アクシデントを越えて | 檜木田正史のブログ(ツイッターより)

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ツイッターを2012年6月21日に始めました。
@hinokida_m

仕事のこと、新作のこと、講師をしている専門学校のこと、趣味のミュージカル・講談・マーダーミステリーのことなどのツイートを、ここに格納していきます(多少、加筆修正)

■アクシデント多発。まるでゲームの最終局面のように。


おもしろいくらいアクシデントが重なるので、


まるで、神様(かなにか)が、わざと試練を次々与えてるんではないか?とさえ思え、


「よーし、だったら乗り越えてやろうじゃないか!」と奮起する私。


それらを次々こなしていく。


ひょい、次、ひょい、次……。



あっ、でもこれは「気分」のことです。だって、人生はゲームとは違うんですから。

ゲームだったら、なんとか手を尽くせば必ずクリアできるし、


乗り越えた先には、ミッション達成、ステージクリア、レベルアップといった「ご褒美」もあって、必ず報われます。


だけど、実際のアクシデントは、どんなにがんばっても乗り越えられないこともあるし、


乗り越えたところで、単に摩耗しただけで、報われないこともあります。


これがゲームだったら、どんなにかいいのに。


神様(という方がいらっしゃって)その方が作った試練だったら、どんなにかいいのに。と思うこともあります。



やっかいなのは、先が見えないということでしょう。


ゲームや試練なら、必ず乗り越えられる。


でも、今自分が直面してる事態は、どうかは分からない。


ゲームや試練なら、必ず報われる。それなりの意味があるからこそ、そこに「アクシデント」は配置されてる。


でも、今自分が直面してる事態は、どうかは分からない。


この「分からない」というのが、精神的にきつい。


乗り越えられないかもしれない。報われないかもしれない。


その過程が楽しいわけじゃない。リセットや、やり直し(セーブ・ロード)もできない。


だけどね、だからといって、逃げてはなんにもならない。乗り切るしかありません。


乗り切らないことには、絶対に事態は良くはならないのですから。



もっとたいへんなこと、もっと精神的にへこむこと、もっと悪い結果だったこと、徒労に終わったことも、これまで、さんざん経てきました。


それらに比べたら、パソコンのクラッシュなんて、なーに、たいしたことない。


多少めんどくさかろうが、難易度は低いです。

私が本当にやりたいのは、自分の作品世界を作りあげることと、


それを他の人に受け取ってもらい、共有すること。

本当はそれに専念したい。その「山登り」だって、容易じゃないんだから。


でも、その「山」がある場所に至るまでに、関係ないハードルが次々現れる。

やっと山に到達して、登り始められたと思ったら、さっと引き離され、


見たら、山との間に新たなハードルが出現してる。


「いい加減にしろ!」と叫びたくなることもあります。


「もうかんべんして!」と泣きたくなることも。


だけど、それでもハードルを越していくしかないのです。


越したらまた次のが現れるかもしれなくても。


そうやって、山に辿りついて、山登りを敢行し、少しでも上がっていく。

だって、山の上からのすばらしい景色を、少しでも多く見たいですもの。