皆さま、こんにちは
横浜・山手の
スピリチュアルカウンセラー
ASMPプロチャネラー
木下リズです。
ブログにお越しいただきまして、
どうもありがとうございます
ご覧頂いている皆さまの元に、
愛と光の祝福が届きますように…
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聖書の中には
『愛』という言葉が
よく出てきます。
「神は愛なり」
「汝の敵を愛せよ」・・・
私たちライトワーカーも
『愛』という言葉を
頻繁に使います。
「無条件の愛」
「全ては愛です」
「愛と光を送ります」・・・
こんな風に使いますね。
改めて、
『愛』とは何でしょうか?
戦国時代、
南蛮人の宣教師たちによって
日本にキリスト教が入ってきた当時、
『LOVE』は
『御たいせつ(おたいせつ、ごたいせつ)』
と訳されていたそうです。
当時の日本にも
『愛』という語はすでにありましたが、
それは
『愛欲』や『好意を抱く』
といった、
誰かに執着するような
意味合いだったようです。
少なくとも宣教師たちは
日本語の『愛』は、
聖書に書いてあるような
『神の愛』を反映する言葉ではない、
と考えました。
そこで、宣教師たちは
様々な日本語を持ち寄り、
精査による精査の結果、
『御たいせつ(おたいせつ、ごたいせつ)』
という訳語を選び、
キリシタンたちが信仰を学ぶ際に
用いていたのだそうです。
当時のキリシタンたちは、
愛 = 誰か・何かを大切な存在として扱うこと
と理解していたのです。
本質を突いた表現ではないでしょうか。
今の社会の中では
単純に
「好き」
といったニュアンスで、
気軽に
「愛している」
という言葉が使われがちですし、
独善的な好意の押しつけや
暴力などのねじれた行為まで
「愛」
という言葉の力で
正当化されてしまうこともあります。
ですが、
『愛』
という言葉を
『お大切』
と言い換えてみると、
改めて、
本来の『愛』が持つ
本質、深みが
感じられるのでないでしょうか?
自分を愛する
↓
自分を大切な存在として扱う
敵を愛する
↓
例え好きになれなくても、
相手も神に「お大切」にされている存在として尊重する
神は愛
↓
神には「お大切」しかない。
従って、宇宙には、
神が大切にしている
ものしか存在しない
(存在していること自体、愛されている証)
このように解釈することが
できるのではないでしょうか。
愛は、
「好き」とも
「いいね!」とも
「きゅん」とも
「ときめき」とも
関係がない。
私たちは全員もれなく、
神の愛(お大切)です。
朝、目を覚ましたら、
まず身体の細胞のひとつひとつに
愛(お大切)を伝え、
自分自身を
愛(お大切)でいっぱいに満たしましょう。
そして、
周りの世界、
すべてのものに、
愛(お大切)で触れてみましょう。
サイキックな力や
特別な才能を持つ必要はありません。
私たちには生まれながら、
愛するという質が
備わっています。
愛せる(お大切にできる)
ということを
あなたの特別な才能として
使ってください。
犯罪や不祥事が
明るみになった時も、
怒りや嫌悪の波動を送ったり
冷たい言葉をかけるのではなく、
ハートから愛(お大切)を送ってみてください。
その人を好きになれなくてもいい。
その行為を許すことができなくてもいい。
暗いところ、
凍えたところ、
傷ついたところこそ、
愛(お大切)を必要としています。
(本当はすべてが愛で満たされていますが、
そう見えないならば、愛を再選択する必要があります)
愛の使者であり、
愛そのものである私たちにとって、
愛(お大切)がすべての出発点。
そして、
風の時代は愛の時代です。
わたしたちは、
愛(お大切)を選びましょう。
愛(お大切)を表現しましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございます
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