ここで弾くのが
僕の夢だった
夢はかなった
とてもいい夢だった
醒めたら
六十一の僕がいた
ありがとう
僕のギター
ありがとう
僕の音楽堂

歳ぃ取ると、
疲労が数日後に出るというが、
なんか今朝はそんな感じだ。
兆候は昨晩からあって、
カミさんが
夕飯の洗い物をしてるのに、
台所の電灯を消してもうて、
「エーッ!? 何してんのぉー!?」
と驚かれ、
自分でもアラマ・・・であった。
゚゚(・̆○・̆)°゚
もっとも、
先週は、夕飯後に
自分で洗った茶碗を冷蔵庫に
しまってしまい、
それすら忘れて、
開けてビックリ!!(笑)
゚゚(・̆○・̆)°゚
(もしかして・・・
プチ・アルツだったりして・・・)
♪ アルツぅ磐梯山は~
タッカァラ(宝)のぉ山よ~ ♪
↑そーとー怪しい(笑)
毎朝、毎朝、
「白紙」のこころで
PCに向いキーボードを打つが、
今朝は「少年の詩」が出てきた。
きっと、
疲れが出てきて
プチ退行が生じているのだろう。
インナーチャイルドが
顔をのぞかせたので、
それに語らせてみた。
我われは、
こころの内に
歩んで生きてきた生育歴上の
あらゆる人格を蔵している。
けっして
第一人格である
「今の自我意識」だけが
自分のすべてではないのだ。
私の中には
「女々しい惰弱な奴」もいるし、
「雄々しく息巻く奴」もいる。
「小狡く立ち回ろう」とする奴も、
「媚を売ってへつらう」奴もいる・・・。
誰やらの箴言に
「天才とは、
自分のあらゆる引き出しを
自由に出し入れできる者」
という定義を見たことがある。
人は幾通りもの可能性を持ちながらも、
現実には、限定された
ステレオタイプの生き方を
せざるを得ないものである。
社会的な通念や
常識やら世間体なぞという
同調圧力もなかなかに強い。
時に、それに抗して
自分を見出し、自分を生きていく、
というのは容易でない作業である。
深層心理学者のユングは
「自己実現」または
「個性化の過程」という
独自の概念によって
この重要性を説いた。
***
還暦を過ぎてから、
公認心理師の国家資格取得と
ファイナル・リサイタルという
大きなふたつの山を越えた。
知人・友人たちから
コンサート・ロスを
心配してくれてか、
「ゆっくり休んでから、
次の目標を見つけてください」
という助言が
多かった。
自分もそのつもりなのか・・・、
朝刊を読んでいて、
ふと、また英語の勉強でも
してみっか・・・と、チラと思った。
自動翻訳機の精度向上が必至なので
いつからか勉強意欲が低下して
「英語」が好きだったのに
捨て置いたままになっている。
今は、まだ、
コンサートの録音CDを聞いたり、
録画ビデオを見て、
ファイナルの余韻に浸っている。
本格的疲れも
これからなのだろう。
でも、関係各位に「礼状」を出し、
後援の市教委に事後報告書を提出し、
CDを編集して支援者の方々へお送りする、
という“楽団ひとり”の
最後の仕事を成し遂げて
『ファイナル』が
ほんとに終了する。
でもでも・・・、
いまは、もうしばし、
休ませてもらおう・・・。
全力で羽ばたいて
幾本か抜け、
血も出ている。

きのうは、
リサイタルにご来場いただいた方が、
“ご新規”にカウンセリングに来られた。
そして、
帰り際には、
主催されるイベントへの
コンサート依頼ができるか
尋ねられた。
さっそく、
次の仕事に
つながったわけである。
そして、今日は、
毎年、リサイタルにおいで頂いていた
院の大先輩のGさん(82歳)が、
娘たちが使わなくなった
チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリン、琴を
引き取ってほしいと
おいでになる。
「ゴミには出せない・・・」
と仰るので、
弦楽器フェチ、
古楽器製作家としては
喜んでお引き受けした。
なので、
これからお茶室を整えて
お薄でおもてなしする準備をする。
ちっとも、
休んでられない(笑)。
・・・泳ぎ続けてないと死んでしまう
マグロみたいなんかなぁ・・・
と、思わないでもなかった(笑)。

【友人・知人からのメッセージ】
「コンサートお疲れさまでした。
無事終えることが出来たようで、よかったですね。
おめでとうございます。
震災から8年。
東北の方々には我々には到底分からない
深い想いがあると思いますし、
あの大災害からの復興には
まだまだかかると思います。
その中での
佐々木さんの活動は
本当に素晴らしい活動だと
尊敬しています。
本当にお疲れさまでした。
出来たらもう一度あればと思っていますよ~(^-^)」
(元・同僚N先生)
「復興支援ギターリサイタル
素晴らしい演奏を聞かせて頂き
ありがとうございました。
ラスト・リサイタルということもあり、
感慨無量でした。
6回という偉業を成し遂げ、
本当にお疲れさまでした。🙇」
(ギター部後輩ムクちゃん)
「ファイナルリサイタル、
盛況のうちに終えることが出来て
弟子のひとりとしても誠に嬉しい限りです。
本当にお疲れさまでした。
今度はゆっくりとギターを楽しんで下さいね。
自分も少しずつリハビリも兼ねて、
ギターに触れるところから
始めようかなと思っています。
またお邪魔して
教えて頂くこともあるかもしれませんので、
その時は宜しくお願い致します。」
(元ギター部後輩K)
「すばらしい演奏を聞かせて頂き
ありがとうございました。
本当にお疲れ様でした。」
(元ギター部後輩ライキチくん)
「素晴らしいギターの演奏、ありがとうございました!
6年間の復興支援リサイタル、お疲れ様でしたとは、
本当は言いたくないのですが・・・
毎年の恒例行事となり、私達の方が
楽しませていただいていました。
顔を会わせることのできる機会を作ってくださったこと、
本当に感謝しています。
昨日の演奏会には、佐々木さんの思いが、
ぎっしり詰まっていたように感じました。
音楽堂ってあんなに響くのですね。
本当にありがとうございました!」
(元ギター部後輩アンちゃん)
「昨日は、お疲れ様でした。
たくさんの方々が詰めかけたホール。
ホールいっぱいに響く音色や歌声。
時間を忘れる、思いに満ちたリサイタルでした。
最後の会に伺えたのは、
私たちの恩師・故K先生の
お導きなのだろうと思います。
今回、佐々木さんにお会いできて、うれしかったです。
そして、橋谷田くんが演奏していてびっくり。
さらに、民子さんは私の後輩でございました…。
いやはや、驚きの三重奏でした。
そうです。驚きは四重奏でした。
それは、佐々木さんがギターを弾かれるということです。
失礼ながら、院生でおられたころは、
カウンセリングとお茶のお話をされていた印象がありまして…。
お時間ありましたら、ぜひギターをご教授下さい。
まずは、心癒される時間のお礼まで。」
(大学院後輩・旧Wさん)
僕の夢だった
夢はかなった
とてもいい夢だった
醒めたら
六十一の僕がいた
ありがとう
僕のギター
ありがとう
僕の音楽堂

歳ぃ取ると、
疲労が数日後に出るというが、
なんか今朝はそんな感じだ。
兆候は昨晩からあって、
カミさんが
夕飯の洗い物をしてるのに、
台所の電灯を消してもうて、
「エーッ!? 何してんのぉー!?」
と驚かれ、
自分でもアラマ・・・であった。
゚゚(・̆○・̆)°゚
もっとも、
先週は、夕飯後に
自分で洗った茶碗を冷蔵庫に
しまってしまい、
それすら忘れて、
開けてビックリ!!(笑)
゚゚(・̆○・̆)°゚
(もしかして・・・
プチ・アルツだったりして・・・)
♪ アルツぅ磐梯山は~
タッカァラ(宝)のぉ山よ~ ♪
↑そーとー怪しい(笑)
毎朝、毎朝、
「白紙」のこころで
PCに向いキーボードを打つが、
今朝は「少年の詩」が出てきた。
きっと、
疲れが出てきて
プチ退行が生じているのだろう。
インナーチャイルドが
顔をのぞかせたので、
それに語らせてみた。
我われは、
こころの内に
歩んで生きてきた生育歴上の
あらゆる人格を蔵している。
けっして
第一人格である
「今の自我意識」だけが
自分のすべてではないのだ。
私の中には
「女々しい惰弱な奴」もいるし、
「雄々しく息巻く奴」もいる。
「小狡く立ち回ろう」とする奴も、
「媚を売ってへつらう」奴もいる・・・。
誰やらの箴言に
「天才とは、
自分のあらゆる引き出しを
自由に出し入れできる者」
という定義を見たことがある。
人は幾通りもの可能性を持ちながらも、
現実には、限定された
ステレオタイプの生き方を
せざるを得ないものである。
社会的な通念や
常識やら世間体なぞという
同調圧力もなかなかに強い。
時に、それに抗して
自分を見出し、自分を生きていく、
というのは容易でない作業である。
深層心理学者のユングは
「自己実現」または
「個性化の過程」という
独自の概念によって
この重要性を説いた。
***
還暦を過ぎてから、
公認心理師の国家資格取得と
ファイナル・リサイタルという
大きなふたつの山を越えた。
知人・友人たちから
コンサート・ロスを
心配してくれてか、
「ゆっくり休んでから、
次の目標を見つけてください」
という助言が
多かった。
自分もそのつもりなのか・・・、
朝刊を読んでいて、
ふと、また英語の勉強でも
してみっか・・・と、チラと思った。
自動翻訳機の精度向上が必至なので
いつからか勉強意欲が低下して
「英語」が好きだったのに
捨て置いたままになっている。
今は、まだ、
コンサートの録音CDを聞いたり、
録画ビデオを見て、
ファイナルの余韻に浸っている。
本格的疲れも
これからなのだろう。
でも、関係各位に「礼状」を出し、
後援の市教委に事後報告書を提出し、
CDを編集して支援者の方々へお送りする、
という“楽団ひとり”の
最後の仕事を成し遂げて
『ファイナル』が
ほんとに終了する。
でもでも・・・、
いまは、もうしばし、
休ませてもらおう・・・。
全力で羽ばたいて
幾本か抜け、
血も出ている。

きのうは、
リサイタルにご来場いただいた方が、
“ご新規”にカウンセリングに来られた。
そして、
帰り際には、
主催されるイベントへの
コンサート依頼ができるか
尋ねられた。
さっそく、
次の仕事に
つながったわけである。
そして、今日は、
毎年、リサイタルにおいで頂いていた
院の大先輩のGさん(82歳)が、
娘たちが使わなくなった
チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリン、琴を
引き取ってほしいと
おいでになる。
「ゴミには出せない・・・」
と仰るので、
弦楽器フェチ、
古楽器製作家としては
喜んでお引き受けした。
なので、
これからお茶室を整えて
お薄でおもてなしする準備をする。
ちっとも、
休んでられない(笑)。
・・・泳ぎ続けてないと死んでしまう
マグロみたいなんかなぁ・・・
と、思わないでもなかった(笑)。

【友人・知人からのメッセージ】
「コンサートお疲れさまでした。
無事終えることが出来たようで、よかったですね。
おめでとうございます。
震災から8年。
東北の方々には我々には到底分からない
深い想いがあると思いますし、
あの大災害からの復興には
まだまだかかると思います。
その中での
佐々木さんの活動は
本当に素晴らしい活動だと
尊敬しています。
本当にお疲れさまでした。
出来たらもう一度あればと思っていますよ~(^-^)」
(元・同僚N先生)
「復興支援ギターリサイタル
素晴らしい演奏を聞かせて頂き
ありがとうございました。
ラスト・リサイタルということもあり、
感慨無量でした。
6回という偉業を成し遂げ、
本当にお疲れさまでした。🙇」
(ギター部後輩ムクちゃん)
「ファイナルリサイタル、
盛況のうちに終えることが出来て
弟子のひとりとしても誠に嬉しい限りです。
本当にお疲れさまでした。
今度はゆっくりとギターを楽しんで下さいね。
自分も少しずつリハビリも兼ねて、
ギターに触れるところから
始めようかなと思っています。
またお邪魔して
教えて頂くこともあるかもしれませんので、
その時は宜しくお願い致します。」
(元ギター部後輩K)
「すばらしい演奏を聞かせて頂き
ありがとうございました。
本当にお疲れ様でした。」
(元ギター部後輩ライキチくん)
「素晴らしいギターの演奏、ありがとうございました!
6年間の復興支援リサイタル、お疲れ様でしたとは、
本当は言いたくないのですが・・・
毎年の恒例行事となり、私達の方が
楽しませていただいていました。
顔を会わせることのできる機会を作ってくださったこと、
本当に感謝しています。
昨日の演奏会には、佐々木さんの思いが、
ぎっしり詰まっていたように感じました。
音楽堂ってあんなに響くのですね。
本当にありがとうございました!」
(元ギター部後輩アンちゃん)
「昨日は、お疲れ様でした。
たくさんの方々が詰めかけたホール。
ホールいっぱいに響く音色や歌声。
時間を忘れる、思いに満ちたリサイタルでした。
最後の会に伺えたのは、
私たちの恩師・故K先生の
お導きなのだろうと思います。
今回、佐々木さんにお会いできて、うれしかったです。
そして、橋谷田くんが演奏していてびっくり。
さらに、民子さんは私の後輩でございました…。
いやはや、驚きの三重奏でした。
そうです。驚きは四重奏でした。
それは、佐々木さんがギターを弾かれるということです。
失礼ながら、院生でおられたころは、
カウンセリングとお茶のお話をされていた印象がありまして…。
お時間ありましたら、ぜひギターをご教授下さい。
まずは、心癒される時間のお礼まで。」
(大学院後輩・旧Wさん)