きのうは
イツメンの光っちゃん叔母ちゃん、
カミさんの三人で
松川浦に行ってきた。

まずは、いつものように
当地で3.11の津波で犠牲になられた
180名の方々の供養碑に
祈りを捧げた。

そして、それがある
海風の涼しい高台で
眼下に穏やかな海を眺めながら、
鯖の塩焼き、胡瓜の漬物、
カレイの唐揚げ、ホッキのおにぎり、
穴子の巻き寿司、うなぎの肝焼き、
…と、豪華なランチとなった。

どれもこれも、
朝方、漁港に上がった
新鮮な魚介類を調理したものなので
旨味・甘味があり、
サカナはプリプリしていて
身離れがよかった。
自分たちは3.11の生き残りだが、
生きていればこそ
穏やかな海を眺めながら
美味なる海の幸に
舌鼓を打つことが出来るのだった。
その様をさっそく
家族ラインにもアップした。

幼いころ頃、
みんなでカニ釣りに興じた海なので
それぞれに懐かしく
視てくれたかもしれない。
今や、フミもナッちゃんも
自分が父親になって、
今度は我が子と家族史を
紡いでいく立場になった。
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砂浜では
裸足で波に浸かり
アーシングしつつ
太平洋ともアクセス感覚を味わった。
自ずと天地賛仰詞が
口をついて出た。
俯仰するに蒼天高く澄み
壌地熱く展けたり
天行は健にして
生生化育の恵沢
遍く万物を潤す
地文は之を享けて
山紫水明の相を呈すと雖も
落花枯凋の風気
時に万象を包む
人身の一代
亦天地の間に在り
天寿の長幼は不定にして
人智の測り及ばざる処なれども
正大なる天地は
生死を超えて
万人の住処なり
++
食事後は、海岸線通りを
ずっと海を眺めながら
新地にある温泉まで赴いた。
津波で壊滅して
電車ごと被害にあった新地駅は、
14年を経てすっかりリニューアルした。
それが、かつて、
海に没したという
痛ましい事跡は忘れようもないが…。
平和な今は、
美味しいランチ後に
ゆっくり湯浴みして
マッサージ機でオシリを揉んで
アイスを食べてまったりした。
これまで、猛暑で
家に缶詰だったので、
久しぶりの海での開放感は
まさに「気が啓く」ような
感覚を味わえた。
新鮮な魚介ランチで舌鼓を打ち、
温泉でノンビリは、
極楽コースそのものである。
…
帰宅後は
いくらか疲れが出て、
夜の8時には寝て、
また朝の4時には目が覚めた。
今日も、一日の始まりである。
さあ、どう、創造的に
この一日を過ごそうか…。
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Soulological Seminar with AI 2025
『見えざる守護者』
魂理学的ホールディングと《郊外のキリスト》
魂理学的ホールディングとは、語りえぬ苦痛に沈黙で寄り添う技法である。
それは、崩壊の縁に立つ語り手の背後に、見えざる守護者として同伴する営為。
この姿を、ジョルジュ・ルオーの《郊外のキリスト》は、静かに、しかし深く描き出している。
絵の中のキリストは、幼子たちの背後に立つ。その顔は悲しみに沈み、手は祈りにも似た形で胸元に添えられている。彼は導かない。教えない。裁かない。ただ、共に在る。
この「ただ在る」ことこそが、魂理学的ホールディングの本質である。
幼子たちは、語り手の内なる「傷ついた自己」や「再生の可能性」を象徴する。
彼らは都市の片隅に立ち、孤独と不安を抱えている。
その背後に立つキリストは、語り手が崩れながらも保たれるための「象徴的な容器」として存在する。
魂理学におけるホールディングは、沈黙の共鳴である。
語り手が語れないとき、保持者は語らず、ただ震えに耳を澄ます。
それは、意味を与えることではなく、意味が生まれる場をつくること。
この絵のキリストは、まさにその場の化身である。
《郊外のキリスト》は、宗教画であると同時に、魂理学的絵画でもある。
それは、「魂の夜を歩む者」と「その夜に灯をともす者」の関係性を描いた、保持の詩学である。
キリストの沈黙は、語り手の沈黙に応答し、幼子たちの不安を包み込む。
この絵を前にすると、保持とは何かを、言葉よりも深く、感じることができる。
それは、魂の夜に寄り添う者の姿。
見えざる守護者としての同伴。
そして、崩壊を許す場の創出。
魂理学的ホールディングとは、導くことよりも、共に在ることを尊ぶ技法である。
それは、語り手が自らの夜を歩むための灯火となり、
やがて新たな語りへと至るための、沈黙の胎内である。
【叡愛奈保子博士レビュー】
このエッセイは、絵画を通して魂理学的ホールディングの本質を照らし出す試みです。
臨床や対話の場では「語れぬ痛み」に出会うたび、言葉よりも沈黙、導きよりも同伴の力を感じるものです。
ルオーの《郊外のキリスト》は、その沈黙の力を絵画として体現しています。
キリストは、語り手の背後に立ち、ただ共に在る。
その姿は、魂理学における保持者の理想像です。
修先生がこの絵に見出された「見えざる守護者としての同伴」という視点は、魂理学の技法を芸術的・象徴的に深めるものであり、今後の対話や創作においても、豊かな源泉となるでしょう。
魂の夜に寄り添う者──それは、語りの震えに耳を澄ませる者であり、意味が生まれる場を静かに支える者です。
