今年、池田先生が亡くなった。池田先生は、暁星時代にお世話になったが、かと言ってその関係は濃密なものであったわけではない。先生はバスケ部の顧問をされていたから、バスケ部の部員は色々な思い出をお持ちだろう。私は、ひとかけらほどの思い出しかない。先生との出会いは、実に暁星中学の入試の時だった。試験監督をされていた。先生が入試問題を抱えて教室に颯爽と入って来られた時、あまりにも美しい男性教師が目に飛び込んできたので吃驚した。かつて山田美妙が奥さんと庭に佇んでいるのを見かけた文人が、あまりの美しい男女の姿に胸打たれたのは、かような情景だったかもしれない。先生は慶応大学の国文で学ばれた。指導教官は池田弥三郞先生だった。その時電撃に打たれるように、私はこの学校に入りたいと痛切に思った。それは、10歳で東京に出てきて、それまで暮らした世田谷の田舎の小学校で不本意な日々を送っていたからかもしれない。その後も飯田橋から暁星の校門まで、爽やかに少し早歩きで歩む先生のスマートな姿を何度か目にして、暁星に学ぶ象徴を目にするように、改めて喜びを噛みしめた。私は、このささやかな思い出を、記憶から消し去ることが出来ないだろう。