「荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる場所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい,) その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。」(マタイ24:15~18)
イエスは、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが、聖なる場所に立っているのを見かけるなら、ユダヤにいる者は山に逃げ始めなさいと助言されました。このイエスの助言に注意を払わなければならないのは誰ですか。
まず、初期クリスチャンは、このイエスの助言を自分たちに文字通りに当てはめました。エウセビオスは自著「教会史」の中で,クリスチャンがエルサレムとユダヤの全地を去って,ペラと呼ばれていたペレアという都市へ逃れたことを述べています。それは、西暦66年にケスティウス・ガルスの率いるローマの軍勢がエルサレム市を包囲し,神殿の城壁の所まで進攻し、何ら明白な理由もないのに撤退した時のことでした。
現在のペラ-遺跡が残っている
このイエスの助言は、弟子たちの「イエスの臨在と事物の体制の終結のしるし」を求める質問に答えて与えられたものです。(マタイ24:3)イエスの預言は、まず当時のユダヤ教の事物の体制の終わりに成就しました。(マタイ23:38;24:2)しかし、一世紀には、イエスは王として臨在されることはありませんでした。ですから、この預言的な助言は、イエスが王として臨在される事物の体制の終結の時にも当てはめる必要があります。初期クリスチャンが山に逃げるというのを文字通りの行動が求められていると判断したのですから、事物の体制の終結の時にも、山に逃げるという文字通りの行動が求められていると判断するのが妥当です。
イエスが予告された未曾有の大患難は、人類にとって歴史上起こったことがなかったような患難となるはずです。(マタイ24:21)もし、世界が二つに分かれて核兵器、化学兵器、生物兵器などを使った国際戦争が起こるならば、それは未曾有の大患難となるでしょう。また最近開発されたと言われるプラズマ兵器などが使われるならば、人類に与える損害はさらに未曾有のものになるでしょう。イエスが予告された大患難は、人類が経験した二度の世界大戦よりももっと大規模で人類全体に災いをもたらす世界大戦でしょう。
ダニエル書には、最終的に北の王が南の王に攻撃することが預言されています。(ダニエル11:40)それは、イエスが予告されたとおり、未曾有の患難となるでしょう。また、啓示の書は、緋色の野獣が大いなるバビロンを攻撃して、火で焼き尽くすことが予告されています。(啓示17:16)それも、諸国家に未曾有の患難をもたらすはずです。
ですから、聖書の各書で予告されている患難は、同じこと、イエスの予告された未曾有の大患難でしょう。ですから、一世紀に攻撃されたエルサレムとユダヤは、事物の体制の終結の時の大いなるバビロンつまり南の王を予表していたと言えるでしょう。
では、未曾有の大患難が生じる時、山に逃げるべきなのは誰でしょうか。南の王の領域の神の民だけですか。それとも、北の王の領域の神の民も山に逃げる必要がありますか。当然、諸国家は、その戦争の時に用いられる兵器を全部用いることが考えられます。北の王の総攻撃は、南の王の反撃ももたらすでしょう。今、アメリカの大陸間弾道ミサイルは二分間以内に常時発射できる態勢にあると言われています。
そうした兵器の攻撃から逃れるための安全な場所として考えられるのは、人口の少ない山間部や田舎でしょう。ですから、現実的に考えて山に逃れるべきなのは、南の王の領域の神の民だけでなく、北の王の領域の神の民も含まれるでしょう。
イエスは「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が聖なる場所に立つことについて、「預言者ダニエル」の書を参照するようにと言われました。(マタイ24:15)その聖句は、ダニエル11章31節でしかありえません。同じ言葉はダニエル書にそこにしかないからです。そこには、北の王が「荒廃をもたらす嫌悪すべきものを必ず据える」ことが預言されています。
私は以前は、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」とは、現在の国連だとみなしていました。しかし、現在の国連は、南の王が設立したものなので、それは現在の国連ではないと思います。「嫌悪すべきもの」とは、将来北の王が設立する新しい国連、もしくは、国連の一つの新しい組織だと思います。
聖書の中で「嫌悪すべきもの」とは、偽りの神や偶像などのエホバ神以外の崇拝の対象になるものを意味しています。(エゼキエル20:8、列王第一11:7)ですから、嫌悪すべきものが聖なる場所に立つとは、北の王が「嫌悪すべきもの」を神の民によって崇拝されるように取り計らうことを意味しているのではないかと思います。おそらく、「北の王」また「嫌悪すべきもの」は、自分に対する崇拝を要求して、神の民が定期的な神への奉仕を捧げないように命じるのでしょう。(ダニエル11:36)
「北の王」また「嫌悪すべきもの」に対して盲目的に従うことは、偶像崇拝です。それは、野獣に対する崇拝です。エゼキエル書は、神の民、おそらく祭司級の一部が偶像崇拝に屈してしまうことを予告していました。(エゼキエル44:10,13;48:11)また、北の王を表す「小さな角」が「真理を地に投げつけ」、「常供のものが取り去られる」ことがダニエル書の中で預言されています。(ダニエル8:9,11,12)政治組織に盲目的に従ってエホバに対する定期的な犠牲をささげることをやめてしまうことは偶像崇拝と言えます。
おそらく、エホバへの崇拝を継続するためにも、山に逃れることが必要になる時が来るのでしょう。イエスはご自分の弟子たちに、迫害されたら、他の都市に移動するようにと言われました。(マタイ10:23)私たちは、世界のどこに住んでいても、将来山に移動することを念頭において、エホバへの崇拝を断固として続行していきましょう。
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