「子どもの居場所づくり」というフレーズは、多くの自治体でよく耳にするフレーズ。今も昔も子どもには、居場所が必要であって、それをどのように創出するかは、各地域の課題でもある。されど、子どももいずれは大人になる。

大人になると居場所はできるのか。そんなもんでもないと思う。しかし、成長段階の中で、多様なコミュニケーションの手法や考え方が身に付き、居場所を自ら確保する、創出する動きは出てくるかもしれない。ただ、いずれにせよ、大人になれば居場所ができるというわではない。

 

つまり、大人も必死に居場所を探し続けているんではないかと。そんなことを思いつつ、ソーシャルセクターの仲間と、そうした「大人の居場所づくり事業」をやってみようという話になった。もう1年半くらい前の話になる。

 

特に、社会活動に参画しているソーシャルな人たちの居場所づくりを目的とした「ソーシャルスナック」という名の、スナック開催。お酒を飲みながら、いろんな話をする。話を聞くのはソーシャルな運営者たち。もしかしたら、そこで新しいアイディアや出会いがあって、共創につながるかもしれないという期待もある。

 

 

社会活動に参画しているち、一見ネットワークが拡がっているように感じるけれども、ふと気が付くとそれは団体や業界を越えたものではなく、限定的なネットワーキングだったりする。しかし、そんなかしこまらずに、息抜きもかねて、ソーシャルな様々な人たちと気軽にお酒が飲める場、そんくらいの緩さの場もあってもいいのかなと、考えた。


まずは、一発やってみようということで、平成が終わろうとしていた4月27日に、湯島の歓楽街のお店をお借りして。ソーシャルスナックを開店。お店の規模もあるので、少数限定でお客さんを募集して、水商売としては大して接客せず、会話でおもてなしをするソーシャルな運営者たちでしたが、ソーシャルスナックはそれで良いと正当化。

 

 

しかしやってみると、改善点も多くみつかるが、やっぱこういう「場」ってのが結構ニーズあんだろうなと実感。ソーシャルなお客様のバラエティも豊かで、病児保育や高齢者福祉、放課後支援、LGBTQ、大学教員などなど、お客さん自体がメニューを彩るって感じがした。

 

 

これもこれでありだなって。少しずつ定期開催していくと、これはこれで面白いのかなと、平成最後のイベントでした。

メディアはその時々の受け手の状況によって受け止め方が様々だ。それを確認する作業は、時にものすごく面白く、また紛争も起きる。映画の醍醐味は、映画を観終わった後に、一緒に観た人と食事や酒を飲みながら、それぞれの感想を交換することまで含めると感じているが、まさにそこの部分なんだと思う。

 

受け止め方は、受け手の受ける瞬間の精神的状況や生活環境、友人・家族関係なども大きく影響する。そうなると、同じ受け止め方をできる瞬間は同じ作品でも存在しないのかもなと思ったり思わなかったり。

 

2019年前期のNHK朝ドラ「なつぞら」を珍しくも毎日観ているんだけど、なかなかはまっているというか、好き、されど考えさせられる。主人公の奥原なつ(なっちゃん)は戦争孤児として北海道・十勝の牧場に引き取られ、その後の人生が進んでいく。北海道の大自然と、開拓者たちの強さと哲学に、とても感じることが多いドラマと勝手に盛り上がっている。やはり、まちづくりなどに関心が強いせいか、開拓者たちがどのような想いをもって地域を拓いていったかという部分に特に反応する。

 

その一方で、震災後の福島ととても縁をいただいて仕事をしていることも相まって、時折ドラマの中で福島とシンクロする場合がある。全156回の中で、まだ1/10程度しか終わってないので、そこまでの部分だけど、以下の点がひっかかった。

 

米兵からチョコをもらってとっさに「I love America」

なっちゃんがまだ東京で浮浪者だった頃、靴磨きをして生活をしていた。米兵の靴を磨くと代金とは別にチョコレートをもらったりする。その際にとっさに出た言葉が、代金の御礼には「Thank you」で、チョコの御礼には「I love America」という言葉。子どもたちの順応性と生存本能は、フィクションではないことくらいは知っている身としては、なかなか響いたシーンだった。この部分でなんで福島とシンクロしたか意味不明かもしれないが、その場に適したとされる、欲しがる言葉、時には耳心地が良い言葉を選ぶ反射神経を、福島の子どもたちは震災以降身に着けたケースが多く感じる。2011年の震災と原発事故以降に避難してきた子どもたちには、そういった「誰かが欲しがる言葉」が真意なのかという問いを意地悪にも投げかけるようにしている。けしてそれが戦争被害の子どもたちと一緒な部分ではないけれども、僕ら大人も含め、社会はいつも子どもたちの順応性に甘えて、それを良かれと思っているんではないかと、少しはっとしたシーンだった。

 

なっちゃんが怒れない問題

物語の前半はなっちゃんが見知らぬ土地である北海道・十勝に引き取られるところがメインになる。あまりにも文化も環境も違う中で、「良い子」でいようとしているのか、子役のマッチングもあり、めちゃくちゃ良い子。こんな養子ならば、我が家でもと日本中から声がかかりそうな設定でもあるんだけど、やっぱりそこは色んな不条理に我慢をしていたりする。戦争という子どもにはどうしようもない不可抗力の犠牲になった中で、不平不満がないわけがない。それでも、我慢をしてきたなっちゃんは、「怒る」ことをギブアップしたのか、怒り方がわからない。それは周囲から見ると異常で痛く感じてしまう。ここ数年間、福島の小中学生と接してきて、どうしようもない不条理に怒りを露わにしてくる子にほぼ出会ってこなかった。これは、福島に限らず全国的に青少年が抱えている問題なのかもしれない。本来どうしようもない不条理にあふれている社会に対しての怒りは持ってしかるべきなのかなと感じている身からすると、原発事故からの避難などで複雑な環境下におかれた子たちこそ、その怒りを表現していくことが成長過程で必要なんではないかと感じている。なっちゃんが怒ること、怒りを超えていくことを推奨して受け止めた家族のように、それを大人も社会もやらなきゃなんじゃないのかなって思った。表現や演劇などはまさにそれを疑似的にさせるものだけど、やはりリアルでとことんさせるのもありなんだと思う。2016年に避難先の飯舘中学校で行われた「帰村をするか、しないか」をテーマに探求学習を行い、ディベートをしたという学びなどはまさにそうだったと聞いているが、そういうことなんだと思う。どうしようもない不条理が多い社会の中で、どうやって闘うのか、そして未来を切り拓くのかの教育を全国でしていかなければ、空気を読むことのうまい人材しかいない、つまんない国になってしまうと思う。

 

まあこんなことを感じながら朝ドラを観ていたのは、この間読んでた「除染と国家 21世紀最悪の公共事業 (集英社新書)」の影響が大きい。だから、次読む本によって、朝ドラがまた別の世界に感じるかもしれない。

 

 

見慣れている景色とのシンクロがすごかったために、読み切るのに時間がかかった。それに加えて、当時の国家サイドで携わったひとたちの顔もよぎって、何が何だかわからなくなった。それでも、そこまで悩ませてくれる情報量と調査に、著者のジャーナリストとしての姿勢と調査報道のあるべき姿を垣間見た。

 

お腹いっぱい。草刈正雄かっこよすぎ。

 

 

 

統一地方選挙後半戦の開票速報をBGMに作業。これで4年に一度の選挙の春が終わる。多くの知人友人が絡むこのイベントは、ある意味オリンピック的な位置づけなのかもしれない。

 

今回の統一選では、障害を持った当事者候補者の動向が気になった。大きな理由は、かねてから相談を受けていた全盲の方が、選挙に打って出たということがきっかけなんだけど、その候補者に関わることで初めて見えてきた選挙の景色もあった。全盲の人が見せてくれる景色ってのはなんだか不思議だが、それは公選法が障害者の候補者を前提としていない設計だということを教えてくれた機会になった。

 

「眼鏡はOKで、白杖がNOってのは限界があるでしょう」

そういった投げかけをとある選挙管理委員会にしてみた。問うたのは、立候補者の政策を掲載してくれる選挙公報の証明写真。私たちは今回、全盲の候補者であることを示すために、肩に白杖をかけた写真をあえて使用を申し出た。眼鏡は体の一部とみなして、白杖がみなされないことはないってのが我々の理屈でもあるのだけど、少しひねくれた挑戦だった。しかし、白杖も盲導犬も、聴導犬も、もっといえばガイドヘルパーも、障害を持っている人にとっては身体の一部同様であることは世間に示したかった。

 

結果は、白杖が映る写真を掲載してくれて、国内では珍しい証明写真を認めてくれたことになった。これは単にごねたという話の自慢ではなく、障害を持っている人が公職を目指したときに、当落の審判を受けるまでにいくつも闘いがあることを知ってもらいたい。そうした障壁を一つ一つ超えていく先に、当選という大きなわかりやすい結果が待つのだが、小さな勝利も大いに喜んで、誇りに思うべきだと思う。

 

今回も統一戦では、全国各地で障害当事者の立候補が目立った。結果は今日の後半戦が終わってみないとわからないが、なかなか厳しい現実が待っていた。ただ、それでもそのチャレンジそのものに大きな意義と、いくつも勝利が存在していることも見てもらいたい。公選法やその後の議会活動には、障害を持った当事者を想定していない制度やルールが多々存在する。そうした状況を変えていけるのは、やはり「当事者」の存在が大きく、彼らが勇気を出して当事者性を訴えることが、多様な人が存在する社会の豊かさを確保するための第一歩であると感じている。

 

それにしれも、基礎自治体の開票結果はまだまだかかりそうで、今夜も遅くなりそう。そわそわして待っているみなさまご苦労様です。どういう結果であれば、素敵な地域づくりをしていきましょう。

 

 

気が付けば、年度末。明日は福島県の公立小学校の卒業式ということで、これから前泊に移動なんだけど、卒業式を目前に少し新年度を考えられる隙間ができた。新年度は新たなチャレンジをいくつかするので、その中でも下町×定住外国人というチャレンジは、ここ半年ずっとアンテナを高くして過ごしているテーマだったりする。

 

昨年は、国会でも外国人の労働に関する議論が行なわれ、メディアも世論も関心が高まったのは記憶に新しいのかなと感じてる。この議論に関しては様々な視点があるし、賛否もあった。個人的な興味としては、国会審議や制度設計の中で人が見えているのかどうかという部分だったりする。つまりは、制度は整えたのかもしれないが、こういった異文化を越えて協働を促す案件は、制度だけではなく受け入れるコミュニティ、人を整える必要が不可欠だということ。その観点で考えると、日本は、制度に見合うほどに、人やコミュニティへの整備を行ってきていない。その不完全な状態でどのように押し寄せる異文化を受け入れていくかは、これから深刻な課題となって各地域が向き合うものだと感じている。

 

そんな中で、次年度に台東区でチャレンジするのは、90以上の国や地域からの方々が居住する台東区を多文化共生の視点で子どもたちにアクティブラーニングの手法を活用して切り取ってもらおうという試み。詳しくは、後日概要を説明したいと思うが、とにかく子どもたちを活用して、江戸から続く古き良き下町、時々悪しき慣習の巣窟に対してアプローチをしようというもの。そんな企画をここ半年動かしていることもあって、先述の問題にはめちゃくちゃ敏感でになっている。

 

 

そんな敏感な中で訪れて見たのは、上智大学で2月11日に開催された「ここがおかしい日本の移民政策」というイベント。何にびっくりしたかとうと、その注目度の高さだった。会場から溢れるほどの来場者の多さに、頭の中少し混乱。こんなに多くの人たちが、昨年の政府のスタンスに批判的だったにも関わらず、色々すんなり通ったこと、この人たちはその時何をしていたのかなって疑問もあったりなかったり。まあ、それは置いといて、こんなに関心が高いのはすごいなと正直驚いた。

 

 

内容は、研究者がそれぞれの関心について報告をしているものだが、どうしても反体制的な表現が多く感じて、もう少し踏み込んで建設的な話も聞きたかったなと思ったり。その中でも、やはり関心分野は「教育」で、外国にルーツを持つ子どもたちへの日本における対応について整理つく機会となったので、満足。正直、この辺を乗り越えていくものは、細分化してサポートと同時に、外国人云々を越えたアクティブラーニングを活用した多文化共生の教育しかないと思った。それは、日本人が国際的に活躍するために不可欠な要素でもあるし、双方にとって良い仕掛けのヒントになるものだと思う。なので、やはりこの道しかないと思うわけです。

 

さて、上智大学でのイベントは一定の学びがあったわけだが、話は戻って台東区。そんなこんなで台東区内で行われている日本語教室にも情報収集に通っているのだけれども、そうした教室を運営しているのは何でもない区民有志だったりする。けして専門職として日本語教師をしている人ばかりではなく、それどころかむしろそういった人は少なく、みなそれぞれの手法で外国人に日本語を教えている。されど、その姿勢がとても良いなと見学をしながら感じるわけです。高度な議論は大いにするのは結構だし、しなきゃならないんだけど、それとは別に現場で生身で体感している人たちが何よりも制度を支えるプレイヤーだなと。いろいろな思惑のもとに外国人へ門を開くのは大いに良いと思うが、来た方々が日本での生活に色々な面で豊かさを感じてもらうことが、本来であれば受け入れる国の責任でもある。そこを想定して制度を設計する必要性が不可欠だけれども、どうしてもそこは後回し。そうした中で、連綿と地域の中で日本語を教えているボランティアサークルの方々には頭が下がるし、この人たちこそがコミュニティの国際化を促すプレイヤーだと感じる。

 

 

こんな素敵な台東区の生涯学習センターを使って、区内の外国人に日本語を教える教室が複数開催されている。やっぱり、グローカルな仕掛けが必要で、アクションはローカルでどんどん起こしていくことが、国の制度を補完する役割に発展していくのだと思う。先述のイベント参加では、学びと同時に虚しさも感じたのは、声高に批判をする人たちが、地域で何をしているかということなんだと思う。中には、両方をやっている人もいるのかもしれないが、なんかローカルでのアクションがなく、文句ばかりの方々も多かったのかと感じてしまった。

 

自戒の念も込めて、課題を生活レベルに翻訳して、まずは地域や生活周辺で何ができるのかを考える。そこから多文化共生の在り方を検討したいなと思う年度末なり。

よくある「忙しいアピール」は日本独特のものなのか。それともどこの国にも「忙しいことがカッコいい」とか「大変だ!大変だ」と言っていることが尊敬を集めると勘違いしている人は多いのか、とても気になる今日この頃。なんてったって、日本はとても多い気もするし、それを美徳だと勘違いしている人も多いと感じている。

 

長時間働くことが好きな人は働けばいい。ただ、それが偉いだとかカッコいいとかは個人の趣味の世界なのだから他者を巻き込まないほうが良い。個人的には、短時間でこなせるのであればこなして、他の事に時間を使ったほうがいい。例えその「他のこと」が遊びであろうとボーっとする時間だけであろうと、意味もなく終わらせる作業を終わらずに机に拘束されていることのほうが大いなる無駄だと感じる。

 

その一方で、「遊び」や「余暇」を後ろめたさを持って表現する風潮もある。それは何故だろうかと心から思うが、先述の「忙しいアピール」のとてつもない弊害で、只々呆れるしかない。だって、それが何も生み出さないどころか、人の豊かさの足かせになることがわからないってのに心から呆れる。

 

ここ最近、子どもたちの放課後を豊かにすべく取組んでいる仲間とよく意見交換する機会に恵まれている。学校に適応しない類の私からすれば、放課後だけで息をして育ったといっても過言ではない。学校と家の間に位置する放課後、子どもたちは学校と同等それ以上の時間を放課後で過ごし、それは単なる「何もない時間」ではなく、そこでしか得られない体験や知識と出会う時間なんだと思う。欧米では、学校教育と同じような位置づけで子ども若者の放課後に注力をしている。その背景には、学校教育とは異なる社会教育の場としての理解がある。遊びを通じた主体性の醸成や人間関係の構築、異なる世代との交流、地域や社会とのつながりの体感など、放課後における学びの可能性は無限にひろがっていることを、教員も保護者も社会も認めている。

こうした時間のことを日本語にすると「余暇」という言葉になる。そして、欧米ではこうした時間を担当する先生やユースワーカーのことを「余暇の先生」や「余暇の専門家」といったりする。これは言葉の問題なのかもしれないが、日本ではこの表現を聞くと何が何だかわからない感じになると思う。

2017年に視察をさせていただいたオーストリアの公立小では、余暇の先生が放課後だけではなく昼間の授業のサポートも行っていた。教科学習と余暇活動が表裏一体となって子どもたちの成長を後押ししているということを、公は勿論のこと現場の教員も大切な要素として理解をしていた。

 

 

写真のモヒカンの方が余暇の先生なのだが、ヘアースタイルは奇抜だが、その考えや発言は教育者そのもので、こういったギャップも含めとても魅力的な教育環境だと感じた。

 

余暇とは何なのか、放課後は何を目指すのか、そういった問いをまわすことが無く、日本的なモノサシであてはめることはとても残念なことになりかねない。特に、時は2019年、来年には教育改革と言われている2020年を迎える中で、学校教育だけでは補えない社会教育の場として放課後が果たせる可能性にもっと社会的に認知をあげていかねばならないと思う。公教育で完結できない部分を、放課後や家庭が補完していくことは時代の要請でもあると感じている。

学校では出会えない多様な人材や多世代との出会い。さらには実社会とのつながりを感じる場であったり、あらゆる社会活動への参画など、放課後の活用は無限にひろがっている。アクティブラーニングなどをうたう前に、「余暇」や「遊び」に否定的な風習を除去していくことを率先して行っていくべきだと思う。日本が変えるべきは、制度よりも見えない何かを変えることがより効果的だと思う。

それができれば、おのずと豊かな教育活動は創られていくだろうし、その先に豊かな人材がどんどん増えて、社会はさらにわくわくするんだと思う。

「近々お電話しても良いですか?」

久しぶりにとある中学校の先生からのメッセージ。いつでも良いと返事したら、数分後に電話が鳴った。3学期に入って落ち着いてきたかと尋ねると、なかなか波は高いままで、バタバタしているということ。何の電話なのかと話を聞くと、年度が始まってからの対応で苦労した今年度を教訓に、年度内から次年度に向けての計画を立てていきたいということだった。こちらとすると、その話は昨年の秋の段階で提案していたことなので、何ら不思議なことではないどころか、「ようやくきたか」という感じでもあった。しかし、先生の話を聞くと、ここに行き着くまで様々な「情報戦」が職員室内で行われいたらしく、その諜報活動?の結果、ようやく電話をする段階になったと、そう理解した(笑)

ようは、人事の問題なんだろう。一般的には、3月中旬くらいに内示が出て、卒業式を終えて、翌週くらいには人事が明らかになっていく。しかし、その前段階から調整やらで様々な動きが出る。そうした一連の流れやパズルの組み立てから、予想を立てて先読みをしながら動く人たちも出始める。残留が見えてきた先生たちは、今年度の反省に基づいて、次年度に向けてより良いカリキュラムづくりに動き出し、そんな界隈から連絡が入ったということだった。

 

そんな電話をいただきながら、最近教育関係者や研究者に会う度に話題にあがる「教員の働き方改革」を思い出した。働き方改革はいまや流行語の枠を超えて、権利の主張に気軽に使われるようになった。働くということは人間の社会生活の営みに欠かせないことで、より良い環境で働き、豊かな生活環境を整えていくことはとても大切なことだと大いに賛同する。

 

その一方で、社会のそういった流れをそのまま教育行政、学校が受け止められるかというと、それはなかなか難儀なことだ。OECDの中でも最も忙しい日本の先生、それをどう改善できるのかはそう簡単ではない。

今年の1月25日の中央教育審議会答申第2章「学校における働き方改革の実現に向けた方向性」では、

〇 教員勤務実態調査(平成28年度)においても、小・中学校教師の勤務時間は、10年前の調査と比較しても増加。主な要因は、①若手教師
の増加、②総授業時間数の増加、③中学校における部活動指導時間の増加。

〇 働き方改革の実現には、文部科学省・教育委員会・管理職等がそれぞれの権限と責任を果たすことが不可欠。特に、文部科学省には、学校と社会の連携の起点・つなぎ役としての機能を前面に立って果たすことが求められる。

 

といった、「あたりまえ」の答申が示されているが、そう簡単じゃないから現場は苦労しているんだってことが、わからないうちは学校の働き方改革は絵に描いた餅どころか、現場の怒りを買うだけのお花畑な論に過ぎない。職員室での人間ドキュメントが理解できない中央教育審議会では、この問題はいっこうに解決できないと思う。

まず、10年前の調査と比較して勤務時間が増加しているのは、上記で示した3つの主な要因以外にもある。それは、学校や教師に対しての外部の扱い、社会における立ち位置の違いがある。この間、モンスターペアレンツという表現も生まれたり、コミュニティスクールのような仕組みも増えた。学校が地域に開かれることは時代の要請でもあるが、それに伴う調整コストを制度設計側も学校外の人たちも、どう考えているのか。

そして、その次の「それぞれの権限と責任を果たすことが不可欠」っていうやつ。そりゃそうなんだけど、それできてる組織や省庁ってどこがあるのだろうか。「人間の脳は10%から15%しか使われていない、100%解放すると超人になれる」ってな話にも聞こえるんだけど、それって実際に出来るのか。もちろん果たしていくことを目指すことはしなければならないけれど、ここで現実的なのは「管理職」くらいで、あとはかなり懐疑的にならざるを得ない。

 

さらには、「文部科学省には、学校と社会の連携の起点・つなぎ役としての機能を前面に立って果たすことが求められる。」ってのは、どこの地域のどういったものを想定して話しているのか意味がわからない。文科省は制度設計をする場で、起点・つなぎ役の機能を前面に立って果たすことができる組織ではないんじゃないのかな。天領みたいな地域があるのであれば、そこで実践すれば良いんだろうけど、1700以上ある基礎自治体の個性もある、培ってきた文化も歴史もある、それに紐づく公立小中学校は多様であるから故にテンプレートができない。そのことは日本の地域の多様性を誇ると同時に、どのような組み立てがその地域にあっているのかを丁寧にやらねばならない。その業務を文科省が担うのであれば、それは正直文科省もかわいそうだし、地域も混乱をする。やはり、地域総がかりの教育づくりや都道府県と基礎自治体が連携をしながら創っていく、それを文科省が応援してあげるという形が良いように思える。

 

そして、冒頭の某中学校のケースから思うのは、学校・教員の働き方改革を行うのであれば、組織内の政治を理解して調整を行っていくプレイヤーが不可欠なんではないかということ。これは、今の教育行政の中には存在しないポジションでもあるから、イメージしにくいが、組織内で行われる様々な政治的事案に対して、管理職と教員、地域と教員、基礎自治体・教育委員会と学校などの間に立ちながら「地域総がかりの教育」を実現させていく役割。

 

国会であれば、表舞台で論戦を展開する議員や答弁する大臣などではなく、裏側で調整を主に行い、政党間で合意を取り付け論戦の場を整える国会対策委員会や議院運営委員会などのメンバーを指す。働き方改革は、それぞれの得手不得手を明らかにし、本来やるべき役割や職務に専念することが求められる。学校や教育を取り巻く環境が激変している状況下で、作業を細分化し、役割分担をしっかり行うことが教育全体の質を向上させるものでもあると考える。そうであれば、部活も外部連携も役割分担できる業務であるし、教員の負担軽減には適している。そうした答えは多くの現場が見えているにもかかわらず、そのポジションへ文科省も教育委員会も価値を認めてくれない。そうなると、自分たちでやるしかない。

結果、教育に求められる社会からの要請ばかりが時代の中でふくらみ、現場をさらに圧迫させる。親はわが子のことだから、出来る限りの教育投資に熱を帯び、さらに教員へプレッシャーをかける。そして、現場はさらに疲弊しながら、離職する人が増加する。誰も幸せにならないスパイラルをどこかで断ち切るためにも、現場に即した働き方改革は急務。外部人材の活用が盛んになりつつあるが、本当に必要なのは職員室内への外部人材の投入なのかもしれない。
 

ドキュメンタリー映画人生フルーツ。
 


冬、平日、午前中、住宅街、という集客にはまったく持って適さないであろう環境下に、行列ができている摩訶不思議。封切から1年半くらい経過しているのに、摩訶不思議アゲイン。

 

 

でも、上映が始まった数分したら、摩訶不思議感は一蹴され、なんて豊かな映画なんだろうかと静かな感動が込み上げてきた。人生フルーツと言うタイトルは秀逸で、様々な色の果実が見えてくる素敵な作品だった。映画はすべてがそうかもしれないが、受け手の人生経験やその時の精神状態によって多様な感じ方があると考えているが、この作品はまさにそれそのものだった。

作品を観ながら、自己との対話を求められるような、自身の経験と重ねたり未来を想像したり、はたまた豊かさへの問いを考えさせられたりと、脳内も感覚もぐるぐるになった。それでも、残るのは幸せな気持ちなのだから、それがすごい。

 

一昨年に青少年活動の視察でヨーロッパを訪れた際に、ほぼすべての団体で子どもの権利条約の理念を耳にした。その中でも印象的だったのが、「子どもは大人に向かう半端な存在ではなく、子どもという完成体であり権利も個性もある」という表現だった。それはそうだなと当時思ったことが、人生フルーツを観て、高齢者という表現で社会的弱者や要援護者とくくられる方々にも通ずるものであることを考えた。

超高齢社会の日本において、高齢者の生き方そのものをきちんと考えていく必要がある。しかし、それらは要援護の対象とした入口ではなく、その層が持つ個性や尊重するべく豊かさの理解から始めないといけない。若い世代のモノサシで、高齢の方々をはかることはナンセンスで、そこでもやはり当事者の声に耳を傾けることが大事になる。そういったきっかけになる作品が人生フルーツなのかもしれない。

現在、福島県富岡町から郡山に避難している高齢のおばあちゃんたちと映画づくりを行っているが、人生フルーツの主人公夫妻を観ながら、郡山のおばあさんたちも重なった。人の幸せや豊かさは何なのか、故郷を追われたからといって不幸なのか、そうじゃない笑顔を見せてくれているおばあちゃんたちは何者なのか、などなど複雑に絡み合う中でこんがらがった。そんな中でもわかるのは、人間は強く、とても豊かで、輝き続けれる可能性を秘めているということかなと思う。

上映機会は少なくなってきていますが、お近くで上映の際は是非とも御覧ください。その時々の状態で収穫できるフルーツは異なれど、きっと美味しいと思います。

僕らが小中学生だった20世紀末、「塾」はあたりまえに存在し、ほとんどの子どもたちが習い事の一つとして学習塾に通っていた。我が家は色々変わった家だったので、習い事には前向きな親だったが、塾に関しては消極的だった。部分的に塾にお世話になることはあったが、縁遠い存在の塾、そうした経験からか、未だに少し縁遠い存在でもあったりもする。

そんなことを意識したのは、NHKで放送している土曜ドラマ『みかづき』。

 

”学校教育が太陽だとしたら、塾はその光を十分吸収できない子供たちを照らす月”

 

戦後復興からの激動の時代の中での教育について考えさせられるのはもちろん、「学習塾」が社会背景の中でどのようなニーズのもとに生まれてきたのかがすんなり理解できる。

 

繰り返しになるが、僕らの子どもの時代は既に「あたりまえ」にあって、その存在に疑義を持つ者はあまりいなかった。今の日本でもそうだけど、皆が良いと言っているものに、その根拠も考えずについていくことは当時の塾を後押ししている人たちの中にも多くいたのかと思う。そういう気持ち悪さが子どもながらに感じていたのか、学校学力の重要性には理解はあったが、なかなかすんなり受け入れることができなかった。しかし、もし学習塾文化の背景にこうした時代の中での社会的要請があったことを子どもなりにも理解できたならば、もう少し見方が変わったのかなと思う。小難しいガキだなと我を思うけれど、「あたりまえ」を言語化して理解させることは、やっていかなきゃなと改めて感じた。

このドラマを観ながら同時に思い出したのは、この2年間学習支援に入っている福島県飯舘町立飯舘中学校のことだった。飯舘中は、今年度から村内での学校再開をしたが、昨年度までは避難先の仮設校舎で学校活動が行われていた。仮設校舎での最後の年となった2017年、僕らが総合学習のサポートに入るちょうど前日夜に飯舘中で「放課後塾」がスタートした。未曽有の原子力災害からの復興に向かう飯舘村が挑戦する教育の新しいカタチに賛同した花まる学習会による公教育×学習塾の新たなチャレンジだった。

Yahoo JAPAN!ニュース
2017年3月30日 原発事故・避難解除に揺れる飯舘村が学習塾とめざす「留学生も呼べる学校」

 

2017年5月16日 飯舘村 この4月に移住第1号は塾の先生

 

仮設校舎で1年、村内での新校舎で1年の計2年間、学習塾の先生がいるこの学校で学習支援を行ってきたが、学習塾の先生というよりも飯舘中の大事な一部分を担っているパーツであり、飯舘中の先生という表現が正しいと思える取組みだと感じている。今年度の総合学習では、村内のフィールドワークに花まる学習会の会田完三先生も一緒に自転車で参戦してくれた。避難から7年以上たち、村内で自転車に乗る経験がなかった子どもたちと一緒に楽しんでくれた。

 

 

上記の記事のように、村内への帰還が許可されて最初に移住した会田先生の想いは本物だし、彼が描こうとしている新しい教育のカタチは公教育に大きな石を投じるものだと思う。

行政も教育行政も、さらには学校組織も、どれも公共分野は官民連携がものすごく難しい。他方で、未曽有の状況下からの復興に向かう被災地の中では、これまで見ることのなかった官民連携による教育のモデルも生まれつつある。

 

太陽と月のように、教育を豊かに充実していくためには不可欠な官民連携。学習塾発展の社会的背景からすると、どちらも「公共」に資する大切な存在であるわけだから、組めないはずがない。

 

 

独立するって表現っていろんな分野で使われているけど、どの分野でも一度はやってみるべきだと心から思う。働き方のことでいうと、組織内での労働から独立すると日本ではなかなか厳しい扱いを受ける。それは税制や社会制度全体が組織労働を前提として設計されていることにも関係するんだけど、やはりサラリーマン国家なんだと思う。

それでも、独立してみたら良いと思う。物事がどう動いているのか、社会がどう回っているのか、経済が、お金が、人が、、、、いろんな景色が変わると思う。

逆に言うと、それをやらないと見えてこない本質的なものも多い。サラリーマンはよくもわるくも自身が何のために働き、何を通じて社会とつながり、寄与していくのかという問いをまわす機会が薄いように思える。これって、持たなくてもいい問いだと言えばそれまでだけど、やっぱり政治意識の強い僕らにとっては、大切な問いだと思う。

組織内労働に従事をしていると納税への意識も薄い。何がどう引かれているのか、確定申告をする人はそんなに多くない。そうなるとその払った税金が何に使われているのかという民主主義の市民のチェック機能にも悪影響を及ぼしているのは残念だけど事実だと思う。

 

 

そんな日本人にとって、この本はかなりわかりやすく社会とのつながりを見せてくれる気がした。社会という漠然とした存在を、自分の生まれ育った地域に置き換え、地域に関与をすることについて、今の地方創生やまちづくりなどのフィールドで示してくれる。

 

結果それは政治に関与することであり、民主主義の成員としての責任を共有する意味にもつながっていくと感じた。みんながみんな脱サラして独立する必要はないし、そんなことになったら日本社会は破綻してしまう。されど、仕事だけじゃなく、いろんな活動の中で独立して物事がどのようにまわっているのかを体験することは大いに良いと思う。

 

それをやらないと誰かの言いなりの人生になるし、誰かが設計した社会の押し付けになってしまう。独立をして、両方の視点を持つことが、人生の中には不可欠なんじゃないのかなと感じている。

年が明けて2019年となると、ラグビーワールドカップが秋に、そして来年には未来の行事と思ってたオリンピック・パラリンピック東京大会が開催される。ついこの前「TOKYO」という発表で猪瀬都知事が歓喜の渦にいたのに、その後のリオ大会の閉会式には小池知事になっていたりと、月日の移り変わりは色々早い。

 

そんな2020年を目前としながら教育分野が直面するのは2020年教育改革という問題。段階的に既に改革に向けての変化が始まっているんだけども、改めて教育分野の改革は難しく、時間がかかるものだなと感じる今日この頃。そんな改革の中で、「カリキュラム・マネジメント」という言葉をよく聞くようになった。かなり前からカリマネは当然のことと認識して意識をしてはいたが、現場はなかなかそうではない。

 

文科省によるとカリキュラム・マネジメントの三つの側面として以下をあげている

  1. 各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校の教育目標を踏まえた教科横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと。
     
  2. 教育内容の質の向上に向けて、子供たちの姿や地域の現状等に関する調査や各種データ等に基づき、教育課程を編成し、実施し、評価して改善を図る一連のPDCAサイクルを確立すること。
     
  3. 教育内容と、教育活動に必要な人的・物的資源等を、地域等の外部の資源も含めて活用しながら効果的に組み合わせること。

何を一般的な感覚というかは難しいが、民間的な考え方をすれば、カリマネは当然というシンプルで冷たい言葉での一蹴になるけれど、そうはいかないのが教育行政でもあり行政分野全体に通じる文化なんだと思う。ようは民間的な感覚を持って学校運営をするということ、それが苦手なのが学校でもあり行政でもあったということ。

 

 

カリマネは前提としながらも、地域の中でまちぐるみで公教育カリキュラムを組まねばという考えに基づいて動いている中で、改めてこの本を読んでみると、それはそれで勉強になった。この本は、主に新潟県における教職員の方々の実践を軸にカリマネを説明していて、各地で様々な面白い実践に挑戦していることが伺える。

他方で、感じるのは、やはり先生個人の力量によるものが現段階では大きくて、学校単位のチームとしてどのように実践していくべきかという問いは残ってしまう。カリマネは、いい先生1人がいても無理なわけで、教科横断はもちろん学校をパッケージで組んでいかねばならない。そういった部分をどのように克服していくのかが、教育改革が本物の改革になるかどうかの重要な部分でもあると思う。

「いい先生にあたって運がよかった」みたいなことが公教育で起き続けることはやはり考えねばならないし、いい先生にあたることは尊いことでもあるけど、先生云々だけではない学びの価値や、実社会の中でどう活躍できる能力を育めるかを、学校はもちろん地域、行政など地域総がかりで考えなきゃならない。それが、本当の意味での地域づくりにつながるんだろうし、地域が欲しがる人材の育成にもつながるんだと思う。

 

しかしまあ、カリマネを通じて、行政的な悪しき慣習や文化が教育行政の中に根強く残っていることの難しさを改めて感じた。横の席で何をやっているか見えていても見えてないふりをする。そんな行政の文化を職員室に持ち込んでいたらカリマネなんて2020年どころか2030年になってもできない。それをできない人間に代わってAI先生のほうが合理的なカリマネをやる可能性から取って代わられるかもしれない。人が人を育てられなくなる社会は見たくないな。

 

官民連携でマクロとミクロの視点双方を持ち寄ってチャレンジするしかない。