耳鼻咽喉科で気管支炎の
去痰・排膿剤を処方されたものの
鎮咳剤はなかったので、
ゆんべは咳に悩まされて
何度も目が醒めるようだった。

しかも、
もらってきたクスリが
同じブルーシートで
明らかに違ったクスリが
勘違いで入れられていた。

以前にも服用したことがある
効用を知ってるクスリだったので
窓口の看護師が間違ったのだと思う。

20年来、家族で
行き着けの先生の処なのだが、
なんだかなぁ・・・と、
思ってしまった。

十分な熟睡感がないまま
起きたので、
今朝はかなりシンドさを感じて、
鎮痛剤を服用した。

耐性はないと知りながらも、
なんだか、毎日、
痛み止めに頼ってるので
プチ依存状態である。

HSPなので、
常人よりも痛みやダルさに敏感で、
それを苦痛と感じてしまうので、
放っておくと「うつ」に陥る。

現に今朝も、
寝れない、シンドイで、
死にたくなってしまった。

抗うつ効能のある安定剤を
頓服で呑むほどではないが、
不定愁訴が「真綿で首」のような状態で
ダラダラと続いていると
さすがに嫌んなる・・・。

(▼ε▼メ)…

連休で勤務日がなくなり、
あと5日は休んでいられるのが
幸いかなである。




こんなシンドイ体調でも、
今日は夕方から
ギターのレッスンと
コンサートの合わせ練習があり、
水曜は夜から音楽堂でのリハ、
土曜日は午後が本番である。

ギターを弾くと
さすがにシャンとはするのだが、
その後に、また、ド~ンと
疲れでシンドクなるような
気がする。

でも、たまに、
ド~ンと、トンネルを抜けて、
回復することもあるから、
やってみないことには
何とも言えない。

そんなんで、ここ一週間は
ピアノにもまったく触れられず、
スコア・リーディング勉強も
中断している。

毎冬、恒例の長風邪であり、
長気管支炎なのだが、
患いに慣れるということはなく、
若い頃のように
スパリと治らないことが
なんとも恨めしい。

焦るな、焦るな。
十分に休め。
体を厭え・・・と、
自分に言い聞かせている。




懇意にしている
K先生から頂戴した
お歳暮カタログの品が
年明けて届いた。

珍しい
各地の醤油10本セットと
アイスの詰め合わせである。

近年、「卵かけご飯用」醤油に始まり、
甘口、たまり・・・などの
さまざまな醤油を市場で見るようになった。

ダイソーにさえ、
「シジミ出汁醤油」やら
「カキ醤油」などがあり、
試しに使ってみて
けっこう重宝している。

今回も「白醤油」など
初めて見るものもあり、
料理のヴァリエーションが拡がりそうで
楽しみではある。



アイス・ボックスに入っていた
ドライ・アイスをコップの水に入れて、
久しぶりに白煙のボコボコを楽しんだ。

子どもたちが小さい頃は、
よく手品だと言って
こっそりドライ・アイスを投入して
「アブラ・カダブラ」とインチキ呪文で
白煙を出したように見せて、
ワーワー驚かせた(笑)。

そして、
煙の消えた後に
炭酸水となったものを
口に含ませて
驚かせたりした(笑)。

“コドモ騙し”とは
よく言ったものである・・・(笑)。




行きつけの「亀寿司」で、
今年の“歌会始め”ならぬ
“鮨喰い始め”をしてきた。

リサイタルには毎回
スタッフにもと10人分の折り詰めを
楽屋に差し入れて下さり、
尚且つ、お店休業で
家族で聞きに来て下さり、
豪華な花束まで届けて下っていたので、
打ち上げに使わせて頂いていた。

震災前の旧店舗、
建て替えの為の仮店舗、
そして、現店舗と
三店舗の歩みも見てきた。

親子二世代の家族経営で、
カミさんや叔父さんとも縁があり、
いつも歓談を交えて
リラクゼーションになるので、
カウンセラーの「癒しの場」とも
思っている。



昔っから、
ビョーキになると、
鮨でもって「喰い養生」している。

好きな物は、古来、
「合い薬」と言って、
身にも心にも滋養になるのである。

元来、「蕎麦っ喰い」ではなく
「鮨っ喰い」なので、
ボンビーを自称しながらも、
趣味の一つとしても、
これだけは贅沢とは
思わない事にしている。

「おすし」には
子どもの頃から偏愛があり、
母親が名店の「達磨鮨」の経理をやり、
父親が常連だったので、
物心ついた頃から、
築地で修行したという
名人フーさんの握りを
時々食べさせてもらっていた。

可愛がってもらっていた祖父には、
稲荷神社裏にあった
「次郎長鮨」にも
よく連れていってもらった。

将来は、すし屋になりたいなぁ・・・と、
子どもの頃には、漠然と思ったこともある(笑)。

なので、
冬になると、
雪をつかんでは
握り鮨を作る真似を
しょっちゅうしていた(笑)。

学生の頃は、
叔母が大学近くに
「藤鮨」を開いたので、
よくギター部のコンパで
使わせてもらった。

でも、ふだんは
お金がなかったので、
「元禄ずし」だの
近所にあったナンタラいう
回転すし屋に、
ラーメンを食べる感覚で
通っていた。

大阪で教員になってからは、
京阪神の全フレンチ店制覇という
食べ歩きで度胸を得て、
一人で鮨屋のカウンターで
食べれるようにと、
いろんな店を食べ歩いた。

鮨の本も何十冊と読んでいたが、
通ぶって知ったかぶりするのは
最も職人さんに嫌われるというのを
幼い頃から知っていたので、
逆に謙虚に尋ねるようにすると
どの店でも厚遇してくれた。

酒も飲まず、
ツマミも食べず、
黙々と鮨だけを味わい、
「ご馳走様。美味しかった」
と、サッと半時で退店するのが
自分なりの「粋」と思っていた。

落語によれば、
江戸っ子にとって、
鮨屋での長居は
「野暮」なのである。

もっとも、
常連店になると、
ご主人やおカミと
フレンドリーになって
ついつい駄弁ってダラダラと
長居するようにもなったが・・・(笑)。

いずれの師も
鬼籍の人となったので、
癒し手としての
カウンセラーを失ったカウンセラーは、
お鮨屋さんで
好物と気のおけない語らいで
癒されているのを
カウンセリングの代用と考えている(笑)。



ちなみに、
世界標準のカウンセリング料金は、
1時間100ドルであるが、
東京ではそれ以上で、
20数年前の京都でも1万円だった。

我が家では
フクシマ料金だから(笑)
その半額で、
学生・一人親家庭・非正規社員は
三千両である(笑)。

それでも、
相談ごときで・・・高い・・・
と言われたり、
思われたりしている(笑)。

「カウンセリング」は
文化として日本には馴染まない
因果なショーバイである。