SNSを渉猟していたら、官能小説を募集しているというサイトに出会った。覗いてみると相当な額の懸賞金であった。その金額につられて些か興味を覚えた次第である。そこで、勃然官能小説を書きあげようとの情熱が沸き、終日パソコンの前に座っていたが、ただの一語も書けなかった。書こうと思うと難しいものらしい。
ところで、官能小説はどうやって、またどんな動機で作っているのかというのが久しい間の疑問であった。あるとき、高名な某SM作家のエッセイを読んでいたら、あくまで自慰のために書いているのだと言う記述があって、年来の疑問が氷解した。要するに多くの作家は自らを慰めるために官能小説を書いているという、考えてみれば当たり前のことが分かった。そうだとすれば、官能小説の多くは大なり小なり自分の体験ないしは個人的な妄想に基づいているということになる。つまりは須らく体験と言うのは自らの視界の範囲を越えることはできないものである。この様な個人的な体験の限界については、ある種の教訓めいた至言が数多あって、例えば群盲、象を撫でるであるとか、蘆の髄から天を覗くなどと言ったりして、料簡の狭さを戒めることになっている。