マタイ12章・許されない罪とは何ですか | ヨハネのブログ

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マタイ12章・許されない罪とは何ですか


「人はあらゆる種類の罪や冒とくを許されますが,霊に対する冒とくは許されません。」(マタイ12:31)


イエスは、人があらゆる種類の罪を許されますが、霊に対する冒とくは許されないと言われました。許されない罪である霊に対する冒とくとはどんな罪なのでしょうか。


イエスは、当時の敵対者たちについて、もし、彼らに対してイエスが話していなかったら、また業を行なっていなかったら、彼らは罪がなかったでしょうと言われました。ところが、彼らは神の霊がイエスの上に働いた結果であるイエスの強力な言葉や業を見たり聞いたりして、その上、イエスを退け反対しました。それゆえに、彼らは、『自分たちの罪に対して何の言い訳もできない』と、イエスは言われました。(ヨハ 15:22~24)


また、別の時にも、イエスの敵対者たちは、イエスに関して、「彼には汚れた霊がついている。」と言いました。彼らはイエスの言葉や奇跡などの業など、神の聖霊の働きの表明を見聞きしました。その上で、それらを故意に悪意を抱いて、悪霊の働きに帰しました。それで、イエスは彼らに、「聖霊を冒とくする者には永久に許しがなく、その者は永遠の罪を負うのです。」と言われました。(マルコ3:29,30)


このことは、ひとつには、知識がより大きな責任をもたらすことを示しています。知識が与えられて、その上、罪を犯した場合、神の霊に対して故意にそれと知りながら逆らう可能性は高くなります。それで、故意に犯された罪は、許されない可能性が高くなります。


しかし、今日、イエスは存在しておられませんし、私たちは、イエスの言葉や奇跡を見聞きすることはありません。では、どのようにして、聖霊に対して、冒とくの罪を犯すのでしょうか。


私たちは聖霊の働きである奇跡を見ることはありませんが、それでも、今日、聖霊は働いています。聖霊は今日でも、み言葉を通して、また神の言葉を語る奉仕者を通してある程度、働くことでしょう。そうした聖霊の働きに逆らうことは、ひいては聖霊に対する冒とくの罪を犯すことにつながるでしょう。


聖書は「神の聖霊を悲しませることのないようにしなさい。」と戒めています。(エフェソス 430聖霊に対する罪にも軽重があるのでしょう。聖霊の導きに逆らい続けるならば、ひいては聖霊に対する冒とくの罪を犯すという結果になりえます。


イエスの奇跡を見なくても、聖霊に対する罪を犯しえることは、次の言葉から明らかです。「一度かぎりの啓発を受け,天からの無償の賜物を味わい,聖霊にあずかる者となり,神の優れた言葉と来たるべき事物の体制の力とを味わっておきながら,なおも離れ落ちた者たちについては,そうした者たちを再び悔い改めに戻すことは不可能なのです。」(ヘブライ646)


言い換えれば、聖書の知識が与えられる時、ある程度、私たちは聖霊の働きを見聞きすることになります。でも、一度、聖霊の働きにより、真理に入り、その上、離れ落ちるならば、もう悔い改めの余地がなくなっているかもしれません。というより、その人の心はかたくなになって、罪を後悔して、悔い改めることがなくなります。結果として、その人は許されないことになります。それで、許されない罪とは、おそらく当人が悔い改めて立ち返る気持ちがなくなることを意味しているでしょう。


ヘブライ書の他の箇所にも同じ趣旨のことが書かれています。ヘブライ 10章26,27節には,「真理の正確な知識を受けた後,故意に罪を習わしにするなら,罪のための犠牲はもはや何も残されておらず,むしろ,裁きに対するある種の恐ろしい予期と,逆らう者たちを焼き尽くそうとする火のようなねたみとがある」と述べられています。(ヨハネ第一 2:1;3:4,9,10)


例えば、ユダ・イスカリオテは、「滅びの子」と言われています。(マタイ17:12)これは、ユダ・イスカリオテは、イエスの宣教期間の最初から、イエスの身近にいて、イエスから真理の正確な知識を聞いていましたが、金箱から金を盗んでいました。(ヨハネ12:6)それで、彼は、正確な知識を取り入れた後、故意に罪を習わしにしたので、悔い改めることができませんでした。ユダ・イスカリオテは、自殺しましたが、復活することはありません。


それで、聖霊に対する冒とく、許されない罪とは、故意の罪であることが分かります。また、それは、繰り返し犯される罪です。また、それは、真理の正確な知識を取り入れた後に、聖霊の働きに対して、故意に逆らうことが関係しています。そうするならば、聖霊に対する冒とくを犯して許されない罪を犯す危険があります。


しかし、言うまでもなく,そのような罪人の心の態度に関する最終的な裁き主は神です。(エレミヤ 7:16。使徒 7:60) 聖書時代に、ありとあらゆる罪を犯したユダの王マナセも許され、クリスチャンの迫害者であったサウロも許されました。それで、私たちは誰が聖霊に対して冒とくする許されない罪を犯したかを判断することはできないでしょう。


しかし、私たち自身は、自分に関して聖霊の働きに逆らって悔い改めることのできない心の状態になって許されない罪を犯さないように、故意の罪を繰り返し犯すことのないようにすべきです。