こんにちは

ノザワユリコです。

 

 

ここ数日はとても寒いです。

最強寒波到来だとか。気をつけましょう。

 

 

ところで冬の楽しみって何だろう?

温かい室内で温かいコーヒーとお菓子を食べてまったりすること。

 

 

それ、夏でも可能でした。爆  笑

外出の為のアウターを充実させることかな。

 

 

メルカリで素敵なコートを偶然見つけて購入したんです。

しかもお値段は安くて、デザインも生地もいいのです。

 

 

送られて来て着てみるまで心配でしたが、これが大成功!

いい買い物が出来てラッキーだったなと思っています。

 

___________________________

 

 

今日は、気づくのに遅いけど投影だった。「うるさい!」の抑圧

のテーマに書きたいと思います。

 

 

Twitterでつぶやいております。

下矢印

 

 

実は昨日ブログを書いたことで、昔の自分のことを思い出したのですね。

それは今から20年以上も前のことです。

 

 

まだ子供たちが小さくて手がかかっていた頃。

走り回ってはしゃいで、兄弟でふざけて遊んでいた頃のことです。

 

 

今思い出せば可愛くて微笑ましい光景です。

でもあの頃はそれが苦しかったのです。

 

 

うるさくてしょうがない。

でもそんなことを小さな子供に言ってもしょうがない。

 

 

だって小さい子供だし当たり前だから。

自分も父から四六時中「うるさい!」と怒鳴られていたし。

 

 

自分はそんな親には絶対になるまい。

そう思っているのに、実際うるさくてたまらない。

 

 

「うるさい!」って言いたくても言えない。

「言ってはいけない」と必死でした。

 

 

苦しいのに我慢して我慢して

「子供をうるさいと思ってしまう自分が悪い」と思っていました。

 

 

「自分は我が子のふざける声も受け入れられないダメな母親だ」

そう思うことで、

 

 

自分の本音「うるさい!静かにしてよ!」を抑圧したんです。

(おそらく態度や顔には漏れ出ていたと思いますが)

 

 

自己否定して、本音を抑圧しているのですから

苦しかったんですね。

 

 

親のようにはなるまい!という意地と

その一言を言い放ったらおしまいという感覚

 

 

あの時何が起こっていたのか?

あれから時は流れ20年以上が経った今

 

 

あの時の苦しさの原因がわかったのです。

気づくの遅っ!!! 笑い泣き

 

 

子供達に「うるさい!」が言えなかったのは

その言葉を口に出したら、死んでしまう恐怖が張り付いていたからでした。

 

 

自分が一番言いたくて、でも言えない言葉

それが、「うるさい!と黙れ!」だったのです。

 

 

それは、目の前の子供達への怒りではなく

父への怒りでした。

 

 

父が酒に酔ってご機嫌な時

酒に酔ってなくて素面の時

 

 

つまりどんな状態であっても

父は一方的に私に話をして来ました。

 

 

内容は子供には難しくて理解不能

何を言ってるのかさっぱりわからない

 

 

父親を誇示しているようで

自己満足しているだけのようで

聞く価値のないしょうもない無駄話である。

 

 

子供心にそれがわかっていました。

 

 

??????????

いったい何が言いたいの?

どういうこと?

全然わからないんだけど⁉

 

 

そう思いながら質問もできず

途中で退席することもできず

 

 

話が終わるまでただ黙って耐えて聞くしかなかったのです。

私にとっては耐え難い時間でした。

 

 

 

本当は「うるさい!黙れ!」って言い放ちたかった。

それが言えたらどんなに清々したことか。

 

 

でもそれを言ったら殺されてしまう。

それくらい父は怖かったんです。

 

 

怖かったから受け入れていました。

嫌なことも受け入れないとこの家には居られなくなる。

 

 

自分の感情を感じたまま表現したら殺される。

見捨てられて死んでしまう。

小さい頃の私はそう思っていたのです。

 

 

過去の父に出せなかった「うるさい!黙れ!」の怒りの抑圧は

目の前のふざけて合う子供に投影されていたのです。

 

 

目の前のふざけてじゃれ合っている我が子へ

かつての父の怒りを投影して

死ぬような恐怖があって出せない

だから

自己否定して

自分を責めることで

怒りを出すことを

「うるさい!黙れ!」って言うのを

必死で抑えていた

 

 

出せない怒りを自分に向けているのだから

当然苦しい

 

 

子供に怒りを向けたら父と同じになってしまう。

私が父を憎んだように、子供から憎まれてしまう。

 

 

その憎しみがわかるだけにそれはしたくない。

子供から憎まれて嫌われたら、何の為に生きてきたのかわからない。

 

 

そう思っていた。

 

 

結果、子供達からは嫌われなかったけど、

自分に向けた怒りは自分を痛めつけ、自己否定も強くなった。

 

 

「ちょっと、静かにして」って言えばそれで済む話だった。

うるさいなあって感じることに罪悪感は必要なかった。

または、そこまで子供のふざける声をうるさく感じなかったかもしれない。

 

 

あー----そうだったのか。凝視

もっと早く知りたかった。

気づくのが遅すぎた。

 

 

でもあの時の苦しみの原因がわかって、

20年前の自分を救った感じがするのです。

 

 

あなたがもし、家族や恋人や友人に怒りを感じる時

 

 

何だかムカついてしょうがない

何故これほどまでにイライラするのだろう

どうしてこんなに怒りをぶつけてしまうのだろう

 

 

そんな時は投影が起こっているかもしれません。

 

 

抑圧は投影を起こします。

 

 

私のように他の誰かへの

感情の抑圧かもしれません。

 

 

過去の未完了の感情が解放されたがっているのかもしれません。

未完了の感情は解放され外へ出したら消えます。

 

 

目の前の人が大切な人だからこそ

自分より弱いからこそ

 

 

その人には直接関係ない怒りをぶつけて傷つけてはいけない。

あるいは自分を必要以上に責める必要もない。

 

 

抑圧に気づくこと

未完了の感情を完了させること

それが先決だと思います。

 

 

一人で難しい時はセラピーをおすすめします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

心理セラピーって何?と思われた方はこちら

下矢印

 

 

 

只今、個人セッションのモニター様を募集しております。

(女性限定、先着50名様、2時間程度、料金モニター価格 5000円、場所は都内レンタルルームにて行います。)

申し込みはこちらから

下矢印