また(イエス)譬を語りて言ひ給ふ

『ある富める人、その畑豐に實りたれば、
心の中に議りて言ふ
「われ如何にせん、我が作物を藏めおく處なし」
遂に言ふ
「われ斯く爲さん、わが倉を毀ち、更に大なるものを建てて、
其處にわが穀物および善き物をことごとく藏めん。
かくてわが靈魂に言はん、
靈魂よ、多年を過すに足る多くの善き物を貯へたれば、
安んぜよ、飮食せよ、樂しめよ」
然るに神かれに
「愚なる者よ、今宵なんぢの靈魂とらるべし、
さらば汝の備へたる物は、誰がものとなるべきぞ」
と言ひ給へり。
己のために財を貯へ、神に對して富まぬ者は斯くのごとし』

(ルカ伝第十二章十六節~二十一節)




本日のルカの福音では倉を壊して大きな倉を建てる金持ちの話です。

金持ちは多くの財産を大きな倉に入れて安心を得ようとします。

しかしその金持ちの命はその計画を立てたその夜に取り去られてしまいます。

いくら財産をつんでも心からの安心と幸福を得ることはできないのです。

戦争に敗れた日本は経済価値によって安心と幸福を追求する道を選びました。
わたしにとって1960年代は大学生、神学生の時代でしたが、ちょうど
高度経済成長の時代にあたります。

その結果わたしたちは幸福になったでしょうか?

今年2010年貧困とともに孤独と生きがいの喪失の時代であります。

3万人を超す人が自死を遂げる時代です。
(後略)



(2010年8月1日東京大司教 本郷教会ミサ説教)