バリの虎 バリ・タイガーは1940年代に絶滅した。
最後の一頭が死んで、バリ島から虎がいなくなった。
ホテルのバルコニーで俺とコミンは、夜の真っ暗な森を見ながら酒を飲み、バリ・タイガーの話をしていた。
「バリに虎、居たんだよなあ、当時にタイムスリップしたら面白そうだね。虎、見たかったなぁ」
俺の言葉に、コミンは意表を突かれた様な顔をしたが、すぐに「なんで?虎が生き残っていたら、こういうオープンなホテルは危ないね」と、さらりと言い返してきた。
そりゃそうだ、おちおち酒など飲んでいられない。
バリ島は天国と表される島だ。だが、天国だからと言って無防備で居られる訳でもない。
「バリに危ない生き物、居る?」
「大蛇いるよ。お祭りの夜、兄貴のBMWに友達4人乗せて山道を走ってたら、なんだかものすごく太いものを跳ね飛ばしたんだよ。止まって振り返ったら、その太いものがズルズル動いて谷の方に消えていったんだ。
次の日の新聞に、道路で大蛇の死体が見つかったよ、って書いてあった。
あれ、僕が撥ね殺しちゃったのね。10メートルはあったよ」
コミンは笑った。
大蛇は滅多に見られないけど、緑色の小さな蛇ならいっぱい居る、と言う。
その蛇、危ない?
うん、噛まれたら死ぬよ。
おとなしい性格で、人里にはほとんど出てこないから、噛まれて死ぬ人はそうそう多くは無いらしい。

「尻尾の部分が赤くなっているヤツには特に気を付けなければならないよ」
「そうか、尻尾の赤い蛇を見たら近づかない、って事ね。じゃさ、トカゲはOK?」
「トカゲ!トカゲ絶対危ないよ! 蛇よりヤバイ!」
トカゲの何が危ないのかというと、あごの力が強力で、人間の指の一本や二本は簡単に食いちぎるのだという。
「だからトカゲ見ても触らないでね」
バリには体長60センチ以上のでかいトカゲが居る。
イグアナみたいなトカゲだ。
昔、泊まったホテルの庭の池に、そこの主である、とばかりの威風堂々たるたたずまいのトカゲが住んでいた。観光客たちは興味本位で、食べ残したパン切れを放ってやっていた。
放られたパン切れはトカゲの口に入る前に、池の魚に食われていた。
獲物をえられずきょろきょろし、やむを得ず岩の上にのぼって甲羅干しするしかない間抜けなトカゲだった。
情が移ったので触りたいと思ったものだが、触っていたらこうやってタイピングをすることもままならない事態に陥っていたかもわからない。




危険なものは、それを危険だと感じる存在によって危険なものになる。
トカゲはかわいいし蛇は綺麗だし、バリ・タイガーを目の当たりにすれば、それはそれは夢の様だろう。
でも、美しさだけで測りしれないものもある。
バリ島の森の夜は美しい。
これ以上無い闇が下界に広がり、上空には手で掬えるほどの星が輝いている。
その闇には、ただれた真っ赤な舌をべろべろと垂らし、巨大な瞬きの無いぎょろぎょろとした瞳をもつ魔女ランダが棲むと言う。







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