杜甫や李白は老酒を飲んでいたわけではない。
当時の中国で一番盛んに飲まれていたのは白ぶどう酒だった。
夢の様に甘い白ぶどう酒だった。
その甘美な味わいは、天才達に言葉の絵を描かせた。
酒の甘さと云うものは、子供の頃に感じた「甘さ」への郷愁だ。
それを感じるために我々は酒を飲むのかも知れない。
子供の頃に忘れてしまった感情を思い出す確実な手段が飲酒なのである。
その店は大宮のアライヘルメット本社の前にあった。
米軍ハウスの様な古い小さな木造家を素人が改造した店だった。
壁面はパステルカラーのペンキで彩られ、窓枠は黄色だったか、真っ赤だったか、おもちゃの様な店だった。
いつ行っても開いているのが嬉しかった。
その店はバーで、店内はロリポップキャンディの透過光で満たされていた。
BGMは50`sだった。
ブリキのバイクがたくさん飾ってあった。
バイク乗りの客が多く訪れるのは、アライヘルメット本社の前だからだろうか。
壁面にはトップレーサー達の生写真とサイン、中にはこの店で撮影されたものもあった。
「これ、ケビン・シュワンツじゃないですか」
「そう。彼はうちでランチするのが好きなのよ。アライの人たち引き連れて良く来るよ」
ママさんが応えた。
何歳なんだろう、活発な雰囲気を醸し出しながらも粗野な感じはしなかった。
女優に例えるなら誰、と言ってしまえば分かりやすいのだが、誰に似ているのか、そもそも他の女性と比べたり類似している事を指摘するのは彼女に失礼な様な気がする。
つまり、独立した美人なのだ。
自分では「雇われママ」だと言っていたが、そうだとしたら彼女が美人だから雇われたに違いない。
「シュワンツはママさんに惹かれてやってくるんでしょう」
「そうかな。やっぱそう思う?どうしようプロポーズしちゃおうかな」
なのでママはきっと独身だった。
夜中にふらっと入ると、地元の人に混じって、はるばる遠くからやって来たライダーがちらほら見受けられた。
全て男性客だったのは言うまでもない。彼らはママを話題の中心に酒を飲んで、べろんべろんに酔っ払っていた。
そんな店内の様子を見ていると、女性の店主を「ママ」と呼ぶのが分かる気がした。
普通、男性店主の場合「マスター」と呼ばれる。
これは、飲食に携わる「親方」であるイメージが強いからだろう。
だが、女性の場合、あらゆる事に精通した職人気質と言うよりも「酔っ払いたちの女友達であり恋人であり母親である」イメージが強いから「ママ」と呼ばれるのだ。
職人と言うより有能なアシスタントだ。
俺はこの店では主にズブロッカを飲んだ。
ロリポップキャンディの透過色に満たされた店内に良く似合う。
ジンやバーボンじゃない、もっと甘い、夢の様な味こそ似合う。事実、どんな店で飲むズブロッカよりも、そこで飲むズブロッカは美味かった。
ママを眺めながら飲むズブロッカは、どんな店のズブロッカよりもスウィートだった。
ある日の午後1時43分、俺はこの店にやってきた。
ランチを食いに来たのだ。
バイクでふらふら出歩いていたので、思いつきで立ち寄った。
からんころんとドアのベルを鳴らすと、店内にママの姿を探したが、どこに行ったのか見当たらない。
いつものカウンターに座って大人しく50`sを聞いていたが、10分経ってもママが帰ってこない。
これはおかしい、と店内を探すと、奥のボックス席で横になっているママを発見した。
かすかな寝息を立てて、その寝顔はいつも見るちゃきちゃきのママよりもずっと幼く見えた。
「こんにちは」
小さくささやくと、彼女は真っ赤な目をぼんやりと、なおかつ「はっ」とばかりに開け、しばらく虚空をきょろきょろした。
「・・・あ、いらっしゃい。ゴメンね、知らないうちに寝ちゃった」
しな座りでしばらくボーっとしていたママは真っ直ぐ向き直すと、髪をかき上げながらバツが悪そうに笑った。
「お客さん来てるのに気が付かないなんてね」
「ママ、いつ寝てるんですか?」
これは普段俺が抱いている疑問だった。
24時間営業の様に見えるこの店で、ママ以外の従業員を見た事が無いのだ。
「・・・うん、手伝ってくれるコが居るときには家に帰って寝るけど、居ないときはしょうがないわね。ひまになる3時くらいに一旦帰ることはあるけど、そしたらその時間に来るお客さんに悪いでしょ?」
これはバブルの頃の話で、その店はもう無い。
建物ごと無い。
残念な事に、ママの名前も店の名前も覚えていない。
だけど、その景色やズブロッカの甘さは覚えている。