いい人になるのは何のため?
こんにちは
心理セラピストのノザワユリコです。
以前の私は、いい人であることは、いいことで、当然のことと思っていました。
小さい頃から疑いを持ったこともありませんでした。
いい子、いい人でいること=優しい人、素晴らしい人
であり、目指すものでした。
ところが、リトリーブサイコセラピーにであって天地がひっくり返りました。
いい人=闇を持っている、腹黒い、やばい人
目指すなんてとんでもない、今すぐ辞めよ!
えー-------------⁉
いい人のイメージって
見た目が善良そうで、雰囲気も柔和で、しゃべり方、行動、ふるまいがやさしい、いつも微笑んでる、感じがよくて、人当たりがよくて、誰とでも仲良くできて、みんなに頼られる、、、とにかく素敵な人
そんな姿になることを目指していました。
可能なのか、かなり大変だと思いながらもならなきゃと思っていました。
そうなるために頑張ることが人生なんだとも思っていました。
何のために?
いい人になったら、何が手に入るのか?
人から優しくされる。
人から頼られ必要とされる。
人から褒められる。
そうできたら人格者になった気がする。
全部、人から、貰いたいと思っているんですね。
ってことは、
人から、優しくされることに飢えている。
人から、必要とされないと自分を感じられない。
人から、褒められた経験が少ない。
だから自己肯定感が低い。
親から冷たくされ傷ついてきた過去
そもそも親から生きていることが認められていないような感覚
自分がダメだという感覚
があったのです。
いい人でいることのデメリットもあります。
いい人でいたら、確かに人に嫌われることはなかったです。
けれども特別仲良くなる人もいなかったんです。
いつも当たり障りのない話をして、それ以上仲が深まることはないのです。
ずるい人に付け込まれて利用されるリスクもあります。
嫌な役割を押し付けられることも多くなります。あの人なら断らないでやってくれると思われているのですから。
いい人でいることで、我慢しているので怒りが溜まってきます。
本音を言わない。謎の微笑みを浮かべている。
本当に感じていることを隠している。
表の顔と裏の顔が違ってることを自覚します。
そのうちに、どちらが本当の顔なのか、何が本当の感情なのか、自分がどんな人間なのかさえもわからなくなってきます。
そのわからない自分の正体を隠すために、また演じていきます。
はい、覚えがあります。
いつも表面上はニコニコ笑っているけど、ふとした時に、すごく嫌な気持ちになる。
家に帰って猛烈に今日あった人の悪口を言いたくなる。
言ったところで気が晴れない。そんな自分が嫌になる。
でもどうしたらいいかわからない。
いい人は、私の父も祖父もやっていました。
先祖代々受け継がれたものです。
父のことは嫌いでしたが、生き方は何故か似てしまっていたんです。
あんな風にはなりたくないとひたすら思っていたのですが。
このことは、心理を学ぶにつれて後々理解することになります。
いい人をやることは、自分以外の自分を演じることです。
行動には目的があります。
それは何のためなのか?
ここを掘り下げていくこと。
いい人を続けていくとどうなるか?
人とどんな関わり方をしたいのか?
たとえ自分から人に近づいて、嫌われる、拒絶されるなどのリスクがあったとしても
人と関わりあいたいか?
じっくりと考えてみること、自分に質問することが大切だと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では、また。
