*「座る」について。
マタイ受難曲はマタイ伝第26-27章をもとに、ピカンダーが
地の文を書いたそうだ。以下、マタイ伝より;
59 ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、
60 岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には
大きな石を転がしておいて立ち去った。
61 マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、
墓の方を向いて座っていた。
65 ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。
行って、しっかりと見張らせるがよい。」
66 そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
61節は、最終曲の場面と重複して見ることができるのではないか?
どこに座ったとは書いてないが、そこいらにある石か岩にちがいない。
ピカンダーはとうぜんこの節が頭に入っている筈で、<われわれ>という
一般化した人称で、墓のなかに呼びかけ祈りの文言を唱えた、とみて
よいだろう。
*最終曲について(あるサイトより引用)
第78曲(コラール) 終結合唱。長い「マタイ受難曲」を締めくくるに
相応しい癒しの合唱といえる。キリストを信仰する人達だけでなく、
全ての人々全人類を包み込み、深い慈愛と救済を合唱は歌い上げる。
こんなに深く心にしみる音楽が他にあるだろうか。
生きる勇気、喜び、癒しと安らぎ、聴くものを静かで暖かな感動
に導いてくれる。コラールではこの曲が、何といっても最高である。
http://www.asahi-net.or.jp/~yt2h-inue/essey/matthew.html
*この曲は(↓右上)で聴けます(ただし合唱はなく旋律のみ)。
http://www7.plala.or.jp/machikun/mataixpp.htm
マタイ受難曲はマタイ伝第26-27章をもとに、ピカンダーが
地の文を書いたそうだ。以下、マタイ伝より;
59 ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、
60 岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には
大きな石を転がしておいて立ち去った。
61 マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、
墓の方を向いて座っていた。
65 ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。
行って、しっかりと見張らせるがよい。」
66 そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
61節は、最終曲の場面と重複して見ることができるのではないか?
どこに座ったとは書いてないが、そこいらにある石か岩にちがいない。
ピカンダーはとうぜんこの節が頭に入っている筈で、<われわれ>という
一般化した人称で、墓のなかに呼びかけ祈りの文言を唱えた、とみて
よいだろう。
*最終曲について(あるサイトより引用)
第78曲(コラール) 終結合唱。長い「マタイ受難曲」を締めくくるに
相応しい癒しの合唱といえる。キリストを信仰する人達だけでなく、
全ての人々全人類を包み込み、深い慈愛と救済を合唱は歌い上げる。
こんなに深く心にしみる音楽が他にあるだろうか。
生きる勇気、喜び、癒しと安らぎ、聴くものを静かで暖かな感動
に導いてくれる。コラールではこの曲が、何といっても最高である。
http://www.asahi-net.or.jp/~yt2h-inue/essey/matthew.html
*この曲は(↓右上)で聴けます(ただし合唱はなく旋律のみ)。
http://www7.plala.or.jp/machikun/mataixpp.htm