気が付けば、年度末。明日は福島県の公立小学校の卒業式ということで、これから前泊に移動なんだけど、卒業式を目前に少し新年度を考えられる隙間ができた。新年度は新たなチャレンジをいくつかするので、その中でも下町×定住外国人というチャレンジは、ここ半年ずっとアンテナを高くして過ごしているテーマだったりする。
昨年は、国会でも外国人の労働に関する議論が行なわれ、メディアも世論も関心が高まったのは記憶に新しいのかなと感じてる。この議論に関しては様々な視点があるし、賛否もあった。個人的な興味としては、国会審議や制度設計の中で人が見えているのかどうかという部分だったりする。つまりは、制度は整えたのかもしれないが、こういった異文化を越えて協働を促す案件は、制度だけではなく受け入れるコミュニティ、人を整える必要が不可欠だということ。その観点で考えると、日本は、制度に見合うほどに、人やコミュニティへの整備を行ってきていない。その不完全な状態でどのように押し寄せる異文化を受け入れていくかは、これから深刻な課題となって各地域が向き合うものだと感じている。
そんな中で、次年度に台東区でチャレンジするのは、90以上の国や地域からの方々が居住する台東区を多文化共生の視点で子どもたちにアクティブラーニングの手法を活用して切り取ってもらおうという試み。詳しくは、後日概要を説明したいと思うが、とにかく子どもたちを活用して、江戸から続く古き良き下町、時々悪しき慣習の巣窟に対してアプローチをしようというもの。そんな企画をここ半年動かしていることもあって、先述の問題にはめちゃくちゃ敏感でになっている。
そんな敏感な中で訪れて見たのは、上智大学で2月11日に開催された「ここがおかしい日本の移民政策」というイベント。何にびっくりしたかとうと、その注目度の高さだった。会場から溢れるほどの来場者の多さに、頭の中少し混乱。こんなに多くの人たちが、昨年の政府のスタンスに批判的だったにも関わらず、色々すんなり通ったこと、この人たちはその時何をしていたのかなって疑問もあったりなかったり。まあ、それは置いといて、こんなに関心が高いのはすごいなと正直驚いた。
内容は、研究者がそれぞれの関心について報告をしているものだが、どうしても反体制的な表現が多く感じて、もう少し踏み込んで建設的な話も聞きたかったなと思ったり。その中でも、やはり関心分野は「教育」で、外国にルーツを持つ子どもたちへの日本における対応について整理つく機会となったので、満足。正直、この辺を乗り越えていくものは、細分化してサポートと同時に、外国人云々を越えたアクティブラーニングを活用した多文化共生の教育しかないと思った。それは、日本人が国際的に活躍するために不可欠な要素でもあるし、双方にとって良い仕掛けのヒントになるものだと思う。なので、やはりこの道しかないと思うわけです。
さて、上智大学でのイベントは一定の学びがあったわけだが、話は戻って台東区。そんなこんなで台東区内で行われている日本語教室にも情報収集に通っているのだけれども、そうした教室を運営しているのは何でもない区民有志だったりする。けして専門職として日本語教師をしている人ばかりではなく、それどころかむしろそういった人は少なく、みなそれぞれの手法で外国人に日本語を教えている。されど、その姿勢がとても良いなと見学をしながら感じるわけです。高度な議論は大いにするのは結構だし、しなきゃならないんだけど、それとは別に現場で生身で体感している人たちが何よりも制度を支えるプレイヤーだなと。いろいろな思惑のもとに外国人へ門を開くのは大いに良いと思うが、来た方々が日本での生活に色々な面で豊かさを感じてもらうことが、本来であれば受け入れる国の責任でもある。そこを想定して制度を設計する必要性が不可欠だけれども、どうしてもそこは後回し。そうした中で、連綿と地域の中で日本語を教えているボランティアサークルの方々には頭が下がるし、この人たちこそがコミュニティの国際化を促すプレイヤーだと感じる。
こんな素敵な台東区の生涯学習センターを使って、区内の外国人に日本語を教える教室が複数開催されている。やっぱり、グローカルな仕掛けが必要で、アクションはローカルでどんどん起こしていくことが、国の制度を補完する役割に発展していくのだと思う。先述のイベント参加では、学びと同時に虚しさも感じたのは、声高に批判をする人たちが、地域で何をしているかということなんだと思う。中には、両方をやっている人もいるのかもしれないが、なんかローカルでのアクションがなく、文句ばかりの方々も多かったのかと感じてしまった。
自戒の念も込めて、課題を生活レベルに翻訳して、まずは地域や生活周辺で何ができるのかを考える。そこから多文化共生の在り方を検討したいなと思う年度末なり。