Eテレの『100分de名著』で、
西田幾多郎の『善の研究』の
100分勉強をして、
いろんな知見が得れた。
その一つに、
非日常に憧れず、
日常の大切さに開眼し、
永遠性とつながる「今ここ」で、
ものをものとしてよく観、
その実相・実在性を認識しよう、
という心構えになった。
そして、また、
日々、怠らず、
己れ自身を深く
掘って、掘って、
普遍的なものとつながろう
という自己実現の道、
個性化の道も見えた。
それは、
深層心理学者のユングが唱えた
「Self realization」であり
「Individualization」でもある。
孔子は『論語』で、
五十にして、天命を知り、
六十にして、耳順(したが)い、
七十にして、心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず、
と説いた。
60代の「耳順(じじゅん)」とは、
どんな事を聞いても動揺せず、
泰然自若といれる境地を言ったものか。
孔子は73歳で身罷ったので、
80代については言及してないが、
さしずめ、漱石が理念とした
【則天去私】あたりが
相応しいだろうか。
すなわち、
小我を捨て、天地自然に
身命を委ねて生きることである。

きのう今日と、
秋晴れで
吾妻山の噴煙がキレイに見える。
毎日、目の前に
活火山を見ながら
暮らしている。
街に出ると、
至る所でもうクリスマス飾りを
目にするようになった。
我が家では、
まだ、晩秋の侘び感を
味わっているので、
ちょいとフライング気味じゃないの・・・
と思わないでもない。
もっとも、
商売にはムードの盛り上げが
必要なのだろうが・・・。
うちは
12月に入ったら
クリスマス飾りにしている。

近所に大型家具店の
「東京家具センター」と
「ニトリ」があるが、
いつだか兄嫁は
「こんな近くにニトリがあったら、
毎日でも入り浸っちゃうかも・・・」
と冗談を言っていた。
それほどのニトリ・ラバーらしい(笑)。
たしかに、
様々なタイプの家具が
あたかも一室のように
何タイプにもコーディネイトされていて
それを見て廻るだけでも
楽しいかもしれない。
きのうは、広告で見て、
黒四角の岩盤プレートを
ワンコインで1枚買ってきた。
そのついでに、
店内を散歩のつもりで
はじめて3Fの家具フロアも
グルリと見て廻ってきた。
システム・キッチンには
北欧風のクラシカルなタイプもあり、
いいなぁ、これ・・・と、
しばし、目を奪われた。
帰宅後は、
さっそくプレートに
ランチとバナナ・ブリュレを
ドレッセしてみた。
最近、グルメ番組で
しばしば目にする
岩盤プレートは
目先が変わって
料理を盛る楽しみの
新しいアイテムになってくれた。

日曜の朝方に
たまたまBSをつけたら、
2000年の大河ドラマ『葵 徳川三代』
というのをやっていて、
千姫の役で出てた
大河内奈々子の美貌に魅かれて
ズルズル視てしまった(笑)。
77年生まれで、
現在42歳というから、
この頃は、23歳だった。
お姫様らしい
おちょぼ口が目立って、
楚々とした感じで
好感がもてた。
ウィキってみたら、
他の出演作品は
何一つ見たことがなかった。
20年も前の作品なので、
鬼籍に入った名優が
多く演じていて、
その懐かしさにも
目を奪われた。
今日は、樹木希林が
乳母(めのと)役で出てきて、
津川雅彦の徳川家康に
あわや、お手打ち・・・というような
名場面が楽しめた。
中村梅雀のナレーションと
幕間の歴史解説も
日本史の復習のようで
面白い。
なんたって、
二代将軍が西田敏行なので、
ちょいちょいボケ役となって
笑いも入る。
今の邦画やらドラマに出てくる
平成生まれの役者たちは、
存在感がなく薄っぺらい感じが拭えないが、
さすがに激動の昭和を生きてきた
物故者の名優たちは
いい演技を見せてくれる。
『葵』を見てると、
ついつい、
死んだ人ばっかじゃん…と、
思ってしまうが・・・(笑)。
「昭和」は遠くになりにけり、
である。