Niccolo' Pisano 1929年生 牡馬 イタリア産

 

 

主な戦績 9戦8勝

1932年Premio Sempione (San Siro) 1着

1932年Premio del Jokey Club(San Siro) 1着

1932年 St.Leger Italiano(San Siro) 2着

 

 Niccolo Pisanoは一般的にはフェデリコ・テシオの名馬として有名ではないでしょう。しかし、テシオの伝記作家フランコ・ヴァローラが、「もし私がテシオの名馬の中で最も印象深い名前を上げろと言われればNiccolo Pisanoと答える」と言いました。

 

 

 Nicolo Pisanoの父Galloper Lightは1916年英国産で1919年のパリ大賞の勝ち馬、母Nerocciaは1923年イタリア産。Catnip系の1頭で1926年のイタリアオークスに勝ちました。初仔は双子で流産。1929年、無事に生まれたのがNiccolo Pisanoでした。

この時期テシオは、クラシックホース(イタリアオークスのNeroccia)にスペシャリスト(長距離馬のGalloper Light)を掛け合わせるというニックスを好んでいたそうです。

 

 Niccolo Pisanoは、1932年3歳の6月にデビュー。春のクラシックは間に合いませんでしたが、St.Leger ItalianoでFenoloの2着。秋の大一番、Premio del Jokey ClubやPremio Sempioneなどに勝利して9戦8勝の成績を残しました。

 

 とはいえ。Niccolo PisanoはCavaliere d’ArpinoやNearcoに比べると、競争成績も種牡馬成績もさほどすごいと言えるものではないでしょう。テシオが特に気に入っていたという言葉も見つかりませんでした。なのに、ヴァローラに大きな感銘を与え、生涯忘れられない名馬と言いたらしめました。

 

 それには二つの理由があるようです。

 一つ目は、これまでテシオは春から夏にかけてのレース、ダービーやミラノ大賞などには強いのですが、秋のセントレジャー、ジョッキークラブ大賞には強くなかったこと。

 二つ目は、テシオが期待していた馬が走らず期待していなかった馬が走るという、六十歳を越えたテシオの相馬眼に狂いが生じ始めていたことでした。

 

 1898年、リディアと共にドルメロ牧場を作っておよそ三十年。多くの名馬を作り出し、多くのレースを制覇してきたテシオですが、1920年代に入りライバルたちの台頭、欧州競馬の変化により、テシオの地位も絶対ではなくなってきました。

 

「フェデリコ・テシオはもう終わった」と揶揄する人もいたことでしょう。そんな風評を一蹴するかのように現れたのがNiccolo Pisanoでした。Niccolo Pisanoは、テシオが自信をもってターフに送り出し、苦手とした秋のPremio del Jokey Clubに勝利したのです。

 

 それは小さな復活だったのかもしれません。しかしこれ以降、テシオの馬は春だけでなく、秋のレースや古馬になってからも活躍する馬が続々と現れました。そして、それまでは軍隊時代の階級をもって「Capitano Tesio(キャプテン・テシオ)」と呼ばれていたテシオが「il Mago Tesio(魔術師テシオ)」と呼ばれるようになったのです。

 

 イタリアルネサンスの開闢と言われるNiccolo Pisanoの名は、テシオにとっても新たな時代の始まりを告げる馬の名前になったのです。

 

 

(ほそく)

※イタリアだけでなく、欧州競馬は春から夏が最盛期で、秋に目標となる高額賞金、格式あるレースはありませんでした。しかし1920年、フランスに凱旋門賞、1921年、イタリアにジョッキークラブ大賞が創設され、秋のレースも重要視されるようになりました。

 

 地理的にも近いフランスの凱旋門賞はイタリアからも参戦が増え、1929年デ・モンテルのOrtello、1933年クレスピ兄弟のCrapomが勝利しましたが、テシオは1923年のScopasの5着が最高で、生涯とうとう勝利することができませんでした。

 

※テシオは弱小生産者で、サラブレッドの生産のみでしか収入がありません。それ故に、早熟で仕上がり早の馬を好み、とにかく早く出走させて賞金を稼ぎ、価値を上げて種牡馬や繁殖牝馬として売却することで資金繰りを行っていました。しかし、欧州競馬の変化などにより、成長力のある馬が必要とされるようになりました。それゆえにテシオは1920年半ばから1930年代初頭にかけて生産力が落ち込み、大レースに勝てない状況が続きました。

 

※この頃テシオは60歳。1929年生まれ世代ではDesiderio da Settignanoに大きな期待をよせていましたが、実際は期待薄だったJacopa del Sellaioが、伊1000ギニー、伊2000ギニー、伊オークス、伊ダービーの四冠を勝つなど大活躍。それでもテシオは相手が弱かったからと弁明。また、期待せず安値でルキノ・ヴィスコンティに売り払ったSanzioが古馬になりミラノ大賞とベルギーで勝利。これもかなりショックだったそうです。

テシオにとっては、期待していた馬が走らないことよりも期待しなかった馬が走ることの方が遥かにショックだったようです。私は本命馬券が外れても保険で買った馬券が当たればヒャッハーってなりますが、それじゃあテシオに近づけないってことですね。