07.07.07.
きょうは、ゾロ目のラッキーナンバーの日で今世紀いっかいポッキリ!
七夕
別浦今朝暗
羅帷午夜愁
鵲辭穿線月
花入曝衣樓
天上分金鏡
人間望玉鉤
錢塘蘇小小
更値一年秋
「七 夕」
あなたとわが身を 隔つ川
暗く淀みて 広がりぬ
一年のちとの 約束の
ほんに今夜は 逢えるのか
たなばた飾り たなびいて
暗き庭から 忍びいで
はやる心を 抑えつつ
ただ待つことが わが習い
いつしか夜も更け 半月の
淡き光に 天の川
とけゆき 星も出会う頃
君の匂いに 振り向きぬ
こうして今年も 夏が過ぎ
はかなき逢瀬も 過ぎゆきて
待ち暮らす日の 始まりに
めぐる願いは 届くのか
訳は、http://yonosk.at.infoseek.co.jp/index.htm より拝借しました。
詩ごころに溢れた素晴しい超訳で、学者先生のような理屈っぽいそれではない。
李賀のほかの訳も↑でご覧下さい。
追記 読み下し文↓
別浦 今朝暗く
羅帷 午夜愁う
鵲は 線を穿つ月を辞す
蛍は 衣を曝す楼に入る
天上 金鏡を分ち
人間 玉鉤を望む
銭塘 蘇小小
更に一年の秋に値う
学者先生の解説
「鵲(かささぎ)」は、七夕伝説では、牽牛と織女の逢瀬を助け、
天の川に橋をかける役割をはたしている。
わが国の「かささぎの渡せる橋に置く霜の・・・」という古歌の
基づく話である。「穿線」は、七夕の晩に庭先に出て、
女性が七本の針に糸を通し、手先が器用になるよう祈る風習をいう。
「銭塘の蘇小小」は、南朝の斉のころの妓女。杭州西湖の岸辺に墓があり、
後世、名妓の代名詞となった人気のある女性。(石川忠久)
蘇小小は六朝の南斉のとき、銭塘(杭州市)で名妓とうたわれた妓女で、
李賀よりも四百年ほど前の人である。その墓は杭州の西湖のほとりにあって、
風雨の夜にはそのあたりから歌や笛の音がきこえてくるという伝説がある。
(駒田信二 7/2付でも書いた)
きょうは、ゾロ目のラッキーナンバーの日で今世紀いっかいポッキリ!
七夕
別浦今朝暗
羅帷午夜愁
鵲辭穿線月
花入曝衣樓
天上分金鏡
人間望玉鉤
錢塘蘇小小
更値一年秋
「七 夕」
あなたとわが身を 隔つ川
暗く淀みて 広がりぬ
一年のちとの 約束の
ほんに今夜は 逢えるのか
たなばた飾り たなびいて
暗き庭から 忍びいで
はやる心を 抑えつつ
ただ待つことが わが習い
いつしか夜も更け 半月の
淡き光に 天の川
とけゆき 星も出会う頃
君の匂いに 振り向きぬ
こうして今年も 夏が過ぎ
はかなき逢瀬も 過ぎゆきて
待ち暮らす日の 始まりに
めぐる願いは 届くのか
訳は、http://yonosk.at.infoseek.co.jp/index.htm より拝借しました。
詩ごころに溢れた素晴しい超訳で、学者先生のような理屈っぽいそれではない。
李賀のほかの訳も↑でご覧下さい。
追記 読み下し文↓
別浦 今朝暗く
羅帷 午夜愁う
鵲は 線を穿つ月を辞す
蛍は 衣を曝す楼に入る
天上 金鏡を分ち
人間 玉鉤を望む
銭塘 蘇小小
更に一年の秋に値う
学者先生の解説
「鵲(かささぎ)」は、七夕伝説では、牽牛と織女の逢瀬を助け、
天の川に橋をかける役割をはたしている。
わが国の「かささぎの渡せる橋に置く霜の・・・」という古歌の
基づく話である。「穿線」は、七夕の晩に庭先に出て、
女性が七本の針に糸を通し、手先が器用になるよう祈る風習をいう。
「銭塘の蘇小小」は、南朝の斉のころの妓女。杭州西湖の岸辺に墓があり、
後世、名妓の代名詞となった人気のある女性。(石川忠久)
蘇小小は六朝の南斉のとき、銭塘(杭州市)で名妓とうたわれた妓女で、
李賀よりも四百年ほど前の人である。その墓は杭州の西湖のほとりにあって、
風雨の夜にはそのあたりから歌や笛の音がきこえてくるという伝説がある。
(駒田信二 7/2付でも書いた)