先日、図書館戦争という映画を観て来ました。
検閲なる言葉に、『公共の権利は個人の権利より勝る』という言葉を思い出しました。
確か、今度憲法の条文に書かれるんだったかな。
これって、かなり危険?
無関心があとあと手に負えない事態を作る
有川さんもここのところを考慮に入れて作品を描いたのかな、などと考えているところです。
憲法のことはちょっとよこにおいて、言葉について、
図書館戦争の中にもありましたが、差別用語ってなんでしょうか。
どんな言葉も差別する気持ちがあると差別用語になるし、そんな気持ちがなければ差別用語にはならないと思うのです。
いくら言葉を置き換えても、差別は人の心の中にあって、言葉にはないと思います。
それとは、別に英訳を改訂する本もどうなんだろう。
例えば、ロアルド・ダールのチョコレート工場の秘密etc. 先日の映画化を機に中身を全部改訂して、エンターティメント色を濃くしたように思います。
もちろん、言葉はその時代に合わせて変わっていくものだけど、そしてグローバル化とともに人々の感性も変わっていくけれど、速過ぎて…。
私達が読んでいた本はもう古典かな。
などとちょっとため息。