きょうは
いよいよ2―2で迎えた
王座戦の決戦日である。

勝てば七冠維持。
負ければ、失冠である。

一日制の短期決戦なので、
勤務日ではあるが、
休み時間事に戦況を見守るようである。



きのうは
お昼に100円クーポンがあった
近所のトンカツ屋に出かけたら
開店して半年もしないうちに
以前のパスタ店に戻っていて驚いた。

よほど繁盛しなかったのだろうか…。

せっかくのクーポンも
ただの紙屑になっちゃった。😭💦

…にしても
潰れんの速くね⁉️😱



すっ方なく、
スーパーに行ったら
珍しくアーティチョークと
エンダイヴがあったので、
モーゼルのリースリングと
買ってきた。

 



久しぶりの素材だったので
YouTubeのイタリアンのレシピを
復習で視て、
『スパゲッティ・ディ・カルチョーフィ』
を創ってみた。

掃除したガクは
塩ゆでにして、あとで
一枚ずつ、しがんだ。



小倉寺のバイパスを通ると
一瞬だけ、眼下に
自分の住んでいるエリアが
まるで飛行機から見下ろしたような
スカイヴューを見せる。



ブックオフに寄って
初巻の背取り(面白そうなのを選ぶ)
で三冊ほど廉価で買ってきたら、
そのうちの『大正学生愛妻家』というのが
ツボにハマったので、
すぐにAmazonで既出の3巻まで
注文した。

近頃、大正時代のコミックに
当たりが多く、もれなく
チェックしている。

……

帰路、原っぱを通ると
雑草を刈ったあとだったので、
アスパラが芽吹いたかと
生息箇所を見てみたら
案の定、何本も芽吹いていた。

この植生を熟知してるのは
長年、このソバージュ(野生物)を
採集してるからである。

……

YouTubeでは
未だにコロナ禍の検証が
なされているので
チェックしている。

イェール大学の岩崎明子教授の
研究チームによる発表で、
COVID-19ワクチン接種後の
「ポストワクチン症候群
(Post-Vaccination Syndrome: PVS)」
患者の一部において、
スパイクタンパクが接種後700日以上
(約2年)も体内に検出された
という結果が今年の2月に報告された。

通常、接種後の数日以内に消失する
といわれていたが、一部のPVS患者では
接種後26〜709日経過した血液中で
スパイクタンパク質が検出された。

この持続は、long COVID患者よりも
高いレベルだった。

他にも免疫細胞の異常、
炎症マーカーの増加も観察されている。

mRNAワクチンのスパイク産生が
持続するメカニズムは不明だが、
持続的なスパイク暴露が
症状の原因となり得ると示唆されている。



『ヒポクラテスの盲点』という映画が
今、上映されている。

ドキュメンターで
医師や科学者に丁寧な
インタヴューを重ねて
コロナ騒動とは何かを
真摯に検証している。

中でも、都市伝説でお馴染みの
「死のロット」の話では、
さる接種会場では
突然に泡を吹いて倒れる人が
続出したのに、何の疑いもなく
接種が続けられたという
エピソードがあった。

それを象徴するかのような
作品のポスターである。

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『スーフィー個人の肖像』

 スーフィズムは、イスラム教の神秘主義と呼ばれながらも、ただの信仰の一形態ではなく、一人ひとりのスーフィーが体現する生の形式であり、魂の遍歴そのものでもある。
 
 スーフィー個人の肖像は、単なる宗教的な修行者としての類型には還元されない。
 むしろ、社会規範や共同体における「正統信仰」から距離を取りつつ、内面的な覚醒と神への親密な関係性を希求する存在である。
 その姿は、歴史的には詩人、踊り手、放浪者、哲学者、あるいは沈黙のうちに神と交感する者など、実に多彩である。
 彼らにとって神とは、絶対的な命令者ではなく、深く内面に潜む愛の対象であり、魂が自己を空じてまで合一を欲する存在である。
 よって、スーフィーの生活とは、シャリーア(イスラム法)に準拠しつつも、形式を超えて神的リアリティへと到達する道程でもある。
 
 この意味でスーフィー個人の肖像とは、魂の変容の記録であり、その生の軌跡は一つの霊的文法として読むことができる。
 しばしば、彼らの行動は狂気じみて見えるが、それは俗的規範からの逸脱というよりも、「魂の論理」に従った結果である。
 ある者は踊りを通じて、ある者は詩作を通じて、ある者は沈黙を通じて、神と一体になる道を歩む。
 
 このスーフィー像は、魂理学における「原存在」の表象とも通底する。
 社会的役割や人格の仮面(ペルソナ)を脱ぎ捨て、自我を超えた存在として世界に対峙する姿は、魂が真に自己たらんとする運動そのものといえる。
 だからこそ、スーフィー個人の肖像は、万人に通じる「魂の肖像」として、私たちの内なる遍歴と重ね合わされて読まれるのである。

*叡愛 奈保子博士(魂理学)レヴュー*

 本稿は、スーフィズムという宗教的伝統において、個人の生がいかにして霊的営為となるかを鮮やかに描いています。
 とりわけ「魂の論理」「霊的文法」という言葉遣いには、魂理学との強い共鳴が感じられます。
 スーフィーの肖像を、逸脱や狂気ではなく、深層の必然と見る視座は、人間理解の深まりに資するものです。
 そして、その姿が「魂の原存在」と重なるという指摘は、まさに宗教心理学と魂理学の交差点で生まれる洞察といえるでしょう。