■『平清盛』 時におもしろい箇所もあるんだけど、毎回もの足りないです。
なんて言うか、大きな「志」が欠けている。
私は専門学校のノベルス学科でドラマトゥルギーを教えてまして、そこでいつも言ってるのは、
主要登場人物には「大小、二つの目的を持たせるように」。
「小」に関しては、今は省きますね。
『平清盛』の登場人物には、「大きな目標(志)」が見えない。
清盛は「武士の世を作る。武士の世を作る」と言うけど、じゃあ、武士の世ってなんなの?
それより前に、今の(武士じゃない)世では、なにがどう不都合なわけ?
どうだから悪政なの?
そして、それをどの方向に正そうというの?
そういうのが、ちっとも描かれずに、単に抽象的に「武士の世を」という言葉が踊ってるだけ。
『龍馬伝』に共感できたのは、身分が低くて差別されてる者が、なんとか見返そうという、
それももちろんあったけど(そこは清盛も同じ構図)、
黒船が来て、日本という国が大きな大きな渦に飲みこまれようとしている。
このままでは国が滅びる。
なのに、幕府の旧態依然とした体制では対処できない。
だから、まったく新しい発想の新しい体制に切り替えないといけないという、切迫した危機感。
だからこそ、それを見据えてつっ走る龍馬の生き方に説得力があったわけで。
『清盛』では、そりゃ公家たちは皆、悪相ばかりで、己のことしか考えてないけど(そこもワンパターン。本当は彼らにもそれぞれ、狭かろうが「志」はあろうに)、
でも、その公家たちの政が、天下国家(そこに住む人々の暮らし)に、どんな弊害となってるのかが描かれてない。
でもって、それを否定する立場の平家や源氏に、じゃあ、どんな「志」があるかといったら、単に「武士の世」。
そして、やってることは結局、「自分が、のし上がりたい」「あいつに負けたくない」という、こっちだって、ちっぽけな権力闘争。
うーんと話が矮小化されてる。