きのうは病欠して、
朝寝・昼寝・夕寝と
寝たきりジジイに
なりきっていた。
それでも
夜にはしっかり寝れて、
今朝はいくぶん
体調がいい。
目覚めてる間は、
ずっとコミックを読んでいた。
買い置きのものが
山ほどあるが、
散歩で見つけた
『まぐろ土佐船』が
どうしても読みたくなり、
万サイ堂まで買いに出かけた。
2001年に出たばかりの頃に
一読して面白かったのが
印象に残っていて、
1巻目を見つけて
また再読したくなった。
重厚でコクのある味の内容で
読後に至極満足感があった。
なので、
すぐに続巻の2,3巻を
アマゾンに注文した。

ツタヤの新刊コーナーも
のぞいてみたら、
なんと『響』の新刊が出ていて
歓喜した。
今、いちばん読みたい、
ノッているマンガである。
実写版映画なぞは
興味の外だが、
今回は次期総理を相手に
タイマンをはる響が
なんともカッコイイ。
サブキャラのセリフじゃないが、
「響ちゃん。
日本の総理まで動かしちゃうんだ」
というような
漫画的ご都合主義は
相変わらずだが、
マンガを超えている、と賞される
『四百年に一人の天才』
ソータが登場してから、
まんざら「響」も有り得なくもないか、
と思わされる面もある。
我われは
トンデモナイ天才に出会うと、
まさに畏怖と羨望とリスペクトの
コンプレックス状態に
魅了されるのかもしれない。
ネットでは
軽々に「神ってる」
などという
動詞が使われているが、
ほんとに「神ってる」存在が
現われると
人は言葉を失う。
そう。
絶句する。
最近は、ソータ以外、
なかなか「神ってる」キャラに
お目にかかっていないが、
「響」はまさに
そんな「神ってる」キャラ
なのかもしれない。

日がな一日、
病床に伏していたら、
ふとライブラリーにある
『漂流』が読みたくなり、
階下に降りて
全四巻を抱えて
ベッドにもぐった。
2050年の近未来物で、
宇宙船内のスペースコロニーで
展開される物語だが、
メカやクリエイチャーは
ハリウッド映画並みの劇画として
楽しめるのだが、
いかんせん話がダサダサで
駄作もいい処である。
「さいとう・たかを」の
ほぼ全作品を読んできたが、
中にこういう愛すべき駄作が
ちょいちょい交じっている。
読んでいて
気恥ずかしくなるのだが、
なぜ病床で読みたくなるのか・・・。
やはり、
その他愛なさに
病んだ気が、
どこか癒されるのだろう。
むかしは、
風邪をひくと
不思議と「水木しげる」が
読みたくなることがあって、
やっぱり、あの他愛なさに
癒されたものである。
自分用の『自分史』を
すでに書き上げて
製本化してあるが、
小児喘息で何年も入院生活していた
“こころの友”は、やはり
ギターよりもマンガであった。
マンガなくして
我が人生は
なかったかもしれない。

病床に伏すと、
きまって過去ログを読みたくなり、
2017年のブログを冊子化した
『人生を遊ぶ 2017』を
初めて一読した。
この本、
改行なし、フォント小さめ、
キチキチに詰めにつめて
313頁もある。
去年のちょうど今頃、
3週間あまりのひどい
気管支炎を患って
仕事を休んでいた。
なるへそ。
詳細な自分史でもあり、
簡略な日記でもあるブログは、
ヘルス・ケアのデータベースにも
利用できるものである。
***
国民的人気キャラ?(笑)
秋風羽織の「洒落本」が出て
受けた。
『人生は、半分、青い』
というタイトルも
気が利いている(笑)。
いよいよ、
来週が最終週で、
物語の大団円である。
今日の処は、
スズメ&リツが開発成功した
「そよ風の扇風機」を
元ダン、駄目ダンだった
リョーちゃんが、
スンバラシイCF製作して
プレゼンのイベントで上映される。
そこへ、
タイミングよく
一匹の蝶が舞い込んでくる。
「そよ風に誘われて、
本物のチョウチョもきてくれました」
というスズメのMCに
プレゼン会場は
和やかな雰囲気に包まれるが、
瞬間、グラリと映像が揺れる。
そして、
青い蝶は飛び去って行く。
その蝶こそが、
あ、ユーコちゃんだ、
とユンギャン(ユング派心理屋)は
気がついた。
蝶はラテン語で「プシケ」、
それは「息」「風」、
そして「たましい」という
意味でもあり、
「Psychology」の
「サイコ(心)」でもある。
2011年3月11日、
2時46分という
“あの時”が
『半アオ』で再現された。
ε=ε=ε=ヾ(◎θ◎)ノ
朝寝・昼寝・夕寝と
寝たきりジジイに
なりきっていた。
それでも
夜にはしっかり寝れて、
今朝はいくぶん
体調がいい。
目覚めてる間は、
ずっとコミックを読んでいた。
買い置きのものが
山ほどあるが、
散歩で見つけた
『まぐろ土佐船』が
どうしても読みたくなり、
万サイ堂まで買いに出かけた。
2001年に出たばかりの頃に
一読して面白かったのが
印象に残っていて、
1巻目を見つけて
また再読したくなった。
重厚でコクのある味の内容で
読後に至極満足感があった。
なので、
すぐに続巻の2,3巻を
アマゾンに注文した。

ツタヤの新刊コーナーも
のぞいてみたら、
なんと『響』の新刊が出ていて
歓喜した。
今、いちばん読みたい、
ノッているマンガである。
実写版映画なぞは
興味の外だが、
今回は次期総理を相手に
タイマンをはる響が
なんともカッコイイ。
サブキャラのセリフじゃないが、
「響ちゃん。
日本の総理まで動かしちゃうんだ」
というような
漫画的ご都合主義は
相変わらずだが、
マンガを超えている、と賞される
『四百年に一人の天才』
ソータが登場してから、
まんざら「響」も有り得なくもないか、
と思わされる面もある。
我われは
トンデモナイ天才に出会うと、
まさに畏怖と羨望とリスペクトの
コンプレックス状態に
魅了されるのかもしれない。
ネットでは
軽々に「神ってる」
などという
動詞が使われているが、
ほんとに「神ってる」存在が
現われると
人は言葉を失う。
そう。
絶句する。
最近は、ソータ以外、
なかなか「神ってる」キャラに
お目にかかっていないが、
「響」はまさに
そんな「神ってる」キャラ
なのかもしれない。

日がな一日、
病床に伏していたら、
ふとライブラリーにある
『漂流』が読みたくなり、
階下に降りて
全四巻を抱えて
ベッドにもぐった。
2050年の近未来物で、
宇宙船内のスペースコロニーで
展開される物語だが、
メカやクリエイチャーは
ハリウッド映画並みの劇画として
楽しめるのだが、
いかんせん話がダサダサで
駄作もいい処である。
「さいとう・たかを」の
ほぼ全作品を読んできたが、
中にこういう愛すべき駄作が
ちょいちょい交じっている。
読んでいて
気恥ずかしくなるのだが、
なぜ病床で読みたくなるのか・・・。
やはり、
その他愛なさに
病んだ気が、
どこか癒されるのだろう。
むかしは、
風邪をひくと
不思議と「水木しげる」が
読みたくなることがあって、
やっぱり、あの他愛なさに
癒されたものである。
自分用の『自分史』を
すでに書き上げて
製本化してあるが、
小児喘息で何年も入院生活していた
“こころの友”は、やはり
ギターよりもマンガであった。
マンガなくして
我が人生は
なかったかもしれない。

病床に伏すと、
きまって過去ログを読みたくなり、
2017年のブログを冊子化した
『人生を遊ぶ 2017』を
初めて一読した。
この本、
改行なし、フォント小さめ、
キチキチに詰めにつめて
313頁もある。
去年のちょうど今頃、
3週間あまりのひどい
気管支炎を患って
仕事を休んでいた。
なるへそ。
詳細な自分史でもあり、
簡略な日記でもあるブログは、
ヘルス・ケアのデータベースにも
利用できるものである。
***
国民的人気キャラ?(笑)
秋風羽織の「洒落本」が出て
受けた。
『人生は、半分、青い』
というタイトルも
気が利いている(笑)。
いよいよ、
来週が最終週で、
物語の大団円である。
今日の処は、
スズメ&リツが開発成功した
「そよ風の扇風機」を
元ダン、駄目ダンだった
リョーちゃんが、
スンバラシイCF製作して
プレゼンのイベントで上映される。
そこへ、
タイミングよく
一匹の蝶が舞い込んでくる。
「そよ風に誘われて、
本物のチョウチョもきてくれました」
というスズメのMCに
プレゼン会場は
和やかな雰囲気に包まれるが、
瞬間、グラリと映像が揺れる。
そして、
青い蝶は飛び去って行く。
その蝶こそが、
あ、ユーコちゃんだ、
とユンギャン(ユング派心理屋)は
気がついた。
蝶はラテン語で「プシケ」、
それは「息」「風」、
そして「たましい」という
意味でもあり、
「Psychology」の
「サイコ(心)」でもある。
2011年3月11日、
2時46分という
“あの時”が
『半アオ』で再現された。
ε=ε=ε=ヾ(◎θ◎)ノ