●杉並中央図書館で、縄文に関して調べものをしてきました。
縄文小説『まほろばばらぼら』の初稿を書いたのは8年くらい前で、
その時はみっちり調べたのですが、もうすっかり忘れてしまい、
改稿するにも、調べ直さなければなりません。
●縄文の死生観は、明らかになってないので、アイヌを基にして想像していきます。
かと言って、アイヌ丸写しでもダメ。
比較的古い風習が残っているとはいえ、長ーい年月の中で、その時代時代の影響を受けてきたので、
アイヌ=縄文というわけではないのです。
●アイヌと古代日本(縄文よりかは時代が下る)の死生観の比較が面白かった。
『古事記』イザナミ・イザナギの話からも窺えるように、日本では死後の世界は「穢れ」の世界。
一方、アイヌでは、死後の世界(天上にある)は、神々が楽しく暮らす世界で、
この世で死んだ者は、そこに帰って、神の一員に戻ります。
むしろ、めでたい。
「神」の概念もまた異なる。
古代日本。
「やおよろずの神々」という言葉があっても、山や清水や岩といった大自然に神が宿るという考えであって、
普通の人間は(神の子孫である一部の特殊な人たちを除いて)神ではない。
でもアイヌでは、人は死んで、天上に帰ると皆、神に戻る。
そして、しばらくするとまた地上に下りてきて、人間などとして生き、死ぬと天上に戻り…を繰り返す。
地上に来る時は、熊などの姿になることもあります。
「熊送り」という儀式があるのですが、
これは熊を捕った時など、その死骸を前にお祭りをし、楽曲や舞いで送ってあげる。
するとその熊は、「この世界は楽しかったなー。また来たいなー」と思いながら、天上へと帰っていくわけで、
しばらくすると、また戻ってきてくれる。
つまり、豊猟を祈る儀式ですね。
ただし、荒ぶって人を殺したりした(「わるさ」をした)熊は、地下世界(地獄のようなもの)へと堕ちていくといいます。
以上、アイヌの死生観でした。
ちなみに、アイヌの死後の世界を「天上」と書きましたが、
洞窟を抜けた先だったり、地球の裏側だったりと、諸説があるようです。