タイトル 四十一歳にしてコペンハーゲンに立つ

副題  日本人の北欧物語

               04年7月から05年10月まで316回連載

最初の回に顔写真を見たとき、なんか茫洋とした感じの冴えない中年禿オヤジだった(失礼!)んで
なんか拍子抜けし落胆もした。

このひとがねぇ~ という。。

さにあらず!

じつは読み進めていくうちにわかってきたのだが、相当な遣り手である。
ただ文章はまったく気負いがなく淡々と綴られて行くんで、前川さんのスゴサを
見落としておられる読者も多かったかも知れない。

言葉だって大変だったに違いない。

ハイQの紹介覧にはこうある(↓)。

1947年中国・大連生まれ。大学を休学して北欧へ向かい、
デンマークの施設で知的障害者の日常や作業の介助、
幼稚園での勤務等を経験。
88年に友人と二人、コペンハーゲンで一時間仕上げの
ミニ現像所を始め、95年、友人と別れて完全に独立。


ほぼ20年かの地で住まれて、頑張っておられる。
内容はとても読みがいのあるもので、DPEの事も興味深いが、アジアのマイナー
な国から移民を受け入れる柔軟さがデンマークにはあることがわかる。

いま連載を読み直してみても、じつにさまざまな話題が提供されており
一回一回が面白く、読み出したら止められなくなってしまう。
政治経済法律会計日常移民故郷。。
 
まだの方は是非ご覧頂きたい。期待は裏切られないかと。。
こういうコラムこそはやく本になって欲しいんだが!

http://www.9393.co.jp/maekawa/kako_maekawa/index.html


ここでボーイのデンマークの想い出を少々。
欧州に始めて足を踏み入れたのは85年4月25日頃だったかとおもう。
(連休ーGWぶっつぶれ出張だった!)

成田から北周りで出た最初で最後の出張。
エアラインはSAS:スキャンディナビア航空Cクラス。
モスクワ経由コペンハーゲン往。

席の反対側に夏木陽介がおとなしく座っていた。中学三年生のとき、「青春とは何だ」
なる番組があり(土曜八時)クラス全員が見ていた。夏木は中学生のサッカーか何かの
体育教師の役。おなつかしや!

十五六時間かかったか?

清潔な空港を出て駅往きリムジンで街へ。

寒い! ボーイは薄い合のジャケットで震えていた。

日本の今ころの気温。
黄色の雨合羽を着た高校生くらいの若者が息を白く吐きながら
チャリンコしてた。
街は駅前でも静まりかえっていた。
中心部でもクラクションの音などもきけない。
古くて静謐な都市。

翌日客先のあるHerningというユトランド半島にある地方都市まで
正味40分ほど飛行機で。
上から見渡すとなーんにもない平べったい国であることがわかる。
牧畜が盛んなのも頷ける。

物価がとても高くレストランで千円の料理を注文すると、お会計は千五百円
となる。税金が高い。旅行者にとっては嬉しくない北欧を代表する国だった。

順序が逆になるが、成田でヴェトナム人子どもの里親になっているデンマークの
若い夫婦がいてとても感心した。
われわれにはそんな度量があるんだろうか?

前川さんのコラム読んだらこのヴェトナム人の子を思い出した。
もう二十七八になるか。