舞台に出ます。


上手な若手はどんどん出てくるし、私ももう終わりかなあ...

なんて、思っていたのですが。


また、ダンスの舞台に参加出来る事になりました。

ありがたい事です。


こんな機会を与えてくれた、徳子さんに感謝感謝!しながら。




今回はストーリー仕立てのダンス公演です。

ジャンルもさまざまで、でもストーリーを通して一つのものを作り上げる事に

ぞくぞくしながら、リハに臨んでいます。


いろんなジャンルが一度に楽しめる、見ごたえのある舞台になりそうです。


ご興味のある方は是非





【公演概要】
MaKuRo 2014 四季島の魔女
2014.3.22.(土) / 23(日)
ティアラこうとう
22(土) 19:00~
23(日)13:00~/ 17:00~
計3公演を予定
前売り 3000円 ※当日券販売未定

【1部 MaKuRo Show】

【2部 四季島の魔女】

私の出演するのは

巽徳子さんのナンバーです。


チケットのお求めはこちら
こちらのページに飛んだら「四季島の魔女」バナーをクリックして下さい。
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オリンピック招致のプレゼンを見るともなく見ていたら

なんと、あの国の総理大臣が、大風呂敷を広げていた。


マンガや、小説なんかでいえば「伏線」と呼ばれるやつだ。

「日本をとり戻す」なんて、いつぞやの舌っ足らずが

英語なんて出来るのかしらなんて思っていたら

おお、日本語訛りの英語、ほほう。

さすがだ、政治家さんはどんな所でも堂々としていらっしゃる。


セーフティ

コントロール

トウキョウ

ダメージ


某国では、この国の海産物(?)の輸入を禁止、なんて

訳のわからないニュースが、数日前に飛んだ。

なんとなく、被災地は、おいてきぼり。

東京の電気の為に、苦しんでいるのに、なんなの?


あの震災時の政府の情報開示のメタメタさに、情報は

自分で獲得しなければならない事を学んだ。

収束なんて信じられないし、

コントロール範囲内にあるなんてとても思えないし

東京がノーダメージ...そうか?そうなのか?


大人になればなる程、嘘が上手くなる。

会話の中で、場を盛り上げる為に、はったりが必要なこともある。


これから7年後、どうなっているんだろう、

今は、そんなこと全然信じられないけど、

7年後には.....


政治家の嘘なんて日常茶飯事だし、

そんなものは、いまさら信じたりしない

信じられない。信じたりしないぞ、私は。



ロゲ会長の 「TOKYO」とう冷静な一言の後の

あのはしゃぎよう、皆の笑顔。笑顔。


わすれないで、とも思うし、

辛いことは、わすれなくちゃ

とも思う


果てのない復興を思って、沈んでも仕方がないので

じゃあ笑えって言われたってそんなの無理だ。


鎮魂のお祭りも、かなしい誰かを思わずにいられないのだ。


どうせ、明日なんて誰にもわからないのだ

7年後なんて、もっとわかんないのだ。


震災からの2年半を思えば

仮に、オリンピック招致が不可だったとしても、

そのぶん復興が進む、なんて事があるんだろうか


復興が進んでも、皆が笑顔でなきゃ意味がないし

街が新しくなるには、何か目標が必要なんじゃないんだろうか?

マイナスからの出発、だけじゃなくて

プラスに向かう何かが


世界に向かって広げた大風呂敷。

伏線は回収しないと、

広げた風呂敷は、速やかに畳んでいただかないと

世界に向かって大嘘をついたことになります。

こちら の記事を参照しています。


「信じる」という事は、対象が何であれ精神的にはもちろん、

道徳的にも背徳的にも良いものなのだと思う。


復興予算、と名乗ったからには、勿論復興の必要である場所に使われる予算だと思っていたし、

それを、疑う事すらしなかった。


疑わしきは罰せず とか、

七度尋ねて人を疑え とか、なんてのは、何処にいったのだろう?



どうやら、まんまと騙されていた様である。


震災以降実家に帰る度思うのは、


多少の差はあれど、この市(cityの意)は、あるいは町は

金があるから復興が速いんじゃないか?


未だに、震災直後そのままの場所に、

如実に表れている気がする。

復興庁も、出来たし復興予算だってあるのになあ.....

なんでこんなに差があるのかなあ?


なんてのんきに思っていた。


震災以降(もしくはその前から)、ことごとく期待を裏切っていた

この国の政治家の方々が、

この国のどんな災難に、まともに取り合ってくれる筈も無く

ちょっと考えたらわかることだったのに

また、だまされちゃった.......


騙されるより、騙された方が良い

騙される方が悪い。


どれを信じたらいいんだろうねえ。


ともあれ、今度からは


人を見たら泥棒と思え!


で、いってみようかな。

なにやら、悲しい響きだなあ。

特に意識せずとも、日常生活において何かしら

作っているモノだな、と思う


例えば

日々、食べている食事は明らかに、誰かが「つくる」ものだし


仕事で使う、書類だって、

それなりに考えたりして「つくる」ものだし


この 一見ショボイけども、このブログだって文章を「つくる」ものだし


そして、歌う事や、踊る事、芝居する事

それらを「つくる」ことは、言わずもがな。


ちょっと考えただけでも、自分の周りには「つくる」もので

満ち溢れている


ものにも依るけれども、「つくる」という行為は

凄く大変で、時間と手間暇と

考慮と労力がかかっている

人の手で作ったもの、つまり「手作り」には

温かいものを感じるし

愛情が湧く事しきり....だ。




使い物にならないから、捨ててしまえ

誰だって、何かを作る喜びを知っているのに


人の作ったもので、人の作ったものを

壊す事も実は、日常茶飯事

なんだなあ。