前項に引き続きバッハのことを書きたかったんだけど、予定を変更して
首記のことを。。  図書館に返さなきゃいけないんで。

ナベジュンはいま「愛の流刑地」が映画TVでマスメディアを賑わしているが
ボーイは全く関心なし。
一昔前の本だが、同じく矢張ドラマ化された「失楽園」を晶子女史の本から
抜粋紹介してみたい。

「さよならソクラテス」 池田晶子著 新潮社 09年12月刊

例によってソクラテスと悪妻(?)クサンチッペとの対話体。
「失楽園」たってミルトン先生のじゃないよ。いま読む人なんかいやしねえべさ。

これは文学作品じゃなく立派な情痴小説よ。
なにが本年度最高の文芸作品よ!
要するにこの人たんにしたいだけなのが後ろめたいんで、大げさな小説にして
言い訳してるだけなのよ。明けても暮れてもセックスばかり、絶対愛だ真実の愛だって
言ってるけど、要するにセックスの相性がいいってだけなのさ。人は愛と性欲をわざと
間違える。たんなる性欲のことを愛と間違えているのよ。はっきり言えばいいのに。
永遠に愛し合うのなら、生きてセックスを続けるべきよ。そうでなければ、それは絶対愛
ではなくたんなるその場の性欲だということを、やはり知っていたことになる。
体験しなけりゃ創造できない。つまり、自分の書くのは文学じゃないって、自分で認めて
るんだもの。

さいごにボーイ流に言わせるとこうなる。

おい、ナベジュン、やってやってやりまくれ。どんどんジェニ使いまくれ。どうせ全部
使いはたすなんてできねえんだ!
邱永漢曰く、「お金は稼いだだけでは半製品です。使ってはじめて完成品になるのです。」
銀座のクラブでばら撒きやがれ。ついでに、おめえの一物といっしょに札束も突っ込んじめえ、
この色ボケ爺いメッ!