父親は大正13年の生まれだった。大東亜戦争の時には専門学校生で、ぎりぎり徴兵の最後にすべりこんだようだった。しかしながら、実際には出征していない。最晩年、ある日施設に居る父親を訪ねると、いきなり戦争時代の話しを始めた。海軍予備士官学校に受かったことが、自分としては一生で一番欣快なことであったとの述懐であった。これには意表を衝かれた。当時の男子は、誰もがかように考えていたものであろうか。