河合先生とキーンさんによる
対談のいくつかを
再読している。
どちらも
鬼籍の人となったが、
私淑する先生でもある。
書棚に20年近くもあり
すっかり表紙の焼けた
『河合隼雄 全対話』の9巻目を
久しぶりに紐解いた。
やはり、
賢人どうしの対談には、
「温故知新」的な
学びの種子が
眠っているものである。

キーンさんの
日本文学者としての出発は、
太平洋戦争時の
情報部将校として
日本兵の日記を読むことだった。
そして、後に、
『紫式部日記』『蜻蛉日記』
『更級日記』『土佐日記』などの
「日記文学」に日本文学の本質を
見出したという。
「日本の場合、日記は
単なる記録ではなく、
非常に大切な文学です」
と言う。
日記は自分で自分のことを書くが、
その日の観点から出来事を見ており、
日が続くことが一種の構造になり、
時間が構造になる・・・とある。
そこで、はたと気づいたが・・・
2004年から、毎日、毎日、
飽きもせずに
365日書き続けてる
『我がブログ』も
日本伝統の「日記文学」なのかぁ・・・
という誇大な妄想を抱いてしまった(笑)。
最近では、
「自分史」なぞという方が
通りがいいが、
「日記文学」では
大上段過ぎて
気恥ずかしいもんねぇ。
その伝でいけば、
ツイッターなるものも
矮小化した「日記文学」の
亜種なのかもしれん。

ぽちぽちと、
リサイタル準備をしている。
まずは、
ロビー頒布物の在庫確認と
その帳簿付けである。
これから、
いちばんの目玉商品である
去年の『2018ライヴ』を30枚ほど
増産しなくてはならない。
今年でハケきれなかったものは、
講演&ミニコンの
頒布物にしようと思う。
それでも余ったら、
鍋敷きか瓦け投げか、
鳥除けにでも
するっきゃない(笑)。
行きつけのお鮨屋さんに
毎年依頼している
二色刷りA3のポスターは
オフィス・エイトで
10円コピーのものである。
テルサにも
それで頼んできた。
さすがに、
音楽堂のものだけは、
80円のフルカラー・コピーにして、
「青」「緑」「オレンジ」も
出るようにした。
なにせ、
庭に「金のなる木」があって
やってるわけじゃないので、
自前でできることは
全部自家製で済ませている。
だって、
演奏すんのも
自分なんだもん。

行きつけの
お鮨屋さんでは、
仕上げの“アガリ”に
いつも作家物の備前で
焙じ茶を入れてくださる。
備前焼に偏愛があり、
ことに作家物は
自分も蒐集しているので、
モノの良し悪しは判る。
備前独特の
「窯変(ようへん)」と言われる
妖しい文様、柄は、
炎がつくる偶然性のアートで
同じものはひとつとしてなく、
何ともいい難い魅力がある。
備前には
たいそうな「侘び寂び」感があるのだが、
茶道では
一「楽」二「萩」三「唐津」
と言って、
あまり重用されないのが
不思議である。
対談のいくつかを
再読している。
どちらも
鬼籍の人となったが、
私淑する先生でもある。
書棚に20年近くもあり
すっかり表紙の焼けた
『河合隼雄 全対話』の9巻目を
久しぶりに紐解いた。
やはり、
賢人どうしの対談には、
「温故知新」的な
学びの種子が
眠っているものである。

キーンさんの
日本文学者としての出発は、
太平洋戦争時の
情報部将校として
日本兵の日記を読むことだった。
そして、後に、
『紫式部日記』『蜻蛉日記』
『更級日記』『土佐日記』などの
「日記文学」に日本文学の本質を
見出したという。
「日本の場合、日記は
単なる記録ではなく、
非常に大切な文学です」
と言う。
日記は自分で自分のことを書くが、
その日の観点から出来事を見ており、
日が続くことが一種の構造になり、
時間が構造になる・・・とある。
そこで、はたと気づいたが・・・
2004年から、毎日、毎日、
飽きもせずに
365日書き続けてる
『我がブログ』も
日本伝統の「日記文学」なのかぁ・・・
という誇大な妄想を抱いてしまった(笑)。
最近では、
「自分史」なぞという方が
通りがいいが、
「日記文学」では
大上段過ぎて
気恥ずかしいもんねぇ。
その伝でいけば、
ツイッターなるものも
矮小化した「日記文学」の
亜種なのかもしれん。

ぽちぽちと、
リサイタル準備をしている。
まずは、
ロビー頒布物の在庫確認と
その帳簿付けである。
これから、
いちばんの目玉商品である
去年の『2018ライヴ』を30枚ほど
増産しなくてはならない。
今年でハケきれなかったものは、
講演&ミニコンの
頒布物にしようと思う。
それでも余ったら、
鍋敷きか瓦け投げか、
鳥除けにでも
するっきゃない(笑)。
行きつけのお鮨屋さんに
毎年依頼している
二色刷りA3のポスターは
オフィス・エイトで
10円コピーのものである。
テルサにも
それで頼んできた。
さすがに、
音楽堂のものだけは、
80円のフルカラー・コピーにして、
「青」「緑」「オレンジ」も
出るようにした。
なにせ、
庭に「金のなる木」があって
やってるわけじゃないので、
自前でできることは
全部自家製で済ませている。
だって、
演奏すんのも
自分なんだもん。

行きつけの
お鮨屋さんでは、
仕上げの“アガリ”に
いつも作家物の備前で
焙じ茶を入れてくださる。
備前焼に偏愛があり、
ことに作家物は
自分も蒐集しているので、
モノの良し悪しは判る。
備前独特の
「窯変(ようへん)」と言われる
妖しい文様、柄は、
炎がつくる偶然性のアートで
同じものはひとつとしてなく、
何ともいい難い魅力がある。
備前には
たいそうな「侘び寂び」感があるのだが、
茶道では
一「楽」二「萩」三「唐津」
と言って、
あまり重用されないのが
不思議である。