目の前の我が子がどうしても勉強を積極的にやってくれないとしましょう。
中学受験生ならこのくらいはやるだろうというものの10分の1程度以下しかやらないとしましょう。
どんなにこちらが工夫しても声を掛けても一緒にやってものらりくらりな言動ばかりだとしましょう。
ぜんぶ我が子のことですが😛
大きなカミナリを落としたことも、
他人と思って静観したことも、
無になったことも、
見放したこともあります。
全く理想の姿にも実力にもなっていない娘が目の前にいたとて、
「合格」からどんどん遠のいていくように見える娘が目の前にいたとて、
私の時間と体力と気力をかけた伴走の意味を根こそぎ奪っていくかのような娘が目の前にいたとて、
ぜんぶ・・・私の娘。
神さまから与えられた大切な娘。
なかなか授からず子宝神社で「どんな子でも育てますから」とお願いしたからか?😅
勉強に関してかなり手強い子を授かったかもしれません。
人間は、そして地頭は・・・
なかなか変わるものではありません。
それでも、歩みさえ止めなければ何かが変わってくると信じて
最後にはサクラサクになると信じて・・・
一日の終わりにこの言葉を唱えます。
「何はともあれ、健康さえあれば・・・」
人生の先達、私の実母や女性の先輩方が口々に教えてくれた言葉です。
この言葉で、中学受験に関して何かが解決するわけでもありませんが
この言葉があれば日々の親子関係が救われる気がするのは私だけでしょうか。
命あっての、健康あっての、ありがたき中学受験ということを一人考え噛み締めるのです。