「光る君へ」の次回予告に、「春は曙」のナレーションとともに、清少納言が執筆する様子が映し出されていました。

長徳の変(995年)の頃に書き始められたと言われているので、まさにこの時期ですが、明るい筆致の『枕草子』が中関白家の没落後に書き始められたと考えると切なくなります。


一方、『源氏物語』の執筆開始時期は、夫の宣孝が亡くなった1001年頃と考察されています。

宮中に出仕する前の3~4年間に大部分が書かれていたとする説が有力です。


作者複数説や娘の大弐三位が書き継いだという説があったり、「雲隠」の他にも「輝く日の宮」が失われているという説もあったり、国文関係者にとっては、研究しがいのあるテーマがいっぱいですね。


私が最も興味あるのは、執筆順です。


第1巻とされている「桐壺」は、実はかなり後から書かれたものではないかと昔から言われていたそうです。

それでは、どの巻から書き始められたのでしょうか?


『源氏物語』には、「紫上」系と「玉鬘」系があり、「紫上」系だけでも物語が成立するため、最初に書かれ、後から「玉鬘」系が挿し込まれたという説があります。

「若紫」が最初の執筆と考えられています。


「帚木」がいつ書かれたかに焦点を当てている考察もよく見ます。

「帚木」が最初に書かれたという説と、「桐壺」と同じく後から書かれたものである説があります。


私は、「帚木」が最初に書かれたのではないかと思っています。

理由は2つあります。


一つ目は、紫式部が自分自身を反映させたのが「空蝉」だと言われているからです。


二つ目は、「雨夜の品定め」による女性観を、物語の導入としたのではないかと考えられるからです。


「光る君へ」では、執筆開始の様子が映されるのでしょうか?

やはり「いづれの御時にか」が、一番しっくりするかもしれませんね。