こんにちは
ノザワユリコです。
昨日は、家の中をあちこち片づけまくってました。
体がそれを欲したのです。![]()
衣替えも中途半端だったので、暖かい衣服を出して、着ない服は処分してと、
整理整頓したら、気分と家の中が同時にスッキリしました。![]()
頭の中がごちゃごちゃの時は、たいてい家の中もごちゃごちゃという不思議。
古いものを捨てたので、新しく買い足したいものは何?っと楽しい計画を立てている所です。![]()
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今日は、人は心の眼鏡で世界を見ているというテーマで書きます。
Aさん、Bさん、Cさんという3人の人物がいるとします。
Aさんという人物は同じでも、BさんとCさんで事実は違う
Aさんに対して、Bさんはこう感じています。
「Aさんて嫌な人」
一方、Cさんはこう感じています。
「Aさんて親切な人」
こういうことよくありますよね。
Bさん、Cさん、それぞれが「心の眼鏡」でAさんを見ています。
Bさんは不安を抱えている人なのです。
不安なBさんは「不安という心の眼鏡」で相手を見ます。
「不安なB」を通して相手を解釈します。
「私はAさんのこと嫌い」
「あの言い方は意地悪だった。嫌な人だ」
Aさんに近づいてもっと意地悪されそうで怖い、だからつきあいたくない
不安なBさんはそのように捉えます。
一方Cさんは何も不安がない人なのです。
「あの人親切だから好き」
「今度ランチしたいな」
Aさんにもっと近づいて楽しい時間を共有したい
不安のないCさんはそのように捉えます。
同じAさんであっても、認識する事実が違う。
Bさん、Cさん、それぞれの心理的な事実が違う。
Aさんは意地悪な人
Aさんは親切な人
Aさんという人物は同じでも、事実は一つではない
Bさんは、実は人が怖いのです。
これまでにも人からいじめられたり、何かと嫌がらせをされることが多かった。
だからAさんもそうにちがいないと心が反応しまうのですね。
このように、一つの事実(Aさん)に対して、
人は心の反応が違います。
自分が感じるようには人は感じていないのです。
Aさんという一つの事実に対して、
Bさん、Cさん、その他、人の数だけ解釈はあるわけです。
これは、人に限らず、出来事、状況など
人が体験するあらゆることでも同じです。
自分の事実こそが事実と思ってしまうと、
問題なのは、自分の事実こそが事実だと思ってしまうことです。
「あの人は絶対嫌な人よ」と頑なに思ってしまうこと。
「もしかしたらCさんの言うように、ホントは親切な人なの?」とか
「私の人に対する感じ方は、歪んでいるのかな?」と疑問を持たないのだとしたら、
それはなぜかというと、
Bさんは自己執着しているからです。
そういう人は、
自分はそう感じて当然だし、
感じ方、解釈、捉え方は
一つしかないと思っています。
そんなBさんのような自己執着の強い人は
依存心も強いです。
心の奥底でAさんへの要求も激しいです。
「Aさんには、もっとこうして欲しい」
「Aさんは、もっとこうすべきだ」
Bさんは心の奥でそう思っています。
そして思い通りにならないAさんに対して、怒っています。![]()
何でそんな態度なの⁈
やっぱり人はみんな意地悪だ!
だから人とつきあうのが嫌なの!
つきあうなんてごめんよ。
ランチなんて嫌よ
Aさんに対して、怒り、苦しみ、嘆き、恨みの感情があります。
そしてやがて疲れ果てます。
自己執着の心が見る世界は、このような世界です。
楽しいことがない
好きな人がいない
嫌いな人ばかり
嫌なことばかり
面白くないことばかり
世の中はつまらないことばかり
そして疲れやすい
消耗しやすい
そして、
自己執着している人は人が嫌いです。![]()
この世界観がなぜわかるのかというと、過去の私だからです。
ちょっと前の私です。![]()
このように、
自分が目にする世界が、嫌な人ばかりである
自分の体験が不快なことばかりである時、
「心の眼鏡」がそう反応しているのだから、
私の「心の眼鏡」歪んでる?色がついてる?
自分の解釈に影響を受けている自分に気づくこと
自分の内側に目を向けることが大事です。
「私に何が起きているのだろう?」
憎しみでいっぱいの人は「憎しみという心の眼鏡」で世界を見る。
憎しみのない人とは全く違う世界が見えている。
「敵だらけの世界」が見えているのかもしれない。
その敵が増えていく世界なのかもしれない。
Bさんは、幼少期に親にありのままを受け入れてもらえませんでした。
父が支配的な人で、いつも父の機嫌をとっていないと、怒りをぶつけられるので、
常にビクビクしながら成長しました。
過去の父に向けられなかった怒りの感情が反応して、
今のAさんという人物を見ているのだとしたら、
意地悪な人を見ただけで、過剰に拒絶したくなるのは当然です。
それほど、事実(意地悪な人)に影響を受けているのなら
過去の解釈を変えること
過去の捉え方を変えること
父という人物・過去の出来事への解釈を変えること。
子供の時は怖かったけど、本当は幼児性のある弱い人だった。
父も親に向けられない怒りを私や家族に向けて発散していたんだ。
私は父への怒りは今も忘れていないけれど、
今の目の前の人はAさんであって父ではない。
私はもうあの時の弱いままの子供ではない。
嫌なことは嫌と言っていい。人と対等につきあえる能力がある。
このように過去の解釈を変える
捉え方を変える
そうしたことが、これからの人生を変えていくのだと思います。
解釈は一つではない
解釈を変えることは、自分の成長の可能性を広げる
自分が世界をどう見ているのか?
目の前の人をどう見ているのか?
自分と周囲の人とは何が違うのか?
自分の解釈はこうだけれど、別の捉え方はできないかな?
間違っていたなと思ったら修正する。
疑問、検証、修正、この繰り返しが成長には必要。
また、人を理解するということは、
その人の心の眼鏡を理解すること。
一つの事実で様々な解釈がある。
人と自分の解釈が違うのは当然。
その上で、
頑なに自分に固執して、
人を嫌いながら生きるのか?
自分の視野を広げ、成長して、
人とのつながりを広げていきたいか?
生き方は自分で選べます。
苦しくてつらい時は、セラピストを頼って下さいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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