ここ十年で
創り上げてきた
作品の数々を
自分用の目録として
『佐々木 修 現代美術館』
として100点×4巻まで
紙上に収蔵してきた。

一部の親しいデザイン関係の
友人や教え子には
謹呈させて頂いたが、
もっぱら自分の楽しみ用として
製本した。
その製本も
本文(ほんもん)執筆から
レイアウト・装丁・
印刷・丁合・裁断と
創作過程の一環である。
古楽器製作の
100以上の行程に比べれば、
ほんの十数行程なので、
手工業で何百冊か製作している。

現在は、
暇をみて『美術館Ⅴ』の
作品解説を執筆中である。
作品の九割は
デジカメで撮ったものを
画像ソフトで油彩風仕上げや
水彩風仕上げ、ポスタライズ、
抽象画化というヴァーチャル処理をして
最終的に2D上で額装する。
最近では、
現地に赴くのは一緒だが、
そこでイーゼルを立てて
パレットに絵の具を絞り、
テレピン油で溶く・・・
といった油彩画の手間を省いて、
モチーフだけを切り取ってくるという
ヴァーチャル・アートスタイルに変化した。
学生時代に行った
4度のリサイタルで得た興行収入で
古書店から『ヴァンタン』シリーズという
重厚な画集全40巻を買い揃え、
20代から長らく油彩で
古典から近代までの名画を模写して
画力を鍛えてきた。
なので、
ヴァーチャル処理でも
それほどピント外れな
作風にはならない自負はある。
しかし、
手法は現代的だが、
画風やテイストは、
風景画はコロー風であったり、
生物画はセザンヌ風であったり、
裸婦はアングルっぽかったり・・・と、
何処か先人のエピゴーネンに堕しており
オリジナリティに欠けている、
という自己批判を禁じ得ない。
むしろ、
現代音楽のような
アブストラクトな抽象画の方が
自分らしさが発揮できているような
気もする。
でも、
まるっきりの
独りよがりではあるが…。
むのたけじの
詞集『たいまつ』にある
「自画自讃おおいにけっこう。
自讃できぬ絵なら描かないほうがいい」
との言葉を
何処か心の支えにもしてきた。
音楽も同じで、50年来、
数多のジャンルを聴いてきて
これでいいと思って
自己表現しているが、
果たしてそれが、
「自己陶酔型の音痴のカラオケ親爺」
に成り下がっていないか・・・と、
録音を聴き、先生にレッスンを受け、
聴衆のアンケートの声に
虚心坦懐に耳を傾けている。
まだ教員になりたての頃、
テストの平均点が低くって、
生徒の不勉強ぶりを
先輩教師に嘆いたら、
逆に、その点数こそが、
あんたへの採点結果なんだ、
と窘められて、
自分の教え方が悪かったと
自己反省したことがあった。

紙上美術館には、
古楽器工房で
精魂傾けて製作した
何十もの古楽器たちも
自分の作品として載せてある。
その最高傑作ベスト3は、
現在、新潟在住の
古楽器奏者Sさんが所有されている
ストラディバリウス・モデルの
バロックギターと
17Cスペインのヴィウエラ、
それとオリジナル設計の
6コース・ルネッサンスギターである。
来年のファイナル・リサイタルで
披露しようと計画している
自分用のヴィウエラを
今年の夏休みに、
持てる技術と全精魂を傾けて
遺作を創るつもりで
製作しようと考えている。
毎回、ゼロからの
スクラッチ・ビルトなので、
そろそろ、
毎月の給料日後に
最高級の材料調達から
はじめようと思う。
創り上げてきた
作品の数々を
自分用の目録として
『佐々木 修 現代美術館』
として100点×4巻まで
紙上に収蔵してきた。

一部の親しいデザイン関係の
友人や教え子には
謹呈させて頂いたが、
もっぱら自分の楽しみ用として
製本した。
その製本も
本文(ほんもん)執筆から
レイアウト・装丁・
印刷・丁合・裁断と
創作過程の一環である。
古楽器製作の
100以上の行程に比べれば、
ほんの十数行程なので、
手工業で何百冊か製作している。

現在は、
暇をみて『美術館Ⅴ』の
作品解説を執筆中である。
作品の九割は
デジカメで撮ったものを
画像ソフトで油彩風仕上げや
水彩風仕上げ、ポスタライズ、
抽象画化というヴァーチャル処理をして
最終的に2D上で額装する。
最近では、
現地に赴くのは一緒だが、
そこでイーゼルを立てて
パレットに絵の具を絞り、
テレピン油で溶く・・・
といった油彩画の手間を省いて、
モチーフだけを切り取ってくるという
ヴァーチャル・アートスタイルに変化した。
学生時代に行った
4度のリサイタルで得た興行収入で
古書店から『ヴァンタン』シリーズという
重厚な画集全40巻を買い揃え、
20代から長らく油彩で
古典から近代までの名画を模写して
画力を鍛えてきた。
なので、
ヴァーチャル処理でも
それほどピント外れな
作風にはならない自負はある。
しかし、
手法は現代的だが、
画風やテイストは、
風景画はコロー風であったり、
生物画はセザンヌ風であったり、
裸婦はアングルっぽかったり・・・と、
何処か先人のエピゴーネンに堕しており
オリジナリティに欠けている、
という自己批判を禁じ得ない。
むしろ、
現代音楽のような
アブストラクトな抽象画の方が
自分らしさが発揮できているような
気もする。
でも、
まるっきりの
独りよがりではあるが…。
むのたけじの
詞集『たいまつ』にある
「自画自讃おおいにけっこう。
自讃できぬ絵なら描かないほうがいい」
との言葉を
何処か心の支えにもしてきた。
音楽も同じで、50年来、
数多のジャンルを聴いてきて
これでいいと思って
自己表現しているが、
果たしてそれが、
「自己陶酔型の音痴のカラオケ親爺」
に成り下がっていないか・・・と、
録音を聴き、先生にレッスンを受け、
聴衆のアンケートの声に
虚心坦懐に耳を傾けている。
まだ教員になりたての頃、
テストの平均点が低くって、
生徒の不勉強ぶりを
先輩教師に嘆いたら、
逆に、その点数こそが、
あんたへの採点結果なんだ、
と窘められて、
自分の教え方が悪かったと
自己反省したことがあった。

紙上美術館には、
古楽器工房で
精魂傾けて製作した
何十もの古楽器たちも
自分の作品として載せてある。
その最高傑作ベスト3は、
現在、新潟在住の
古楽器奏者Sさんが所有されている
ストラディバリウス・モデルの
バロックギターと
17Cスペインのヴィウエラ、
それとオリジナル設計の
6コース・ルネッサンスギターである。
来年のファイナル・リサイタルで
披露しようと計画している
自分用のヴィウエラを
今年の夏休みに、
持てる技術と全精魂を傾けて
遺作を創るつもりで
製作しようと考えている。
毎回、ゼロからの
スクラッチ・ビルトなので、
そろそろ、
毎月の給料日後に
最高級の材料調達から
はじめようと思う。