この週末は
仕事がオフなので、
リサイタル音源を編集して
CD作りに励もうかと
思っている。

昨晩は、
今年のデザインを決めて
30枚ばかり印刷を先にした。

例年は、
音源編集を先にしてから
ディスク・プリントをしていたが、
今年は逆のコースでいくことにした。

ジャストピントのスチル画像が
なかったので、
苦肉の策として
ソロシーンを絵画処理して
それらしく見せた。



こういう数仕事は
単調なものだが、
落語を「ヨウツベ」(YouTube)で
聞きながら、ガッチャン、ガッチャンと
職人に徹してやっている。

これも
“楽壇ひとり”
CD製作事業部の
仕事である。

正面のPC/プリンターでは
CD印刷をし、
背面のPCでは
図書館で借りてきた
『赤毛のアン』の
CDコピーをせっせとしていた。



かつて、
数年かけて
市内およそ20箇所の
学習センターや図書館の
CDをほぼ全てコピーして、
1000枚以上の自宅ライブラリーを
こしらえあげた。

図書館同様に
PCでファイル管理してあり、
通勤路の車中で聴くのに、
毎日、検索しては、
とっ換えひっ替えしている。

既出の朗読CDを全て聞いて、
橋爪 功のものが
天下一品であることを知った。

なので、
橋爪 功専用のCDホルダーも
作ったくらいである。

橋爪による
『三国志』全100枚の大全集は
二十数万円もするものだが、
国内で唯一、
広島県立図書館が所蔵していたので、
福島県立図書館で交渉してもらい、
輸送費負担で取り寄せてもらった。

出たばかりの
市原悦子に拠る
『アン』は、
連ドラ『花子とアン』の
村岡花子訳のものだった。

そのこなれた訳もさることながら、
『にっぽん昔はなし』で鍛え上げられた
市原の声音(こわね)に拠る八人芸は
驚嘆するような出来栄えであった。

まさに、
橋爪 功と双璧の
朗読達人である。

素読みの部分は、
かつて『サザエさん』の
お母さんの声役だった
麻生美代子にそっくりなのも
驚きであった。

アンはこまっしゃくれた子ども声で、
マリラは野太い声で
老獪さと秘めた優しさが、
マシューは慈愛深い温厚さが、
他の人物たちもその存在感が
ありありと目に浮かぶような
まさに名朗読である。

BGMなぞ
まったくなしで
これだけ聴かせるというのは、
まさに役者の本読みの深さと
表現力の見事さなのだろう。

橋爪も市原も
映画・ドラマでは
主人公たり得ない
脇役だが、だからこそ、
その表現力、存在力が
磨かれたのかもしれない。

見目麗しいスターは
映像的にはそれなりのオーラがあるが、
得てして存在の深味のない人物もいる。

そんな人が読んだ朗読は
聞くに堪えないほど
浅薄でツマラナイ。

結局のところ、
「芸は人(にん)なり」
ということなのかもしれない。

天才落語家・立川談志家元は
晩年に
「作品をリフレインしているだけの
バカ落語家がいかに多いか・・・」
と嘆いていた。

家元曰く
「パーソナリティこそ芸の本質」
という言葉を深く噛みしめたい。

何をやるか、ではなく、
誰がやるか、なのである。

してみれば、
我が音楽芸、カウンセリング芸にも
通ずるものがあるかもしれない。

達者だけど面白くない、
感動しないという演奏家は
山ほどいるし、
この人には
カウンセリングしてほしくない
という人も仰山おる。

「芸は人(にん)なり」

六十路にして
ようやく気づいた
境地かもしれない。




新聞広告に
「きゅうりダイエット」なる
珍奇な本が、
野崎さんによって
出されたというのを見て
なんだか苦笑した。

古殿町出身で、
ミシュラン2つ星の野崎さんは、
教育会館での家庭科教員研修で
お会いする機会があり、
色紙を書いて頂いたことがある。