立春を迎えたら娘が小さい頃はお雛様を出していました。
ちょっと前はお内裏様とお雛様のみで今はしばらく出さなくなり小ぶりな飾りを求めたけれどそれも出したり出さなかったり…桃の花をかざって桜餅を戴く花より団子に。

あの頃は七段飾りが流行り実家ではなくこちらで揃えて貰いました。
スチールの段を床の間から置いて前に張りだし足りない足場は一升瓶の箱がちょうどよい高さでお飾りの被布もあり親戚からガラスケースに入ったお人形も戴きにぎやかでした。

昔は初節句のお宅にお祝いを届けしお返しに桜餅が菓子折いっぱいに届きます。
当日は各家庭ご馳走が並んで皆ニコニコ。

実家ではお祝い事はお赤飯じゃなくてちらし寿司でした。
生魚じゃない方の。

母が得意で具も沢山入って子供だった私達三姉妹はとても楽しみにしてました。
ある年母は病を得て入院中なのを見舞ったのがたまたま3月3日だった時それはそれは申し訳なさそうに「ひな祭りなのにちらし寿司作ってあげられなくて…」と。

それから程なく他界し益々忘れられない味になりました。
妹から具材を聞いてもあの味にはならないんですねぇ…なぜか。

私も子供の誕生日や桃の節句や端午の節句には必ずちらし寿司を作っていました。
今は便利な物があるのでそこへ具材を足してインチキなちらし寿司となり益々母の味から遠のくばかりです。

ひな祭りと言うとそんな事を思い出します。
はてさて私は母の味を子供達に残せているんでしょうか?怪しいなぁ。