きのうは午後から
ひと月前から予約していた
音楽堂の恒例のイベント
『スタインウェイを弾こう』に
赴いてきた。

この企画は、
ピアノの名器スタインウェイを
一人一時間だけ1.600円で
大ホール・ステージで
自由に演奏できるという
ピアノ好きにとっては
夢のようなイベントである。

フルコンサートと言われる
最大弦長のものは、
2千万以上するので、
一般家庭ではおいそれとは
買える代物ではない。

これまで、音楽堂で
6回リサイタルをやったので、
そのたびごとに格納庫の中では
何度か試し弾きはしているのだが、
ステージ中央で鳴らすのは
初めてだったので
期待度MAXだった。

そのために、
毎日、1時間以上は
プログラムの練習をしてきた。

久石 譲のアルバム
『ピアノ・ストーリーⅠ』から

風の谷のナウシカ
天空の城ラピュタ
Wの悲劇
アリオンのテーマ
遥かなる時の彼方に

・・・を、暗譜でやった。

そして、
モーツァルトの
『ピアノソナタK. 545 第二楽章アダージオ』
ベートーヴェンの
『エリーゼのために』

時間がちょっと余ったので、
持参したヴィオラで
フォーレの『夢のあとに』をも
弾いてみた。





『ナウシカ』だけは、
2017年のリサイタルでの
“サプライズ企画”で
初披露したが、
ちっとばかりミスっちまったのが
今でも心残りである。

それがあったので、
今回はさすがに
録音/録画するのに
気合を入れて練習した。

でも、
リサイタルで聴衆を前に
緊張しつつも魂を込めて
慎重かつ大胆な音造りをした時とは、
気分的には大分違っていた。

やはり、
誰もいないホールで
独りだけで演奏するというのは、
レコーディングという目的があっても
なんだか、いまひとつテンションが
上がらなかった。

やっぱり、
自分はライヴでこそ
力が出るパフォーマーなのかもしれない。

傍鳴りで聴く限りでは、
スタインウェイの音は
柔らかく丸みのある
ソフト系なのだが、
客席最前列の録音で聴くと
ホールに響いてか
けっこう硬質なクリスタルな音に
変化していたのが意外だった。

演奏中には、
ホールの残響は
全く耳には届かず、
ピアノの生音が感じられた。

象牙と黒檀の鍵盤は
アクションが軽く、
弾き易さ、音の立ち上がりは、
やはり格段に優れたものだった。

ついでに弾いてみたヴィオラは、
スタッカートしても
残響3秒のせいで
客席の二階まで音がエコーしていた。

ただ、それも
演奏中は傍鳴りの生音が大きく
ホールエコーに酔い痴れる
という感じにはならなかった。

家にあるピックアップ(マイク)に
リバーブ・エフェクター(残響装置)を
かけた時の方が、
遥かにホールエコー感があって、
弾いていて気持ちがいい(笑)。

ま、そんなことが解かったのも
よかったかもしれない。





先日の
『大草原の小さな家』の
「ローラの祈り」で
山上で神様に祈るローラの姿が
印象的だったので、
そのまんま
『祈る少女』として
作品化してみた。

風にたなびく
金髪の後ろ髪が
動的であり、
静的な祈る姿との
コントラストがよくて、
頭部から末広がりのスカートまで
安定した三角形の構図もいい。

ドラマのワンシーンと
知らずとも、
何をか懸命に祈る
少女の健気さが現われている。






隣国の韓国、中国、北朝鮮には
海を隔てていたから
まだよかったなぁ・・・と、
思わないでもない。

汚職疑惑の朋友を法相に任命したり、
自ら日本を「盗っ人猛々しい」と
公言したり・・・と、アタマん中が
壊れかけてきてるような
韓国大統領である。

歴代大統領が
みんな逮捕やら自殺やら
ろくな行く末になってないのを
自国民はどう思ってるのだろうか。

日韓の不仲を歓迎するかのように
北朝鮮では花火みたいに
連日ロケットをぶっ放している。

中国も領海侵犯だけに留まらず、
自国内の少数民族をも弾圧し、
人権侵害し、漢民族への同化政策を
強行している。

やってることは、
ナチスドイツ時代の
ヒットラーと変わらない。

ロシアもスターリン時代のような
異民族への弾圧、紛争、侵略をやめないし・・・。

EUもガタガタだし・・・
アフリカも悲惨・・・
北米、南米も・・・。

文明が進歩すれば
人類すべてが幸福になるだろう、
という期待は、
ことごとく裏切られたような
昨今の現状である。

どーすりゃいいんだろーねぇ。

(-"-;)

***

過去十年の
「論文数の伸び率」なるものを
朝刊で見たが、
これまで後進国だった中韓が
伸び率が高いのは有り得ることだが、
それでも国を挙げて
躍起になってるのが感じられる。

その一方で、
日本のマイナス傾向は
由々しき問題である。

人口減少同様に
「国力の衰退」現象を
ここでも見ることができる。

政官財の癒着があるから、
即効的な実用性のない基礎研究には
潤沢な予算が廻ってこないという。

政治家は、
かのレンホーのように
「それが、国民にとって、
何の役に立つんですか?」
という、
目先の実益でしか考えない。

考えてみると、
世界中がこの傾向に
あるのかもしれない。

「役に立つものは善。
 立たないものは悪」
となったら、
大変なことである。

『楢山節考』みたいな
口減らし、人減らしが
公然の倫理となるような
社会にでもなったら、
ニンゲンもおしまいである。

世界宗教者会議や賢人会議でも
喧々諤々して、何の智恵も出せず、
祈るよりほかない・・・では、
いくらなんでも
〈万物の霊長〉とは言い難いだろう。

【国際魂理学研究所】の所長として、
毎月の「宗教臨床研究会」でも、
〈人類の助かりへの道〉という
グランド・テーマを模索している。