人生はアートだ!

・・・花たちから愛を・・・


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ひろさん

暑いね

上向いてくれた

ありがとう

私ら

五メートルでは聞かないから

首が痛くなるって

(笑)


ご近所の ネムの木の花 より

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ひろさん

今日は最高に暑くなりそうね

湿度は少し下がるようだから

私をみて涼んでよ

それと

まあ小田原の風鈴が

ちりんちりん



涼しでけでいいね


ご近所の 白いナデシコ より

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ひろさん

今日もどんよりなのに

むしむしだね

私らにはいいのだけどね

あんたは暑がりだものね

私のブルーで

涼んでちょうだい


ひろっちの アメリカン・ブルー より

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ひろさん
ちゃんとがんばらなくちゃぁね。
ご近所の ルリギク より
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Welt im Gleichgewicht durch Frieden

Frieden - Freiheit - Liebe

Ohne Kampf kein Frieden


von Brunhilde Koye, Schweiz


平和によってバランスする世界                     

平和 - 自由 - 愛                             

戦いなくして平和なし                         

       

ブルーニールデ・コーイェ(スイス)著


平和が - 人々が平和を切望しているように - 湾岸での終わった戦争行為を通じて再び知れわたり; また次のことも見えてきました。すなわち、もしも、このまま人々が自然の法則の中で明らになっている創造の法則と掟を尊重し、かつ遵守することを学ばないならば、「戦いなくして平和なし」が起こりうると言うことです。


このことは事実ですが、この事実は残念ながら、平和の探求者によって放逐され、そして明らかに顧慮されず、その故に誰の耳も、彼等の言う“平和のための闘い”について聞かないのです。


私達は“平和を夢見る”とか“平和のために祈る”とか言う、平和をもたらしもしなければ、それを維持することもできない、無数の実例をもっています。


実際、私達は世界の平和のために戦わねばなりません。


人は、自分が個人としてもまた平和のために戦わねばならないことを知るようにならねばなりません。


それでも、この大いなる目標 : ある日の “平和でバランスした世界” が到達されるうる以前に、まず、個々の人は自分の内部に、また周囲の世界を含めての自分自身に、平和を作りださねばなりません。


もし、人が “自由” の概念を正しく理解し、自由の価値を認めることを知っていたならば、大部分の戦争的な対決は存在しなかったでしょう。


しかし、まさに、その自由のために、つまり完全に間違って理解された自由のために、殺され、戦われ、多くの血が流されたのです。


もしも、“自由” の概念がよく吟味され、ビリーさんの書き物から引用されるならば、その時には多分、将来どんどん多くの人々が、彼らがそのために戦う前に、その目標について、創造の法則と掟の意味に於いて、自分たちが常に厳正に、正しく教えられるべきだと理解します。何故なら、人間の作った法則がそうであるようには、創造の法則と掟は決して改訂が必要になることはないからです。


「自由」は単なる自由な意見の発表以上のものを意味しており、活動、判断、行動や人間形成などの自由な選択をも意味しています。


なお実際に多くの事実が存在しており、それらがまず、真の自由に本来の基礎を与えます。例としては:


-義務承認の自由

-義務履行の自由

-法則と掟の承認の自由

-法則と掟の履行の自由

-すべての進化の自由

-愛の自由

-意識その他等々の自由


「法則と掟の履行の自由」 - この点について、私は細目にわたって同意します。何故なら、法則と掟の承認と履行ついての知識が世界の平和のために重要な点だからです。  


個人として、或いは集団に集まって生きるものとしての人は、どこに於いても常に同等を望みます。ですから、なにがしかの規則が必要なのです。


もしも、全ての人間のために、隠遁者のためにも、また家族共同体や同盟国や国家にとっても通用するような定められた法則と掟があり、厳守されていれば、規則はただ守って利益があるものであり、導いてくれるものであり、従うべきものなのです。


荒野の隠遁者自身、或いはそのように孤独に住む人は自分に規定、法則と掟その他を課し、それに従い、そしてそこからでてくる規則で生きねばなりません。そうしなければ、彼は命を失います。


同じことが、家族生活の中にも、国家の中にも、他の人間の生活形態の中にも入り込みます。このことはすべての動物や植物の場合にもまた存在します。


すべての人間的な生命形態は、想念、感情、行動等に於いて、最も近くにいるものとも根本的に相違しています。それ故に、二つの生命形態の間の一つの共同体はなにがしかの規則が用意されること無くしては、決して作り出されえません。その規則はある種の原則から成り立ち、そして、もしも同居が可能で保証される筈ならば、決められた物事が為されたり、或いはやめられたりしなければならないことを述べています。


一般市民と呼ばれる地球の多くの人々は、法則、掟、訓令や規定に対して、何百年、何千年以来、著名な哲学者、世界を変えようとした人、革命家等の名を挙げ、そして格闘するのです。


揉め事を引き起こす者によって、また責任を持つ者やそれらの手先によって、大規模で悪い戦争が起こされたし、また今でも起こされ、そのために、幾百万の人々が殺されました。


この全ての殺人やより多くの戦争を決定する論点は、一般に、法則、掟、規定や訓令等や、それらの遵守の必要性についての誤解にありました。


すべての理性に反して、必要な規則に逆らった首謀者、著名な哲学者、世界を変えようとした人或いは革命家は幾度も次のことを発見しました:彼等は民衆を煽動し、人垣によって殺害や撲殺を阻止することを解釈し - そして、今日でもすべての世界で行われているように、誤解された自由が、規則として与えられた規定に反する謀反へと促すが故に、これがすべてなのです。


人が法則と掟を発明したのではなく、それは創造の実存(Existentwerdung)によって、既に自動的に与えられているもので、絶対的な論理と愛、流れ出る霊的、物理的プロセスの首尾一貫性から成り立ち、そのプロセスによって、法則と掟は自然の中に自動的にとどまり、自然の中で、法則と掟は注意深い人には認識しうるものです。


そういう事情ですから、次のことは明らかです。つまり、法則と掟等に反抗する哲学者、世界を変えようとした人や躍起になって文句を言った人等は、惑わしのけもの道を疾走するのです。彼等は昔からこの方、人間或いは個々の他の生命形態は法則と掟を通じて与えられた規則なしでも、個として或いは共同体の中で生きることができると主張してきたのです。


そのような人間による、偽りで間違って生み出された哲学は、「誤解された自由」から成立したし、成立するのです。そして、この間違った哲学が人々を腐敗、戦争と革命、殺害と死へと駆り立てるのです。 


人間、植物或いは動物の生命形態が、単独で、好きなように意のままに生きることができるだろうと言う主張は間違いです。何故ならば、いずれの生命形態も、事実一つの定められた規則の中に順応すべきであり、そのことによって、初めて個体として、また共同体の仲間として、それらの存在が保証されるのだからです。


道に迷わされた者と間違って考える者は、一つの生命形態が、仮に他の生命形態の生活圏に進入しても面倒を起こさずに他の生命形態に自由に接することができると信じているのです。


自然、そして生命形態の個々の種や属は、それらが外面的に純粋に区分されており、内的生命においても最も近いものとも根本的に異なるように、創造的に形成されているのです。


そのことは次のことを明らかにします。もし、なにがしかの定められた規則や集団生活を保証するような、定められた法則、掟、訓令、規定そしてその他の原則が整えられず、或いは与えられていないならば、二つのほとんど同じような生命形態が、決して遭遇せず、自由な形で互いに生き、完全に進化することはできないだろうと言うことです。


「自由」は、人間が規律に従わず、目標なしで生きられるはずであるとか、生きることができると言うことを意味してはいません!


目標はしかし、法則、掟、訓令、命令等を必要とします。何故なら、規則なしにはどんな目標もこれまで到達されていませんし、いずれの前進も、いずれの安全保証も同様に、粉砕されるでしょう。


残念ながら、人間によって作られたすべての現存する法則や訓令は、原則からのものではありません。その原則は、個人の人間の個々の義務であり、間違った、非論理的な法則の廃止のために尽くすものであり、そして、良くて正しい法則のために、創造の法則と掟に従って闘うものです。


「自由」は、しかし、外面や物質の物事だけではありません。何故なら、外面的、物質的自由は可変性だからであり - 一方では、法則の与えられた外部規則によれば、領域が例です - 他方では、内部の真の自由による重要なことは、それから得られる外部における順応への理解を知らされ、その方法で人は自分の外部と物質の自由を絶えず作り出すことができるのです。これはまさしく人の真の内部の自由が作られるのと同じです。


もし人が内的に自由であり;また彼の全理性において、想念において、感情において、愛において自由であるならば、外的に、人はまずもって自由です。


もし、まず人が自分自身で自由であれば、その人は、そのことによってもっぱらすべての人に自分の目標を達成させられうるように制定された原則、法則、掟、訓令の避けがたい要求や重要さに気がつきます。


この原則は、個々の民族の集団にも、全人類にも通用し、また自ら目標を据え、それを達成しようとする個人にもまた通用するのです。


人間のみが目標を追及でき    

そして、人間社会で生き

法則、掟、訓令を承認し     

自分の中で必要なものとしてそれを命名し

進化と規則を守り        

そして、野蛮人のように生きることはない

野蛮人は規則なしに殺して生き   

そして、進化のために努力しないものだ

             (ビリー作)


次のことは論理的な断定そのものによって明らかです。すなわち、人間、つまり哲学者、世界を変えようとする人、宗徒、揉め事を起こす人、知ったかぶりする人その他の煽動者は規則に反対し、法則と掟、訓令等に違反する言い訳を色々なバリエーションで行います。


もし、この法則と掟、訓令や規定等の正しさと必要性が事実存在するのならば、煽動演説と規則への抵抗は一方では、そのような人間は一般に感性や生命の存在を把握していることを証言しておらず、他方では、規則への反抗演説は不遜、自己憐憫、誤解した自由を証言しており、なかんずく、そのような演説者、人間性を愚鈍化する者、戦争煽動者、そして悲惨を作り出す者は「人間」と言う名に値しないことを証言しています。


生命形態のこのようなカテゴリーには属さないために、私達は第一に自分で自分に戦いを告げましょう!  


私達は自分自身で次のもののために戦うことを始めましょう;


-先入観に囚われないこと

-論理に於けるニュートラルな思考(首尾一貫性)

-自己制御

-調和のとれた人格

-自分と隣人に対する、より多くの愛と理解

-徹底性と人助け

-自分自身での調和

-より多くの根本的な知識 等々


そして、次のことに対して戦いましょう。


-几帳面でないこと

-自己憐憫

-自惚れ

-不遜 …


…すべての悪の最も悪い悪の七七の内の幾つかの名をあげました。


もし、私達がこの目標の幾つかを達成したら、私達は自分自身の中に、平和のためのより良い前提を作りだすことになります。


私達が自分を “世界平和のための戦い” の仲間に入れるようになる前に、私達は自分と自分の仲間と共に自由の中に生きることを学ばねばなりません。


“平和でバランスした世界”は、個々人の自発性によってのみ達成されうるのです。


(Stimme der Wassermannzeit Nr.96 : 1995年9月24日発行 翻訳 ひろ)

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