三連休のあとは
三オフ日である。
ゆんべは
息苦しく感じて、
気管支拡張剤と
抗アレルギー剤、
沈咳剤を服用したら、
今朝はスコンと
トンネルを抜けたような
健常感になった。
あら、
うれしや、である。
でも、
油断大敵「火がボーボー」
なので、油断はできない。
この慣用句、
「油断大敵、火が亡々」
と書き、本来は、
油を断つと火が消えてしまうので
絶やさないように、
という意味のようだ。
へぇ~、
ってなもんだ。
息苦しくて、
ふと思ったことがある。
子どもの頃、
永らく小児喘息と肺炎で
入退院を繰り返してきたので、
死ぬんなら、あの懐かしい
呼吸困難感がいいのかなぁ・・・という
愚にもつかないことを
考えていた。
気管支炎で
呼吸が苦しくなると、
懐かしい症状よ
コンニチワという感じであった。
そして、
拡張剤で息が
スーハーと心地よく通った時の
快感も思い出した。

きのうの録画で
『3月のライオン』の後編を観た。
実によく出来ていた。
原作マンガを読んでいて
将棋好きには
たまらない仕上がりだった。
神木くんが
上手い!
「力になってもらっていたのは
僕の方だった・・・」
と、三姉妹を前に
涙するシーンでは
思わず泣けてしまった。
「いじめ」や
「クズ親父との対決」などの
苦いシーンもあったが、
現実生活と盤上という
ふたつの場面での「闘い」が
二本の糸をよったように
呼応していた。
同時に、
現実の棋界での
天才ソータの活躍が
「マンガを超えている」
という世評も
むべなるかなと感じられた。

発刊当時の91年から
ずっと家にあったが、
ずっと未読のままだった
小川洋子の『妊娠カレンダー』を
やっと読んでみた。
芥川賞受賞作品である。
いまや著者も
数多くの受賞歴と共に
芥川賞選考委員になるほどの
文壇の大家になった。
2004年の
『博士の愛した数式』では
読売文学賞、本屋大賞のW受賞で
映画化もされ一躍脚光を浴びた。
『妊娠カレンダー』は
70頁ほどの中篇だったが、
同書に所収の『ドミトリィ(学生寮)』は
察するに、著者が早大時代に
四年間いた金光教東京学生寮を
モチーフにしていることが伺われた。
そこでは、
教内者のみが知る
両手・片足のない
中山亀太郎先生をモデルとした
寮長が登場し、
小説家の目で淡々と描写しているのは
いささか衝撃を受けた。
著者の実家は金光教の教会で、
氏も金光教については
オープンにして
河合隼雄先生とも
対談で話題にしている。
かつて
「神様ありがとう」
という一枚の広報パンフで
表の小川氏のインタヴュー記事の裏側に
自分のエッセイが載ったことがあり、
嬉しく思ったことがあった。
現在56歳で
昭和30年世代である。
教内では
サトウサンペイ氏と並ぶ
超メジャーなおひとりである。

らも氏の本の
買い置きがあったので、
彼の出世作である
吉川英治文学新人賞受賞作の
アル中小説『今夜、すべてのバーで』を
面白く読んでいる。
半分以上は
著者自身の体験談で
アルコホリックの凄まじさが
細やかに描写されていて
心理カウンセラーとしても
勉強になる。
三オフ日である。
ゆんべは
息苦しく感じて、
気管支拡張剤と
抗アレルギー剤、
沈咳剤を服用したら、
今朝はスコンと
トンネルを抜けたような
健常感になった。
あら、
うれしや、である。
でも、
油断大敵「火がボーボー」
なので、油断はできない。
この慣用句、
「油断大敵、火が亡々」
と書き、本来は、
油を断つと火が消えてしまうので
絶やさないように、
という意味のようだ。
へぇ~、
ってなもんだ。
息苦しくて、
ふと思ったことがある。
子どもの頃、
永らく小児喘息と肺炎で
入退院を繰り返してきたので、
死ぬんなら、あの懐かしい
呼吸困難感がいいのかなぁ・・・という
愚にもつかないことを
考えていた。
気管支炎で
呼吸が苦しくなると、
懐かしい症状よ
コンニチワという感じであった。
そして、
拡張剤で息が
スーハーと心地よく通った時の
快感も思い出した。

きのうの録画で
『3月のライオン』の後編を観た。
実によく出来ていた。
原作マンガを読んでいて
将棋好きには
たまらない仕上がりだった。
神木くんが
上手い!
「力になってもらっていたのは
僕の方だった・・・」
と、三姉妹を前に
涙するシーンでは
思わず泣けてしまった。
「いじめ」や
「クズ親父との対決」などの
苦いシーンもあったが、
現実生活と盤上という
ふたつの場面での「闘い」が
二本の糸をよったように
呼応していた。
同時に、
現実の棋界での
天才ソータの活躍が
「マンガを超えている」
という世評も
むべなるかなと感じられた。

発刊当時の91年から
ずっと家にあったが、
ずっと未読のままだった
小川洋子の『妊娠カレンダー』を
やっと読んでみた。
芥川賞受賞作品である。
いまや著者も
数多くの受賞歴と共に
芥川賞選考委員になるほどの
文壇の大家になった。
2004年の
『博士の愛した数式』では
読売文学賞、本屋大賞のW受賞で
映画化もされ一躍脚光を浴びた。
『妊娠カレンダー』は
70頁ほどの中篇だったが、
同書に所収の『ドミトリィ(学生寮)』は
察するに、著者が早大時代に
四年間いた金光教東京学生寮を
モチーフにしていることが伺われた。
そこでは、
教内者のみが知る
両手・片足のない
中山亀太郎先生をモデルとした
寮長が登場し、
小説家の目で淡々と描写しているのは
いささか衝撃を受けた。
著者の実家は金光教の教会で、
氏も金光教については
オープンにして
河合隼雄先生とも
対談で話題にしている。
かつて
「神様ありがとう」
という一枚の広報パンフで
表の小川氏のインタヴュー記事の裏側に
自分のエッセイが載ったことがあり、
嬉しく思ったことがあった。
現在56歳で
昭和30年世代である。
教内では
サトウサンペイ氏と並ぶ
超メジャーなおひとりである。

らも氏の本の
買い置きがあったので、
彼の出世作である
吉川英治文学新人賞受賞作の
アル中小説『今夜、すべてのバーで』を
面白く読んでいる。
半分以上は
著者自身の体験談で
アルコホリックの凄まじさが
細やかに描写されていて
心理カウンセラーとしても
勉強になる。