土曜日。
ダーリン殿と神戸のIKEAに行きました。


その時に2時間ばかりもらって、加古川に住む友人と会いました。


その友人はアバター仲間。
アバターとは意識を学ぶメソッド。
世界各国で勉強会を開催しています。
5年前の大阪に始まり、アメリカやオーストラリアなどに行って学びました。

1年3か月前、その友人から関野あやこさんのことを教えてもらい、YouTubeでメソッドを聞くようになりました。

それは、新しい地球の生き方。

目からうろこがぽろぽろ剥がれ落ちるような。

ズームがぐーーーんと引けて見えてくるから、今までとは見える角度が違う。
全体像が見える。


今までの地球の生き方。
それは、制限や概念や法則や常識という枠の中で生きる生き方。
それらをたくさん作り出し、狭い狭い価値観の中で生きてきた。
当たり前に、あたかもそれしかないように。

無限にある選択肢の中から、小さな小さな豆粒のような制限を選んで体験してきたなんて。


私たちは元々波動の高いエネルギー体。
この地球を体験したくてやってきた。
でももともと波動の高い私たちは、波動の低い地球にはなかなか降り立てない。

そこで、「罪悪感」と「無価値感」などの地球でいうネガティブと呼ばれるバイブレーションを使って、自分自身をたくさん分離させ、弱々しいエネルギーにしてやっと地球に降り立った。
だから何かをしようとすると、「できない」「無理」「不安」「恐怖」などのネガティブな感情が出てくるのは当たり前。

例えば
力のなさ、不安、嫉妬、後悔、挫折感、焦燥感、孤独感・・などネガティブと呼ばれる感情は「罪悪感」や「無価値感」が根底にあります。


力のなさを感じるから、外に力の証明をしようとする。
認められたい。
必要とされたい。
褒められたい。
愛されたい。
成功したい。
・・・と思う。
根底に無価値感があるから。

でも外によって満たされてもそれは一時的なもの。
中を満たそうと外に求めても、外には何もない。
力の証明をしようと勝ち負けをする。
そして、戦争にまで発展してきた・・



今までの生き方は、努力や忍耐、根性、犠牲などがよいこととされてきた。
時には妥協も。

嫌だけどここは合わせないと。とか、
人のために自分は身を切るような犠牲を払うとか。
それらは、いいこと、評価されること。美徳。
もっと言えば当たり前、だった。


でも、地球は随分前から流れが変わってきていて、今までのやり方をしていてもうまくいかなくなったり、崩壊していったりしている。
政治や経済、企業も。生き方も。自然も。
今までの在り方を問うため、さまざまな出来事を起こしている。自分自身で。集合意識で。

本来の自分自身で生きるために。
そのままの生き方でいいのですか?
これからもそれを続けますか?と自分に問うために。

きっと、気づくまで自分の潜在意識は起こしていくのだと思う。ターニングポイントにするために。


今まで地面ばかり見てきたのを仰ぎ見るように上を見上げると、もっと雄大なところがあることに気づく。
そして、そこに出ることを選んでいいんだって気づく。

元々の高い意識で生きていい。
昔も一部の高い意識の人たちがいた(神官とか)
そして高い文明を作ってきた。
今の技術でも作れないような建造物を造ったり、解明できないものもたくさん。
概念を使うとできないけれど、概念を外すと出来ることがある。
岩は重たいという概念を使うと持てないけれど、概念を使わず軽石のように軽々と運ぶことも選べる。すぱっと切ったり、プリンのようにぷるぷるさせてピタッと断面をくっ付け、隙間のない岩の建造物を造ることもできる。
高い意識は宇宙意識と近いからコンタクトが取りやすく、インスピレーションも入ってくる。

高い意識で存在するには肉体を脱がないといけなかったり、まだまだ地球で制限を体験したいという眠った意識が当時は主流だったため、いくつもの高い文明は滅びてしまった。
高い意識が奏でる招待状を受け取る人がいなかった。

でも今は高い意識で存在できる。
宇宙のサポートが入り、高い意識で生きたいという存在が圧倒的に増えて主流になってきて、流れが変わった。



私たちの現実は私たちの意識で作られている。
ただ私たちの意識が反映されている。

私たちは3%の顕在意識で生きていて、97%の潜在意識は使えていない。

私たちの潜在意識にあるものが現実を作っているのなら、現実に対処するやり方は終わりにして、潜在意識に持っているネガティブなバイブレーションを手放した方がいいと思った。
もう、不安や嫉妬や心配や恐怖など、問題を作り出しては解決し達成感を得る(力を感じる)サイクルをお終いにしたいと思った。
もう、十分体験してきた。
もう、作り出さなくていい。
もう、そこに力を感じたりしない。


外に意識を向けるのではなく、自分の内側に意識を向ける。

今までは外に向けていた矢印を、自分に戻す。ベクトルを自分に向ける。
自分はどんな風に感じているのか。
今、何がやりたいのか。
どこに行きたいのか。
何が食べたい?
何がわくわくする?
自分の声に耳をすます。
もう適当に合わせたりしない。
きちんとNoも言う。
思ってもないこと、合わせた話もしない。
「わかるわ~~~辛いわよね~~」と低いところで共振するのをやめる。
感じたことを話す。
わくわくに動く。
わくわくに動いて、出てきたバイブレーションは手放す。
現実は、感じるのではなく自分の持っているバイブレーションを手放すのに使う。


そして、どんどん周波数を上げていき、
本来の自分自身と繋がってわくわくと調和に満ちて生きていく。


自分の中が調和に満ちていると、外側の世界も調和に満ちるのは自然のこと・・。

そこにいきたい。
それを選択したい。
いつも。どんな時も。


相手を変えようとするのではなく、
相手を批判したり攻撃するのでもなく、
持っているバイブレーションを手放すことで自分のいる次元を変える。
高いところに移動する。シフトする。

それが、新しい生き方。


私たちは概念、制限、法則、常識の中で生きている。
それは概念だよ、と言っても分からないかもしれない。
みんな概念にどっぷり浸かって生活しているから。

男はこうあるもの、女はこう。
大人はこう、子供はこう。
二十歳はこう、三十歳はこう、六十歳はこう。
こうしたら、こうなる。
ああしたら、ああならない。
概念や法則通りに体験している。

体も大いに概念の影響を受けている。
病気も自分で作り出したもの。
本来の自分からずれて無理をしていると、痛みという形で潜在意識はサインを出す。それを聞かずにいるとサインはどんどん大きくなり、病気という形になったりする。
本来の周波数に戻ると、病気の周波数から外れていきます。
怪我などの回復も概念通りを体験していたり。
おもしろいほど概念だらけ・・。
概念から外れると、軽やかでシンプル!


自分が現実を作っている。
本当は被害者も加害者もいない。
あの人にあんなこと言われて嫌な気分になった。とか
この人がこんなことをするから腹が立つ。心配だ。落ち着かない。迷惑だ。
とか
「外によってされている」ものは本当はなくて、自分の持っているバイブレーションを、そのバイブレーションによって映し出された現実を体験しているだけ。
実はあの人のせいじゃない。

これ、おもしろいなぁと思う。
バイブレーションが先で、現実が後。
現実によって感情が生まれるのが当たり前だと思っていたのに。
そうではなくて、自分のバイブレーションによって現実は作り出されている。
これを嫌と言うほど体験した時期があり、よーくわかった。
そう、わたしが全てを作っている。


「自分が現実を作り出している」
というところに立つと、
愚痴や悪口、噂話もなくなるよね。
会話が変わるよね。
みんな、わくわくを話すよね、きっと。
想像するとわくわくする。

その立ち位置で言葉を発すると、わくわくを共振できる。
今までの「できない」を共振して慰めあうやり方ではなく、
頭の音でもなく(知識だけで体感を伴わず話すのではなく)、
コミュニケーションの取り方も変わってくるよね。
「聞いてよ、大変だったの~」に「わかるわかる、それは大変だったね~!」みたいな図式はなくなっちゃうね。


わくわくで作られたものを着て、
わくわくで作られたものを食べ、
わくわくで演奏されるものを聞いて、
わくわくで描かれたものを見る。

わくわくが電波で伝わるので、それはもう受け取る方もわくわくするでしょうね。

いいエネルギーが流れているものを選択するようになるんじゃないかしら。

素材は大切。でもそれを扱うエネルギーもそれ以上に大切だと思います。

見えないけれど、確かにある。
確かに感じる。
それを選択する。

それが、新しい生き方。

それを選びたい。
いつも。どんな時も。



手放す方法など詳しいお話は関野あやこさんのYouTubeにあります。
新しい惑星の生き方は、聞いているとわくわくします。
ご興味あったらぜひご覧になってください。
教えてくれた友人には感謝の気持ちでいっぱいです。



最近のお昼ごはん。


たまごがすきです。

食べることは地球だけのお楽しみなんですって。いろんなおいしいもの食べなきゃ。

今週もよい時間になりますように。