創世記2章・エデンの園の場所はどこですか | ヨハネのブログ

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I am Japanese female Christian Masako
Katahira, age 66.

I stay at Kagoshima,Japan after 2-year-stay of Yerevan, Armenia from September 2022.
I love Jehovah God and the Bible.
I explaine Bible
prophecies in my
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「さて,川がエデンから発していて園を潤し,そこから分かれ出て,いわば四つの頭となった。第一のものの名はピションという。・・・また第二の川の名はギホンという。・・・また,第三の川の名はヒデケルという。・・・そして,第四の川はユーフラテスである。」(創世記2:10~14)


 

エデンの園はもともとどこに位置していたのでしょうか。それについては、推測の域を出ません。

 

その地理上の位置を見極めるおもな手がかりは、川が「エデンから発して」、その後四つの「頭」に分かれ、ユーフラテス、ヒデケル、ピションおよびギホンという名の川を生じさせていたという聖書の記述です。(創世記 2:10‐14)ユーフラテス川はよく知られています。「ヒデケル」は古代の碑文の中でチグリス川に対して使われている名称です。しかし、他の二つの川、ピションとギホンについては、今日どこに流れていたのかはわからなくなっています。

 

下にチグリス川とユーフラテス川の写真をアップします。

 

 

 





 

 

 


                      

 

 

 

ヨハネのブログ-チグリス川

 

                             チグリス川

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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                              ユーフラテス川

 

 

 

 


エデンの園の位置として指摘されている所は、人類が大洪水後の早い時期に文明を発達させた場所の比較的近くにあります。学者たちが一般に受け入れている見方を、P・J・ワイズマンは次のように言い表わしています。

「我々が有している現実の証拠,つまり創世記,考古学,および人間の伝承という証拠はすべて,メソポタミア平原を人間が住んだ最古の場所として指し示している。中国のものであろうとインドのものであろうと,極東の文明はその民族の古さの点でこの土地には太刀打ちできない。そこは文明のゆりかごというその主張を容易に立証できるからである」―「創世記に関するバビロニアでの新発見」,1949年,28ページ。

エデンの園は、メソポタミア平原にあったでしょう。ペルシア湾に流れ込む二大大河のチグリス川、ユーフラテス川の生み出した肥沃な平原がメソポタミア平原です。しかし、メソポタミア平原のどこでしょうか。

下部メソポタミアのペルシャ湾の湾頭付近、チグリス川とユーフラテス川の接近する辺りのどこかがエデンの位置ではないかと論じる人もいます。そうした人々は、ピションとギホンをこの二つの川の間を結ぶ運河と関係づけてきました。しかし、そうなると、これらの川は一つの源から分かれ出る分流ではなく、本流に注ぎ込む流れであることになります。

むしろ、ヘブライ語の本文は、ユーフラテス川とチグリス川が現在その源流を有する地域のどこかすなわちメソポタミア平原の北にある山岳地帯を指し示しています。それで、アンカー・バイブル(1964年)は,創世記 2章10節に関する注解の中で、「ローシュつまり『頭』の複数形はここでは上流を指しているに違いない。」と述べています。

エデンの園は、チグリス川、ユーフラテス川の上流のメソポタミア平原の北にある山岳地帯のどこかにあったと考えられます。

 
 
 
 

 

 

 

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 伝承によるエデンの園の位置としては、アララト山の南西約225キロ、ヴァン湖の数キロ南、現在のトルコ東部の山岳地帯にあったのではないかと久しく言われてきました。


 

ヴァン湖の写真は、拡大できれいな写真があります。トルコing べとうぞ。


 

ヴァン湖とは、ワン湖とも言います。トルコ語でVan Gölü。トルコ共和国最大の湖で、イスタンブールから東南東へ1,642キロ、アナトリア東部、イランとの国境付近に位置し、湖面は海抜1,719mです。琵琶湖の5.5倍に当たる3,713平方メートルの塩水湖です。


ワン湖。アーモンドの花が満開のアクダマル島とそこに建つアルメニア教会(聖十字架教会)の遺跡。この教会は10世紀初め頃に建築された修道院複合施設である。奥にはシュプハン山トルコ語版)が見える。

gozturk - Originally posted to Panoramio as Akdamar Adası- Bahar, Akdamar Island - Spring time

The Akhtamar Island in Lake Van with the 10th century en:Cathedral of the Holy Cross, Aghtamar.

 

 

周囲の山々から注ぐ小さな川はいくつかありますが、流れ出る川はありません。インジケファリというニシンの一種が獲れます。湖の東岸にヴァンの町があります。また北西側にはシュプハン山 (4058m) 、南側にはイフティヤル・シャハップ山脈といった、美しい山々に囲まれています。


 

伝承によるものであっても、エデンの園の跡地の写真を準備することはできませんでしたが、伝承によるエデンの園の近辺にあるトルコのヴァン湖の写真をアップします。下の写真は、トルコのヴァン湖の衛星写真を含む写真です。

 

 

 

 

 

 

 

 

エデンの園は、山々など何らかの自然の障壁によって囲まれていた可能性があります。なぜなら、アダムとエバが出て行った地点である、園の東にのみ、ケルブたちが配置された、と書かれているからです。(創世記 3:24)つまり、園の東以外は山々に囲まれていて、守られる必要がなかったのでしょう。

楽園の園からアダムが追放されたのち,エデンの園は、『それを耕し、その世話をする』者がいなくなりました。ですから、エデンの園は、動物だけがそこに住む、ただの自然の豊かな場所となり、最後には押し寄せる大洪水の水によって跡形なくぬぐい去られてしまったのでしょう。そして、エデンの園への道をケルブで守られたというのは、誰もそこに来ないようにするのが、神のご意志でした。ですから、エデンの園の正確な所在が分からなくなったのも神のご意志であったでしょう。

 

ユーフラテス川とチグリス川が現在一つの源から出ていないこと、およびピション川とギホン川に当たるものを確定できないのは、恐らくノアの洪水の影響によって地形が変わってしまったのでしょう。ノアの洪水によって、ある川の通り道は埋まり、他の川が造り出されるなど、地形に大きな変化が生じたに違いありません。

 

 


伝承によるエデンの園の近くに標高5000メートルを超えるアララト山があります。下にアララト山の写真をアップしました。アララト山とは、ノアの箱船が降り立った山です。(創世記8:4)

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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              アララト山

 

 

 

 

エデンの園は、実在したのです。私たちは聖書からエデンの園での出来事を読む時に本当に起こった出来事として読むことができます。
 

 

 

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