「わたしはシオンに帰り、エルサレムの中に住む。エルサレムはまさしく真実の都市と呼ばれ、万軍のエホバの山は聖なる山と呼ばれるであろう。・・・『わたしはこれらの日に再びエルサレムに対し、またユダの家に対して良い事柄を思い定めるのである。恐れてはいけない。』・・・こうして多くの民また強大な国民がまさにやって来て、エルサレムで万軍のエホバを求め、エホバの顔をなごめようとするであろう。」(ゼカリヤ8:3,15,22)
聖書は神の民が拠点を山に移しエホバの崇拝が再興することを預言している
昔、エホバは、ご自分の民の不忠実さのために、ご自分への崇拝をいったん途絶させ、その後悔い改めた民のために再興されたことがありました。このことは、この終わりの時にも再び起こることが予告されています。預言は、神の民が偶像崇拝に陥ること、しかし、悔い改めた神の民は、エホバへの崇拝を再び始めて、その崇拝の規模は、以前のものより大きな国際的な規模になることが預言されています。
エホバは、一時的に神殿が破壊され、ご自分への崇拝が途絶することを許されました。しかし、冒頭の聖句にもあるように、悔い改めたユダヤ人のために再び良い事柄を思い定め、多くの諸国民がエルサレムで再びエホバを崇拝するようになることを預言させました。このことは、昔、小規模に成就しました。預言者ゼカリヤの励ましで、エホバの神殿は再建され、エホバの崇拝が再興されました。イエスが地上に人間として生まれた時、エルサレムには、エホバの神殿があり、多くの諸国民がそこに集ってエホバへの崇拝を行なっていました。(ヨハネ2:13,14。使徒2:9-11)
しかし、ユダヤ人は、メシアを退け、殺害し、イエスの弟子たちを迫害したので、エホバは地上のモーセの律法を中心としたユダヤ教の体制を終わらせました。(マタイ23:37,38)そして、エホバはクリスチャン会衆をご自分の民として選ばれました。
クリスチャン会衆は、この終わりの時に世界的な拡大を見てきました。しかし、聖書の預言は、そのクリスチャン会衆が小さな角である北の王のもたらす迫害のゆえに、「違反」に陥り「真理」が投げ捨てられ、エホバへの定期的な奉仕が行なわれなくなることを預言しています。(ダニエル8:9,11,12)
また、神の民は、荒廃をもたらす嫌悪すべきもの、すなわち北の王によって建てられる新しい国連のもたらす圧力に屈してしまうことが預言されています。(マタイ24:15。ダニエル11:31)北の王は、新しい国連を用いて、世界的に宗教を統制し、エホバの崇拝や奉仕も禁止することでしょう。従来の聖書の預言の解釈に従っている神の民は、その圧力に抗することができないでしょう。神の民の世界的な伝道は、次第に衰退してしまうことが預言されています。
しかし、そうした事態の進展を見た神の民は、崇拝の拠点を山に移すことでしょう。(マタイ24:15,16)そこでエホバの崇拝が再び行なわれることになるでしょう。ダニエル書も神の民が拠点を山に移すことになることを預言しています。(ダニエル11:41,45)
啓示の書の預言は、大患難が始まる前に、神の民の数が誰も数えつくすことのできない大群衆になることを預言しています。神の民は大患難を生き残ります。(啓示7:9,14)このように、聖書の預言は、この終わりの時に、神への崇拝の途絶と再興と世界的な発展があることを預言しています。
エホバの崇拝は再び、国際的で大規模なものになることがゼカリヤ書の中でも預言されています。「多くの民また強大な国民がまさにやって来て、エルサレムで万軍のエホバを求め」ること、また「諸国のあらゆる言語から来た十人の者が、ユダヤ人である一人の者のすそをとらえ」、「わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです。」ということが預言されています。(ゼカリヤ8:22,23)
私たちは、何よりも、聖書の研究を続ける必要があります。この終わりの時に、聖書が預言しているのは、何なのかを正確に見極め、その解釈が聖書によって裏付けられているかどうかを検討し続ける必要があります。これからも、是非、私のブログを助けにして、聖書の預言の研究を続けられるようにお勧めしたいと思います。
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