政府は神へ犯した罪をどのように償えますか | ヨハネのブログ

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Meditation based on Bible truth

I am Japanese.  
I love Jehovah God and the Bible deeply.
I believe it's important to be faithful to the Bible.

 政府が神に対して罪を犯すことがあります。とりわけ、国家の政府のトップの罪を、エホバ神は重大視されます。


    昔、ソロモン王や、ダビデ王が罪を犯した時には国家が分裂するという国難が起きて、多くの国民が死ぬ結果になりました。


  それは、イスラエルのNO1であつた、ソロモンとダビデの罪のためでした。彼らの犯した罪は、一般平民の罪より、より一層重大な結果を招きました。



ソロモンの偶像崇拝は息子の時代に国家が分裂するという結果になった




 アハブ王の罪は、アハブの一族郎党が、全滅するという結果を招きました。アハブ王は、バアル崇拝を推進する妻の影響を受けるがままになつたためです。


 また、何者かが、神に捧げられる宝を盗んだ時には、イスラエルの国家の事業において、死者がでました。


 アカンが、神へ捧げられるべき宝を盗みました。その時には、約束の地の異教の民族を打ち払おうとしていたので、イスラエルには、神の助けがあって当然でした。しかし、アカンの罪のためにアイという小さな町に戦いに行った兵士の死者が出ました。


 その前のより大きいエリコに対する攻撃では、死者は一人も出なかったと思われます。


 政府の罪、とりわけ、神に捧げられるべき宝物を盗むことは、国民の死を招きます。


 ですから、もし、万が一、プラズマ武器で、アルメニア人に多くの人々の命が奪われるという事態が起こっているとすれば、まず、国家は、政府のトップに罪がないか、検討してみる必要があります。 


  個人的な盗みの場合は、クリスチャンはそのままにしておくようにと、助言されています。


 しかし、アカンの事例考慮すると、神に捧げられるべき宝物を盗んだ場合は、神の怒りを招き、おそらく国民に死者が出るようエホバは取り計らわれるでしょう。


 では、その場合、どうすればいいのでしょうか。とりわけ、政治のトップは、神に罪を犯していないか、正直に自らを吟味する必要があります。


 そして、当然、その罪を正す必要があります。


 ヨシュアは、アカンの罪を正しました。戦闘で死者が出たのは、どこに原因があったのかを、調査しました。(ヨシュア6:17-19,7:1,5,7:10-12,20-25) 


 その結果、アカンが、神に棒げられるようにと指示されていた宝物を盗んだためだと言うことが分かりました。


 それで、ヨシュアは、アカンとその家族を石撃ちにするようにして、事態を正しました。



ヨシュアは神の宝物を盗んだアカンを石撃ちにして神の前に事を正しました



 その後、約束の地で戦闘を続けるイスラエルが、その後の戦いで神の怒りにより、犠牲者が出るという状況は無くなりました。神の是認が戻つたのです。





  それで、エホバ神は存在しておられ、国家の事業に対して、ご自分がどのようにみなしているかを明らかにされるようです。


 こんなことは、とりわけ、キリスト教徒が、非常に少ない、日本のような国の政府では、信じられないかもしれません。


  おそらく、エホバ神は、どんな国家に対しても、その国家の事業に対して、ご自分の是認か怒りを表明されているのではないかと思います。


  日本が奈良遷都を、記念する事業を行なった時に、奈良遷都は仏教を高める事業であるからではないかと思います。責任者が、その事業が終わる前に、亡くなるということがありました。


 それで、国家の事業が、仏教や神道を高める場合、その事業のどこかで、神の怒りが表されるということがあるのではないかと思います。


 ダビデが、彼の晩年に、個人的に神への罪を犯した事がありました。(サムエル第二24:1,2)


  過去に人口を数えた時に、決して神の怒りを招くことはありませんでした。(民数記26:2-4)


 これは、おそらく、ダビデの支配下にあるイスラエル人を数えて、ダビデの権威を誇るという意図があつたために、神の怒りを招いたのではないかと思います。


 ダビデは、神への罪を正すためにできるだけのことを行ない、エホバ神に犠牲を捧げました。




 エホバの怒りはなだめられ、神への祈りが聞かれるようになりました。そして、イスラエルに臨んでいた疫病は、ストップしました。(サムエル第二24:25)


 それで、政治のトップができることとしては、まず、聖書の神エホバに対する罪がないかを正直に吟味する必要があります。


 そして、その罪について、祈りのうちに神に罪を告白し、キリストの贖いの犠牲に基づいての罪の許しをお願いできます。(ヨハネ第一2:2)


 そして、さらにできることとして、ダビデに見倣うことができます。ダビデは、エホバに求められた事を行ないました。


 エホバにモーセの律法下では、罪の犠牲に当たるものを捧げました。


 罪の犠牲は、祭司、王や君たち、一般人、民全体が罪を犯した時に、捧げるよう求められていたものです。(レビ4:3, 13,22, 23,27 ,28)


 長たち、すなわち、王や高官の罪の場合は、祭司の犯した罪に次いで、多くの犠牲を捧げることが、求められていました。それは、より大きな権威が与えられているために、その責任が大きいからでしょう。


 それは、その国家で、祭司の立場に立っている事が認められている人物に、その犠牲を捧げることができます。


 祭司の立場に立っているクリスチャンは、エホバの崇拝の促進のために、政府によって捧げられた罪の犠牲を、エホバの崇拝の促進のために、エホバに捧げることができます。


  祭司の立場に立つクリスチャンとは、エホバ神と政府また国民の間の関係を良いものにするために、エホバとイエス、そして、罪を犯した政府の間に立つクリスチャンを意味します。