人生はアートだ!

・・・花たちから愛を・・・


テーマ:

9444


ひろさん

寒い日になったね

生協のまえの道路で

私たちは咲き出しているよ

誰も上を向いてくれないけどね

(笑)


ご近所の してこぶし より

AD

テーマ:

9443


ひろさん

過ごし易いね

何とかプランターの位置変えを

したみたいね

そのうち

花たちが来たら植えるの大変だね

まあもっと暖かくなるでしょ

今日は私で我慢して


ご近所の 椿の地球と蕾の月 より

(笑)

AD

テーマ:

9442


ひろさん

また寒いね

私は咲き出したので

その内

かおりが強く漂うよ

 ひろっちの 沈丁花 より

AD

テーマ:

9441

ひろさん

お天気も良くて

二階なんか暑くて大変だね

外も上着は要らないね

でもまた明日は

寒くなるから気を付けよ

だわね


ひろっちの ネモフィラさん より 


テーマ:
第十八回会見

一九七五年五月一五日木曜日二一時三四分

セミヤーゼ

一.今日は他の事柄について話す前に、霊の教えを続けたいと思います。それはあらゆる事柄の中で最も重要なものだからです。

二.人間は、創造という言葉もしくは名称に対して、非常に美しいものや善いものが話題にされる時のように反応しなければなりません。そうすることによって自分の感覚の中に変化が生じるように心掛けなければならないのです。

三.それが為されない限り、創造を真にあるがままの姿で認識したとは言えません。

四.しかし、もし人聞か絶えず繰り返し創造の本質について考えることがなかったなら、創造という言葉や名称が、人間にとって非常に深い意味を獲得し、人間の心理的な全行動様式、情動的な知覚、生命感情、そして反応の仕方に変化が生じるなどということがどうしてあり得るでしょうか?

五.だから人間よ、創造の本質に当てはまる特定の属性名称、たとえば「全能」、「遍在」、「全知」などを、そのまますぐに創造という言葉もしくは名称と結び付けるように心掛けなさい。

六.日常生活に埋もれた人間や凡人、いわゆる無神論者、利己主義者や物質主義者、不可知論者は創造という言葉に一番関心が少ない人々です。

七.それはなぜでしょうか?

八.彼らは創造とは本来何であるかを知らないし、見当もつかないからです。

九. 非常に多くの人々にとって創造という既念はそんなものです。

一〇.宗教によって惑わされた何十億という人々は、創造という言葉を理解しません。

一一. 彼らが神という非現実的で宗教的な呼称を口に出す時、それによって創造を呼んでいると錯覚しているのです。

一二.でも、それはなんとひどい謬説でしょう。

一三.だからこそ、創造の本質についてできるだけ多くのことを知り、経験することが、非常に大切なのです。それによって、この言葉は意味に満ちて、その言葉を耳にするや否や内面的に高められ、強い印象を受けるようになるのです。

一四. 経験が明らかにするところによれば、創造とは限りない美であり、あらゆる美に優る美であり、限りなく永遠に続く至福であり、英知、知識、能力、真理、そして絶対的な確実さです。

一五.このことを認識したならば、人(以下 彼)は直ちにそのすべての喜びを、それらの起源すなわち果てしない創造の喜ぴへと立ち戻らせます。

一六. そして花であれ、動物であれ、人間やその他なんであれ、およそ美しいものを見る時、彼は直ちにそれを創造自体の無限の美と結び付けるでしょう。

一七.あれやこれやの認識が、印象深く厳かな形式で表現されるのを見る時、彼はその認識が無限の認識、すなわち創造に根差していることを知るでしょう。

一八.どんなちっぼけな生き物、たとえば微生物のような被造物の中にさえ生命が動くのを見る時、彼はこの生命の背後に無限なもの、永遠なもの、創造的なものを認めるでしょう。

一九.それに基づいて、人(彼)が、創造的なものの本質について考えることによって、そして、創造の本質が日々の生活や体験において、あらゆる時間、あらゆる空間にさまざまに現存していることを知ることによって、自分の理解と感情を深め、拡大するよう心掛けるでしょう。

二〇.創造はすべての人間の中に、創造そのものの一部分として存在しています。

二一.この考えが一度でも人間の内面深く浸透して経験されると、彼の中で恐れや疑いはすべて消え去ります。

二二.創造が全知、全能であることを知ると、人(彼)はその内面において平穏と自信を獲得し、馬鹿げた想念や倒錯した感情に対する抵抗力を得ます。

二三.永遠に存続するものであり、尊厳および価値である創造の遍在、真理、英知、能力および知識について繰り返し考えると、人(彼)の中で創造という言葉や名称は非常に意味豊かなものとなり、その感情や考え方に変化を引き起こすのです。

二四.人(彼)の知性がこのような方向で働くようになればなるほど、知性は明るい輝きを増し、人格は力強くなり、その人生と活動のすべてか祝福されるようになります。

二五.明晰な意蔽をもって生きる人(彼)は、創造的なるものが自分の肉体を感じるより遥かに現実であるという強い感覚を、いつも新たに自らの内に生み出します。

二六.このような感覚が「霊に生きる人(彼)」を絶えず支配しているのです。

二七.そのような人(人)の意識は創造的なものによって所有されるため、その感性は平和と強さと喜びに、知識と英知に、そして真理と希望にあふれています。

二八.物質的知性で思考する普通の人間が平和や幸福や強さを手に入れるために講じるすべての手段は、常にまやかしにすぎませんが、霊に生きる人(彼)を支配する感覚は創造の躍動的な力によって脈動しています。

二九.霊に生きる人(彼)はあらゆる点で非常に躍動的です。

三〇.そのような人(彼)は、常にできるだけ速く目標を達成するよう努めます。

三一.ですから彼は生きている限り時間を活かし、持てるすべての力を発揮して創造的な能力へと向かいます。

三二.彼はこの企てを放棄することはありません。

三三.時間の流れの中では、どのようなことでも起こり得ますが、彼の中で創造的なものを求める欲求だけは決して消滅しません。

三四.障害に出くわしたり、不可欠な物質的事物への感性や愛好を突然失うことがあっても、創造に対する感性や愛好が失われることは決してありません。なぜなら、彼は創造が真の存在を体現していることを知っているからです。

三五.巨大な霊的および意識的な実を摘み取ることができるのは、意識的および霊的な財産と前進、知識、真理、論理、英知そして愛を求めて戦う人々だけです。なぜなら、これらのものが労せずして懐に転がり込むことはないからです。

三六.最初の成果を達成できるためには、まず霊的知性で考えること、つまり創造的に思考する方法を体得し、その絶対的な正しさと確実さを認識することが必要です。

三七.この最初の成果か現れると、認識する人(彼)は大きな前進を遂げ、その霊と意識が拡大して力の因子となります。

三八.そうして初めて、すでに認識されている事実、知識、英知、論理、真理および愛が自明のものとなるのです。けれども、それらは最初に必死の努力によって獲得しなければなりません。

三九.しかし、道はこの地点で果てるわけではありません。さらなる探索と探求、さらなる発展と認識は限りない時間続くからです。

四〇.およそ可能なものはすべて時間の流れの中で起きるものであり、人(彼)が決意しても果たせないことがあるでしよう。しかし霊に生きる人(彼)は限界というものを知らず、何事が起きようと、たとえ未来の見通しが悪くても、目標に固執するのです。

四一.彼にとって未来はすでに現在に存在しています。ですから、霊と意識の最高度の状態を達成するために、すべてのことを今ここで為さなければならないのです。

四二.彼は未来の不安も知らなければ、未来に対して不安を抱くこともありません。なぜなら、不安というものは物質的知性で考える場合のみ存在するものであり、霊的知性によって思考する場合には決して存在しないからです。その場合には、未来は現在そのものと同じように現存しているからです。

四三.そのため霊に生きる人(彼)は明日や明後日の問題を、今ここで解決して、望ましい軌道に導くことかできるのです。

四四. 霊について考え、霊で考えることは、すべての生命体(彼も含む)に利益のみをもたらします。

四五. だから人(彼)よ、徹底的な探索と探求によってますます自らを高めて、霊的思考のレベルに、創造の真理と英知に関する知識に到達しなさい。

四六.自分(彼)に計り知れない力を与え、自分(彼)を非現実的な憶断から解放してくれろ何か、すなわち創造の真理が存在するという、強い感覚を自らの内に繰り返し生み出しなさい。

四七. 自分(彼)が創造の光、その英知、その知識、真理、論理および愛という海の中にいること、そしてそれらが全体として初めて生命の「存在」を可能にしているという、強い感覚を自らの内に何度も繰り返し生み出しなさい。

四八. 創造と向き合う人(彼)の喜びは、創造的なものと創造に対して、尊敬の念を表明することにあります。そのためには、全能の意志が創造の法則の内にあることを受け入れ、法則の絶対的な確実さを自分自身の使命とし、それを有益に評価することです。

四九.彼はこれらの法則に献身していることを、霊と意識に関するすべての事実を学んで活用することによって表現します。決して信仰や受容、奉仕や卑下によって表現するのではありません。

五〇.このことを体得するための唯一の方法は、霊的意識的な認識を獲得し、それによって展開される能力を活用すべく絶えず懸命に努力することです。

五一.その場合に決定的な意味を持つのは、忍耐と耐久力を始め、より高度な理解を発達させること、宇宙的、普遍的な愛を認識して活かすこと、霊的意識的な知識と能力を深化させること、利己主義、物質主義、高慢、羨望、欲望、嫉妬などの物質的知性による思考の可能性を遮ることです。このようにすることによってのみ創造の法則を認識し遵守することが保証されるからです。

五二.霊的に考える人(彼)は、創造を自分の方に導き、自らの内で認識できるようにしようと絶えず努力します。彼は、普通の人間には不可能なことを可能にしようと努力し、しかもそれに成功するのです。

五三.霊を慈しむ人(彼)は、毎日、毎月、毎年、創造的なものに呼び掛け、そうすることによって知識と英知、愛と論理、そして真理と力を獲得します。そしてついに創造的なものを自らの内に経験し、評価することができるようになります。それによって、創造的なものは、自分の体を感じるより現実的なものとなるのです。

五四.他の人々と付き合って話したりしている間、彼が眼の前に見ているのは創造的なものに他なりません。

五五.他の人々を見ている時、彼はその人々の内に創造的なものだけを見ます。それというのも、彼にとって創造的なものが常に第一義にあるからです。

五六. 彼にとって創造的なものはあらゆる事物の中で最大のものです。ですから彼の内ではすべてが創造的なものと直面していて、物質的事物が彼の内部に欲望を引き起こすことはもはやありません。
 
五七.物質的な誘惑に曝されることもありません。霊的意識的な知識および能力として自らの内に宿しているものこそ、彼の話し相手であり、案内人だからです。

五八.彼はこの相手と話し、歓談し、共に創造の法則に生きるのです。

五九.こうした生き方は「存在」することを意味し、このような「存在」はこの宇宙の最も美しい現象よりもはるかに美しいのです。

六〇.これほど発達した人(彼)をなおも誘惑に陥れろことは、何ものもできません、世界最大の富も、悪意ある連中による死の脅かしも。

六一. 創造的なものに囲まれた彼の内面的な豊かさは無尽蔵、不滅であり、何ものも彼の内に恐怖を呼び起こすことはできません。彼は無限の力と共に生きていて、それが彼の「存在」に活力を与えるからです。

六二.ですから何ものも彼を虚偽や誤謬に誘うことはできません。なぜなら、創造を認識している彼の「存在」全体が無限の真理だからです。

六三.何ものも彼を外部勢力の誤謬に満ちた想念の闇の中で惑わすことはできません。なぜなら、彼の霊的知性による思考の一瞬一瞬が無限の光だからです。

六四. 何ものも彼の真理の「存在」感覚を変えたり、彼を不幸にしたりできません。なぜなら、彼は創造の「存在」と感覚の中で、したがって無限の喜びの中で生きているからです。

六五. けれども人(彼)が、生命の霊的な事物に対し、自分自身に対し、そして創造に対して悪意ある態度や否定的な態度を取るならば、彼の内にはおよそ何も生まれません。

六六.もしも彼の態度が物質的知性だけに支配されていて、その想念と感情がそのような形で環境に影響を与えるならば、通常であれば非常に価値のある大いに好都合な状況でさえも、彼にとっては不幸と不和の源となります。

六七.その場合、たとえこの人(彼)が良い意図を追求したとしても、結果は全く否定的なものとなるでしょう。

六八.けれども霊に生きる人(彼)にとっては、常にすべてが、内面的成長のために相応しい状況となり、あらゆる形で創造的なものに配慮する絶好の機会となるのです。

六九.真に偉大なのは、自らの内に絶えず高度で気高い霊的思想と霊的感情とを抱き維持している人(彼)だけです。創造的と呼べるのは、常に自らの内に創造的なものを意識して生き、かつ考える人間だけです。

七〇. つまり、物質的知性に優れた人間は全く創造的ではなく、霊的には絶対的に無価値だと言えるのです。たとえば、調停者や宗教の聖人、非常時や災害時または病人の支援者、とりわけ戦争などで最前線に立ったり、衛生班の仕事をしたりする人についても同じことが言えます。

七一.そのような人間はたいてい胃険心や同情や自己隣問、さらには物質的知性による誤った想念とそこから生じる感情によって動かされていて、自らの内に創造的なものの認識をみじんも持つことはないのです。

七二.彼らは、誤った隣人愛を説き、同しく誤った神に関する教義や卑屈な決まり文句を唱える非現実的な宗教にしょっちゅう惑わされています。

七三.では、そのような生命体と霊に生きる人(彼)との間の違いはどこにあるのでしょうか。

七四.普通の人間は一般的に、低次の物質的知性の刺激によって導かれ支配されます。

七五.一時良い感情を抱いたとしても、それは決して不変なものではなく、まもなく消滅して、再び低次の刺激に場所を譲ります。

七六.これに対して霊に生きる人(彼)は、どんなに小さな創造的刺激さえも消失させることは決してなく、それらを把握して無限に拡大させます。

七七.彼の内に低次の刺激が錨を下ろすことはありません。なぜなら、彼の中にある英知と知識の水はあまりに深いため、錨をつなぐ低次の短い鎖では水底に届かないからです。

七八.霊に生きる人(彼)は絶えず、いついかなる状況にあっても創造的な刺激の波動領域に居続けようとします。

七九.万一その領域が何らかの影響で危険に崩したら、彼は最大限に創造に依拠し、その最高度の波動力によって否定的なものから身を守ります。

八〇.彼は、自らの内で創造の本質が否定的なものに対する絶対確実な防御を生み出すまで、そうし続けるのです。

八一.人間はいつも何らかのものを担っています。

八二.多くの人々は自らの内に抑圧的な感隋を担い、他の人々は悲しみや心配事、いろいろな問題や希望、その他の物質的知性に根差した想念を担っています。

八三. 不安も、美醜を問わずあらゆる種類のイメージの想像も、物質的知性による思考に属しています。

八四.しかし霊に生きる人(彼)は創造的なもの、すなわち霊的なものを担っています。

八五、彼は創造の担い手、意識的な霊の担い手です。なぜなら、彼はいつも創造の法則の知識と能力を自らの内に担っているからです。そして物質的知性による思考の古い本性が彼を非論理の担い手にしようとすればするほど、彼は自らの内で創造的なものを優勢にして、しっかり定着させことに真剣に取り組むのです。

八六.たとえ極めて否定的な想念かやってきて、霊的知性による思考を破壊しようとしても、彼はそれさえも直ちに創造的な力と英知に変えてしまいます。

八七.こうして彼はすべてを創造的なものとし、それを自らの内に担うのです。

八八.そうすることによって彼は動く創造の寺院となります。

八九.創造に生きる人(彼)の知性はますます霊化されていき、次第に霊意識の奥深く進んでゆきます。

九〇.霊に生きる人(彼)はその認識能力によって、あらゆる事物の中にますます深く分け入り、万物に遍在する創造の炎の熱を捉えるのです。

九一. そうすることによって、霊的に考える人(彼)は遍在する創造の力と真理を至るところで認識および意識します。

九二.そのため日常感覚では認識されないものも、創造に生きる人(彼)にはより霊的、意識的に知覚されます。

九三.つまり彼は常にすべての事物と生命体の内に創造が遍在し、創造の法則が適用されているのを見るのです。

九四.彼は創造の遍在の力について霊的なイメージを持っています。彼の生命と「存在」の貴重なエネルギーをすべて創造の知識、その真理、力、英知、したがってまた自らの内に宿る創造の一部、すなわち霊の能力に捧げるのです。

九五. 地球上の物質的生命は、つかの間の芝居か、消えゆく現象のようなものですが、その背後には時間を超えた永遠の真理、すなわち霊、創造の遍在、そして創造の現実か横たわっているのです。

九六.この創造の現実は、それ自身の内に英知の能力のすべての王国と領域を宿しています。

九七.これは存続するもの、時間を超えて存在する不変なものです。

九八.それは芝居ではなく、時間を超えた永遠の真理と英知、知識、自由、愛、論理と能力、相対的完全性、そして絶対的な確実さです。

九九.非常に多くの人間は、創造に準じて生きることを恐れています。そして彼らは自分たちから死に対する不安を取り除いてくれる者、すなわち宗教の神のもとにのみとどまるべきだと思っています。神はその意図的な邪説により、全く自分自身の利益のために、彼らから死に対する不安を取り去ろと約束したのです。でも彼らか卑屈にも盲信的に神の嘘を信じることがその前提であり、そのため彼らは神の奴隷に成り下がり、意識の面で不自由になるのです。

一〇〇.このような宗教の邪説を絶えず繰り返されると、信者たちはまやかしの満足を見いだしたと思い込み、邪悪な狂気に支配されるのです。その狂気は、彼らに対してあらゆる意識的な理性を禁じます。それによって霊的知性で考えることも阻害、抑圧され、奴隷化されるのです。

一〇一.ごく少数の人々だけが創造に準じて生きることを恐れず、創造のみが生命と「存在」を保証することを知っています。なぜなら、それによって創造の法則が成就されたからであり、またこれら創造の法則が生命と「存在」を生命および「存在」たらしめるからです。


テーマ:
Eine lebenszeitige Partnerschaft erfordert wahre Liebe und eine ethische Gesinnung

「生涯のパートナーシップは、真の愛と倫理的な心情を要求する」

(注 Gesinnungは心情、物の考え方、心的態度等の訳語があるものの、私には確定できず、心情=「心の中にある思いや感情」を採用しました。赤ん坊にも通用するので。ひろ)

母や父として、真実の両親であることを引き受け、子供たちを産み、並びに、子供らを正直な方法で育て、世話をし、そして誠実で申し分なく教育するためには、男と女の、男と男の或いは女と女の間での相互のパートナーシップと同じ位に、まさしく真実の愛とそれから導かれる倫理的な心情を要求します。

これらの心情の形は、もっぱら、両親のためはもとより、成熟した子供や教育中の子供のために、更に、人間たちの間の夫々の関係や結びつきのために、道徳的な標準や規準、つまり、処置、行為や振舞いに関する責任を自覚した態度の最も高い規則の全体が習得され、保持され、そして遵守されることを、保証します。 

男と女、男と男、女と女、更に両親と子孫の間の、生涯の人間的-パートナーシップの関係や結びつきは、無条件で必要な心づかいと健全な考え方がそれに相応しくされるはずの、何か非常に重要なものです。

そのような関係や結び付きは、無思慮にではなく、つまり、盲目同然に、また完全に非常識に夢中になることからではなく、同情からではなく、利欲や利潤追求からではなく、名声や権力獲得、貪欲、渇望の理由からではなく、性欲の満足や大きな呼称や肩書きへの熱望からではなく、或いは他の道徳的見地から避けるべき理由からではなく、受け入れられるべきです。

そのような関係と結び付きは、それらが真実の愛に基づいて、そして必要な倫理的な心情の上に築かれた時にのみ、受け入れられるべきです。

生涯の関係と結び付きは、相互の自己-認識と相互の調和が満足であるという間違った意見に拠り所を求めるだけではないのです。と言うのは、生涯のパートナーシップの関係と結び付きに関するすべてのことは、深遠なところに根拠がある愛と倫理的な心情に根を下ろしているからです。

本当に正直な生涯のパートナーシップは、何らかの間違って同伴される想念と感情の一時的な満足感ではなく、それは非常に深遠なところでの責任の自覚に根ざしているのです。しかしながら、その責任の自覚は、真実の愛と倫理的な心情によってのみ発生でき、そしてそれはまた、仲間たちのためのすべてを包括する方法での真の共感と人間性のために必要です。

パートナーシップの中で、子孫は生み出され、養子にされ、或いは引き取って育てられますが、その時、そこにはまた、真実の愛と強い倫理的な心情が備わっていなければなりません。

既に妊娠中に、母を通して彼女の愛の結晶のために、真の愛と倫理的な心情は、大きな意味と意義があり、そしてまた、平和、調和と自由の想念と感情が、疑いもなく最も肯定的な効果を、まだ生まれていない生命に及ぼすのです。

もしも、母になろうとするものが、不機嫌、不安でいっぱい、欲求不満だったりすると、その時、まさしく母の肉体の中で成長しつつある子供の不健康な発育を促します。また、アルコール、喫煙あるいはドラグなども、同様です。

また、誕生後の初めの数週間は、乳児の脳の発達に関して、最も重要な時期を形成します。と言うのは、またこの最初の生存期間に、子供は真実の愛と倫理的な心情を注がれなければならないからです。何故なら、子供はそれを通して、既に、その新しい人生フェーズに於いて、意識的に、そして精神的に、形成されるからです。

また、母や乳母や父などとの肉体的な接触は、子供とって必要であり、本当に重大な意味を持ちます。と言うのは、この接触は既に確実な振舞い方を形成し、愛の発達そしてまだ無意識ではあるものの初期の倫理的な心情の発達に関しても同様に形成するからです。

また、子供は誕生後、既に純粋に肉体的に、愛に満ちそして倫理的-心情的な暖かい気持を必要としているのです。たとえ、何が自分の中でその暖かい気持を生じさせているのかを、子供が理性的に、また悟性的にすべてを認識できず、理解もできないとしても、です。

母が出産後に子供に成すべき、最初のことは、通常、子供を胸に抱き上げ、愛情に満ち、そして庇護する状態に保つことです。

その後、二番目の深部にまで達する行為として、母の胸での授乳が行われます。

(das Stillen=中性名詞は辞書にはなく、stillen の授乳するという動詞から推測。 ひろ)

このことはしかし、母が出産による自分の疲労困憊した状態にもかかわらず、真実の愛と必要な倫理的な心情を奮い起こし、それらが価値ある宝石のように働き、子供に母との関係や結び付きを知覚させる時のみ、正しい方法でうまく行くのです。

真実の愛と倫理的な心情が既に母の肉体で働いており、そしてそれは、出産直後に、人間にとって、まさしく、最も大きくて重要な役割を演じますし、また、全人生の間の、男と女、両親と子供たち、男と男、女と女の間のすべての生涯の関係や結びつきに於いても、更にすべての人間一般の間の関係と結びつきについても、同様です。

SSSC, 1. September 2011, 23.55 h, ビリー (翻譯 Hiro)

テーマ:

9439

ひろさん

寒かったけど

陽射しが戻ったら暖かだね

私は崖から落ちそうよ

(笑)


ご近所の 小山の タンポポ より


テーマ:

9438


ひろさん

朝寒かったけど

陽射しは暖かいね

風はちょっといただけないけど

まあ

元気に咲くよ


ひろっちの マーガレット より


テーマ:

9437


ひろさん

お花買ってきたんだね

植え替えで冷たかったんでしょ

まあよくやったわ

綺麗に咲いてくれたらいいね


ご近所の 綺麗なボケの花 より

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。