。「ちょっともらってもいい?」
いいけど、大丈夫?と聞くと、答えずに俺の指からシガリロを抜き取り、大きく吸い込んで息を止めて、そしてむせた。
「きついね、これ」
「うん、葉巻だもん」
「あなた持ってるんでしょ?」
「何を?」
「アレ」
「なんで?」
だってシンにアレ流してるのあんたじゃないの?
この格好じゃ手配師だと思われても仕方ない。なのでそういう事にしておいた。そうすれば何か面白い事にありつけるのではないかと。
そのタイミングで結構効いてきた。友人達の音楽が素晴らしい音楽に聞こえてならなかった。彼女の見つめる瞳は美しかった。俺はこの子をどう料理してやろうかと思いを巡らせ、ついでに前も膨らませた。



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