■アクシデント多発。まるでゲームの最終局面のように。
おもしろいくらいアクシデントが重なるので、
まるで、神様(かなにか)が、わざと試練を次々与えてるんではないか?とさえ思え、
「よーし、だったら乗り越えてやろうじゃないか!」と奮起する私。
それらを次々こなしていく。
ひょい、次、ひょい、次……。
あっ、でもこれは「気分」のことです。だって、人生はゲームとは違うんですから。
ゲームだったら、なんとか手を尽くせば必ずクリアできるし、
乗り越えた先には、ミッション達成、ステージクリア、レベルアップといった「ご褒美」もあって、必ず報われます。
だけど、実際のアクシデントは、どんなにがんばっても乗り越えられないこともあるし、
乗り越えたところで、単に摩耗しただけで、報われないこともあります。
これがゲームだったら、どんなにかいいのに。
神様(という方がいらっしゃって)その方が作った試練だったら、どんなにかいいのに。と思うこともあります。
やっかいなのは、先が見えないということでしょう。
ゲームや試練なら、必ず乗り越えられる。
でも、今自分が直面してる事態は、どうかは分からない。
ゲームや試練なら、必ず報われる。それなりの意味があるからこそ、そこに「アクシデント」は配置されてる。
でも、今自分が直面してる事態は、どうかは分からない。
この「分からない」というのが、精神的にきつい。
乗り越えられないかもしれない。報われないかもしれない。
その過程が楽しいわけじゃない。リセットや、やり直し(セーブ・ロード)もできない。
だけどね、だからといって、逃げてはなんにもならない。乗り切るしかありません。
乗り切らないことには、絶対に事態は良くはならないのですから。
もっとたいへんなこと、もっと精神的にへこむこと、もっと悪い結果だったこと、徒労に終わったことも、これまで、さんざん経てきました。
それらに比べたら、パソコンのクラッシュなんて、なーに、たいしたことない。
多少めんどくさかろうが、難易度は低いです。
私が本当にやりたいのは、自分の作品世界を作りあげることと、
それを他の人に受け取ってもらい、共有すること。
本当はそれに専念したい。その「山登り」だって、容易じゃないんだから。
でも、その「山」がある場所に至るまでに、関係ないハードルが次々現れる。
やっと山に到達して、登り始められたと思ったら、さっと引き離され、
見たら、山との間に新たなハードルが出現してる。
「いい加減にしろ!」と叫びたくなることもあります。
「もうかんべんして!」と泣きたくなることも。
だけど、それでもハードルを越していくしかないのです。
越したらまた次のが現れるかもしれなくても。
そうやって、山に辿りついて、山登りを敢行し、少しでも上がっていく。
だって、山の上からのすばらしい景色を、少しでも多く見たいですもの。