「正しさ」は自分を守る鎧?

 

 こんにちは

ノザワユリコです。

 

   先日、初めてネイルサロンという所キョロキョロに行ってきました。といってもネイルケアの方です。爪を形成してもらって、甘皮などのお手入れ、爪と手指に栄養のオイルを塗って、手首から下のスクラブマッサージを初体験しました。

 

すご~く気持ち良かったです。また行きたいな。

 今度は足の爪もお願いしてみようかなと思っています。

 

とても気さくで親切なネイリストさんだったので「私、足の小指の爪がほとんど無いんですけど、ケアすると出来てくるんですか?」って聞いてみたところ「はい、出来てきますよ~」と教えて頂いたのです。

 

私は、ヨガやアクアエアロをするのですが、素足や爪が見えることが多いので気になります。キレイにお手入れされてる人を見ていいなーっと思っていたんです。また一つ楽しみが出来ました飛び出すハート

 

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 今日は、「正しさ」は自分を守る鎧?というテーマで書きます。

 

あなたは、正しさにこだわる方ですか?

私はつい「正解探し」をしてしまう習性があります。いつも「正しくあるべき」と思って生きてました。

 

そんな自分のことを掘り下げて、気づいたことなどを書きます。

 

こんな時は「何が正解?」

  〃  「どう考えることが正解?」

  〃  「どう行動することが正解?」

 

「正解探し」をして「正しくあること」が生きる基準でした。

自分の身を守る為には「正しくなければならない」

 

「正しさ」こそが自分を守ってくれる鎧だと。そう思っていました。

 

権威主義の親に、いつも責められて育ったんです。

 

「ちゃんとしなさい」

「こんなことじゃ恥ずかしい」

 

「しっかりしなきゃダメじゃないの」

って感じです。

 

 正しいか正しくないか、何が正解?って小さい頃は親が基準でしたが、大人になったら親の基準を全無視したい気持ち、逆を行きたい感じ。私は違うからーって。そのようにして親の支配から抜けたつもりでいたのですが。

 

私の考える正解とは、「世間から見ての正解」「周囲の人から見ての正解」「目の前の相手から見ての正解」でつまり自分の外側に正解があるから外側に意識を向ける、つまり他人軸でした。

 

世間や他人の正しさに自分が合わせないといけない。合わせるべきと思っている。

そして、人に勝つこと。上の立場でいること。下になったら負ける考え。上か下か思考。

 

ほんとは自分はこう思っている、自分はこう感じてる、自分はこうしたいと思ってるなどの自分の意志や欲求や感情などは、無かったことにするか、とっさに後回しになっています。あくまで他人が優先です。

 

相手の方が上、自分は下。

相手が正しい。世間が正しい。私は間違ってる。

相手はすごい。私はダメ。

 

って思ってるんですね。

 

 

正しくないとどうなるの?

 

 親から避難されたように(もう親の支配は抜けたので)、世間から避難されて、基準から外れて、そんな自分は生きていたらダメって感じ。

 

正しくないと、死んでしまうまではいかないけれど、生きていかれない感じがする。

 

「正しさ」こそが自分が生きる道、それ以外はありえないって

くそまじめに生きてきました。

 

くそまじめにしているのに、自分はダメだという自己否定は強くなっていきました笑い泣き

 

 

 

正解がわからないと、プチパニック

 

今でも「ああ、どうしよう、正解がわからない!」

ってなる時がたまにあります。

 

例えば不慣れな場所に来た時とか、未経験のコミュニティに入った時、その場に合う「正しい振る舞い」や「ルール」がわからない時、プチパニックになります。

 

それを隠すけれどドキドキする、人目を窺ってドギマギして疲れてしまう。

 

人に聞いたらいいじゃない?なぜ率直に人に聞かないんですか?って思いますよね。

私はこんな時、聞かないんです。

 

恥ずかしいから、怖いからです。

 

バカにされそう→「えー、そんなことも知らないんですか?」って言われそう。

拒絶されそう→ガン無視される、睨まれそう。

 

避難されそう→「あのさあ、私にいちいち聞かないでよ。もっと上の人に聞いて」って吐き捨てられそう。

そうなったら、傷ついて、みじめになって、恥ずかしくてたまらない。

 

これって妄想です。幼少期の嫌~な感覚です。

 

過去に親にわからないことを率直に聞いた時、「そんなこと知らなくていいムカムカ」とか

逆に「そんなこともわからないのかムカムカ」とか「子供のくせに生意気だムカムカ」とか絶えず否定、

 

罵倒され恥を植え付けられて、みじめな気持になっていった感覚笑い泣き

 

なぜそんな幼少期の嫌な感覚の妄想を引っ張って来るのか?というと、

 

リトリーブサイコセラピーでは、

「妄想することにはメリットがある」と考えます。

 

そのメリットとは、

↑のような妄想そしていれば人に聞かないでいい、人に関わらなくていい

 

人に聞いて軽蔑されたり、避難されたり拒絶されたりしない→傷つかない、恥をかかない→安心なのです。

それくらい人と関わりたくない。煩わしい。なぜなら人が怖いし、恥をかいてみじめになることが何よりも嫌だから。

 

なので人に聞いたり、関わったりしない為には、正しくあらねばならない。

私にとって「正しさ」は自分の身を守る鎧のようなものなのでした。今もですけどね…

 

 

 

 

正しくいられたら何が得られるの?メリットは?

 

「得られること」「避けられること」両方あります。

正しい自分になれれば、人と関わって傷つかない、恥をかかないで済む→自分を守れる。

 

正しい自分になれたら、親に勝てる感覚がある。

私は正しいのだから、親に「あなた達のような低レベルの人間とは違いますからねっ!」って言えそう。

 

正しくさえあれば親への恨みが晴らせそう。

間違ってしまったら、人に笑われて責められる、

 

責任を負わされるのが怖いから、それを避けられる。

間違ってしまって、自分の無価値感を感じることをさけられる。

 

 

 

ではデメリットは?

 

自分の意志や欲求よりも他人、外側を優先させることになる。

自分の意志や欲求や感情は犠牲にして、後回し、下の立場に置くから、怒りが溜まる。自己否定が強まる。

 

他人や世間などいつも自分の外側に意識を向けていなければならない。

「正しさ」って堅苦しい。つまらない。楽しくない。

 

こうしなければならない。こうあるべき→束縛感、緊張感がある

他人軸の「正しさ」は、「みんなそうだから、それが無難だから」という曖昧な理由だったりするからわかりにくい。

 

常識が時代や状況によって変わることがあるように、「正しさ」だってその都度変わるから、振り回されることもある。

 

正しさにこだわっていると、自分がなくなっていく。わからなくなっていく。

 

 

 

「正しさ」にこだわることで、失っているものは?

 

自分の自由、楽しさ、

自分の意思や欲求

自分が自分らしくいること。ありのままでいること。

リラックスする。体を緩めて生きること。

 

 

じゃあ、どうすればいい?

 

どうしたらいいのか?というと、メリットとデメリット、どちらがいいのか葛藤する

今はメリットの方が大きいから、「正しくあること」を選んでるんだな私は。

 

ってことを直視する。その上で、

 

①たとえ恥をかく恐怖を感じても、正しさにこだわることを辞めて自分意思や欲求を優先させたいの?わからないことを聞けるようになりたい?

 

②たとえ間違って失敗して、責任を負うことになっても、

責任の恐怖を感じても、正しさにこだわることを辞めたいの?ありのままの自分でいることを大切にしたい?

 

③たとえ正しくなくなって(間違える、失敗する)無価値な自分を感じても、

正しさへのこだわりを手放したいの?自由を選択したい?

 

これらを自分に聞いて答えを出すしかありません。

 

「正しさ」って誰でも必要な基準です。

世の中の最低限のルールには従わなくちゃいけません。

 

法を破るようなことはしてはいけないし、人を傷つけることもしてはいけない。

それを踏まえた上で、

 

自分の意志や欲求を大事にしてもいい、自分を優先してもいい、自分を犠牲にしてまで人に合わせなくてもいい、

自由な方、好きな方を選らんでもいい、たとえ人が正しくないって言ったとしても、人と違っていてもいい、

 

失敗しても、選びたいなら選んだらいいと思う。

 

責任を持てる大人であるのならば。

ここが大事です。

 

 

生き方が嫌いな親とそっくりでショックニヤニヤ

 

そして気づいたことですが、

私は、小さいころから、正しくあること以外教えられていないということ。

 

楽しさや自由を選べるなんて知らなかった。

家の中にそもそも楽しさや自由がなかったのだ。

 

だから、正しさしか知らなくて当然だということです。

 

しょっちゅう責められて、恥を植え付けられていたのなら、正しさにこだわるようになっても不思議ではないということ。

 

そして、他人軸で世間体を気にしすぎる親の生き方を、私はそのまま呑み込んでいるということ。

 

「勤勉であること、正しさこそ全て」という生き方は父の生き方、父は嫌いだったのに自分とまるで同じだということびっくりガーン

 

「正しさこそが、自分を守る鎧である」という生き方は、母の生き方だった。

全然気がつかなかった。ショックだびっくりガーン 

 

母のことを軽蔑していたのに似るなんて。

不仲な父と離婚しないで、ただただ我慢していること。

 

父との結婚を悔いているのに、失敗だった~と嘆いているのに、私の結婚の選択は結局は正しいのだ。

離婚しないことも正しいの!って私は常に正しいのだという態度。

 

私は母の正しさへのこだわりが許せなかったんですね。

「あなたは全然正しくなんかないのムカムカ」って言いたかった。

 

そんな母に自分が似てしまっているということに気づいて愕然としています

 

あれ程あんな風にはならないと思ってきた両親に似るなんてガーン

「正しさ」でこの身を守れるんだ、「正しく」なって両親に勝つんだと思っていたのにえーん

 

 

正しさにこだわったまま人生終わってもいいの?

 

そして、いつまでも「正しさ」にこだわっていたら、つまらないまま人生終わってしまうよ!それでもいいの?びっくりってことです。

 

もうじき終わっちゃうんですけど。

半生がつらいものであったなら、なおのこと、自分で自分を楽しませなくていいの?

 

ってことです。

 

生き方は変えられるのです。

今の生き方を選んでいるのは自分です。

 

 

あなたも、もし「正しさ」にこだわっているのなら、自分に質問してみて下さい。

 

正しくないとどうなるの?

正しい自分でいたら、何が得られますか?何が避けられますか?

正しくあることで、失っていることは何ですか?

その正しさは誰かに似ていませんか?

これからも正しさにこだわって生きていきますか?

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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心理セラピーって何?疑問に思われる方へ、わかりやすい動画になっています。

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