きのうのつづきです。


「あなたの信仰があなたを救った」(ルカ17-19)


東京大司教のHPから、長くなるが引用しておきたい。

宗教的な個所は最後の一行を除き割愛した。

(ここでの目的はそれではないし、あくまでも言葉の「用語」に
ついての軽い文章のつもりなので。太字はボーイ)



1997年、日本聖書協会は新共同訳聖書で「らい病」と訳されている箇所を
「重い皮膚病」と読み替えことにする、と発表しました。

その背景には1996年の「らい予防法」の廃止があります。

「らい病」という言葉は不適切な言葉として使用しないことになりました。
「らい病」ということばには差別と偏見と差別の意味が込められていると
考えられるようになったからだと思います。


らい病は病原菌の発見者、ノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンの名前
をとり、ハンセン病と呼ばれるようになりました。

ともかく、らい予防法の廃止に伴ない、不適切なことばとなった「らい病」を
どう言い換えるか、が大きな問題となり、聖書協会では慎重な検討が行なわれ、
結局「重い皮膚病」となりました。

日本のらい予防法の時代、らい病は遺伝病であるとの誤った偏見と結びつき、
またハンセン病を強い伝染力のある病気とされ、患者は強制隔離されました。

らい予防法の廃止により、やっと、ハンセン病は治癒可能な病気であり、
きわめて伝染力の弱い病気である、という理解が一般に伝わるようになりました。

重い皮膚病の患者の苦しみは、単に肉体的な苦しみではなく、
社会的に排除され隔離され忌避されるという点にあります。

当時の日本で、らい病とされた人は、本名を名乗れないという差別を受けました。
日本のハンセン病の強制隔離は終わりましたが、現実に社会復帰することは極めて
困難であるといわれています。

ハンセン病者の苦しみは実にその存在を忌み嫌われ、人との接触を禁止され、
人間としての交わりを絶たれてしまう、という苦しみであります。

今日は差別ということを考えてみたいと思います。

いろいろな差別があります。

差別は偏見と結びついています。

日本には、部落差別という日本固有の差別があります。

イエス・キリストは差別された人を差別から解放するために遣わされました。
それは、差別している人を差別に気づかせ、差別している人をも、
差別から解放するためでした。

(後略)



(つづく)