中野美代子著 89年11月 日本文芸社 を久しぶりに読み返してみたら、
あとがきにキャセイの語源のことが書いてあったので、たまげた。
じつは昨9/30付でほぼおんなじ内容のことをここで記した。

ボーイの準拠した記事は、陳舜臣が三十年ほど前に朝日夕刊にて連載のシリーズ
もの(題名は忘れた)で、その時の感動を率直に記したものである。
中央アジアでは契丹のことをキタイ・カタイと呼んだことから、キャセイという
英語に入って行った。

一部再録したい↓。


さらに一族は中央アジアに
逃れ、西遼を建てた。カラキタイ(黒契丹)と呼ばれた。

シルクロードの要の地でもあった。
西遼も百年ほどでチンギスカンと戦って敗れた部族に滅ぼされた。




遼(契丹族)の国は、中国の四つの征服王朝のひとつ。(ほか三つは、女真族の金、
モンゴル人の元、満州人の清)
きったん→キタイ・カタイ(中央アジア=イスラム・ロシア圏の言語)
と呼ばれた。英語読みではキャセイ。辞書では、中国のこととある(古・雅)。

遼は二百年ほど栄え独自の言語を有したが1125年に金に滅ぼされた。